いい子でいてね

月が替わり、冷蔵庫横のカレンダーをめくる。今年もとうとう最後の1枚だ。諏訪佐和子はカレンダーに描かれたサンタクロースのイラストと目を合わせ、不安げに溜息をもらした。

佐和子の息子、諏訪翔太は今年で小学6年生になるが、今まで1度もサンタクロースからプレゼントを貰えたことがないのだ。今年は果たして貰えるのだろうか…。

最初に佐和子が違和感を覚えたのは翔太が4歳のときだ。女手ひとつで幼稚園入園まで育ててきた佐和子は、「子どもはクリスマスにプレゼントをもらうものだ」というのをそれまですっかり忘れていたのだ。

その次の年もサンタは来なかった。翔太は12月に入って、「今年はサンタさん来るかなー。来てくれるなら、サッカーボールが欲しいなー」と言っていた。クリスマス当日の朝、プレゼントが枕元に置かれていないことに気づくと、佐和子は翔太を失望させまいと、「いい子にしてたら来年きっと来るよ」と励ました。

翔太が小学校に上がると、佐和子は密かに「翔太を『いい子』に育てよう作戦」を始めた。
家に帰ってきたら玄関で靴をきちんと揃える。鞄はリビングに放置せずに自分の部屋に持って行く。食事は好き嫌いをせずに食べる。箸はきちんと正しい持ち方で使う。家事は進んで手伝うなど、「いい子」になるための方策を思いついては、すぐ翔太に実践させた。時に佐和子は翔太を厳しく叱りつけて躾けることもあった。

このような作戦を行いながらも、佐和子は息子とクリスマスプレゼントをめぐる一切について、誰にも相談することはなかった。実の母である塔子にも相談しなかった。自分の教育不足を晒すような気恥ずかしさがあったからだ。母の塔子に相談したところで、「あんたの躾が悪いからよ」と一蹴されるにきまっている。また、明らかに自分の息子より「いい子」ではないのにクリスマスプレゼントを貰っている子どもがいた場合、羨望と嫉妬でどんな暴言を吐いてしまうか分からない怖さが自分の中にあったのだ。だから仲のいい母親友だちにも相談せず、息子の翔太にも「クリスマスプレゼントの話はよその家の子とはしないものだ」と教育した。
こうした作戦の努力もむなしく、翔太の元にサンタクロースはやってこなかった。

去年プレゼントが届いていないことを確認したあと、佐和子はふとこれまでの作戦を改めるべきではないかと感じた。
翔太は朝も自分で起きられるし、朝食も自分で用意し、皿洗いまで済ませて学校に行く。帰宅後は洗濯・夕飯の準備・風呂掃除をした後、ご飯を炊いている間に宿題を済ませる。食べ物の好き嫌いもないし、洗濯物は自分でたたむ。アイロンも自分の分は自分でかける。なのにサンタクロースが来ないとなると、「いい子」という定義そのものから疑ってみるしかない。
思えば自分は息子を厳しく束縛し過ぎていたのではないか、と佐和子は考えた。躾や教育でがんじがらめにするよりも、本人のしたいことに任せて奔放にさせた方が素朴な「いい子」に育つというのを聞いたことがある。サンタクロースが望む「いい子」とはむしろ、自由気ままに育った「子どもらしい」子どものことだったのではないか。
それからの1年間、佐和子は翔太にやりたいことはあるか事あるごとに尋ね、それに対するサポートを惜しまなかった。これまでの躾のせいか謙虚に育ってしまった翔太は、最初こそ戸惑っていたが、段々と「駅前の英会話教室に通いたい」「自分のパソコンがほしい」など自分の意志を佐和子に提示するようになった。

12月24日になった。今年こそサンタクロースは翔太の元に来る。何となくだが佐和子にはそんな実感があった。いつもより遅くまでリビングで気をもんでいると、
「こんな時間だしお母さんはもう寝たほうがいいよ。今日も疲れただろうし、湯冷めして風邪引いちゃうよ」
佐和子は、息子が他人を気遣える「いい子」に育っていることに感激した。気遣いを無碍にするのも悪いと思い、後ろ髪をひかれつつも寝室へと向かった。
翌朝、佐和子は毎年恒例となった息子の枕元の確認へと向かい、目を疑った。なんとリボンで綺麗にラッピングされた小箱が目覚まし時計の横にちょこんと置かれていたのだ。
ああ、やはり子どもは自由にさせる教育法は間違っていなかったのだ。佐和子はようやく報われたような気持ちになり、笑い出したくなるのをこらえながら台所へと向かった。

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「だからさ、こうなってるのもばあちゃんのせいだって言ってるんだよ」
「"ばあちゃん"じゃなくて"塔子さん"って呼びなさいっていつも言ってるでしょ。大体、そんなのわざわざ親が教えなくたってどっかで気づくものでしょ。あの子が鈍感なのが悪いのよ」
「それもさ、よく物事に気が付く大人に育てなかった塔子さんの怠慢でしょ?」
「……とにかく、プレゼントは佐和子に買ってもらいなさい。サンタクロースのことだって翔太が教えてあげればいいじゃない」
「だから!それじゃダメなんだよ。母さんにはあのままサンタクロースを信じておいてもらったほうが都合がいいんだからさ。まあいいや、自分で何とかするよ。あ、わかってると思うけど、このことは佐和子さんにはくれぐれも内緒でよろしく。じゃあ。」
僕は自分の飲んだ湯呑みを洗って食器棚に片づけ、祖母の家をあとにした。

とうとう12月24日になった。終業式の帰りに文房具屋に立ち寄った僕は、鉛筆1ダースを買い、「プレゼント用なのでラッピングをしてほしい」とレジの店員にお願いした。これでとりあえずは何とかなるはずだ。

12月25日の朝、台所へ行くと、佐和子は案の定喜びを噛みしめた表情で朝ご飯の用意をしていた。
「あ、お母さん。生まれて初めて、サンタさんからプレゼント貰っちゃった」
僕は枕に向かって練習したとおりの言葉を口にした。
「あら!翔太は今年1年いい子にしていたから、サンタさん見ててくれたのね」
分かってはいたが、こうも真正面にピュアな言葉をぶつけられると返答に困る。
「それで、何を貰ったの?」
やはり来たか。
「多分、この大きさだから防水性の腕時計かな? ずっと欲しかったんだよね。今すぐにでも開けて中身を確認したいところだけど、何だか勿体なくてさ。しばらくこのまま飾っておこうかな」
とりあえずその場は凌いだ。あとは塔子さんに年明けのお年玉を奮発してもらって何とかするか…。

作戦実行のタイミングとしては完璧だった。母親の教育は今年からどうやら「自由奔放で素朴な『いい子』に育てる」方向にシフトしたらしい。このタイミングでサンタクロースからプレゼントを貰えた事実を作る、つまり「『いい子』認定」をすることで、母親はこれからも僕のやりたいことを、好きなようにさせてくれるはずだ。
これからもずっと、サンタクロースを信じて、「いい子」でいてね。お母さん。

#小説 #短編

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