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人生初の海外。ソ連旅行記

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ソ連邦が崩壊する一年前に旅しました。人生初の海外旅行。
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記事一覧

ソ連の旅 - 番外編

ソ連の旅 - 番外編

30年前の旅を思い出しながら書いているので、適切なタイミングで挿入すべきエピソードや背景知識を書き忘れることが多い。そういった書き忘れ項目を、ここにまとめて書いていこうと思う。

為替レート私がソ連を旅行した1990年当時のルーブル円の為替レートは確か、1ルーブル=230円程度だったと記憶している。ただしこれは所謂「公式レート」と呼ばれるものであり、現地レートとは異なっていた。
現地の空港やホテル

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ソ連の旅 - ⑧レニングラード

ソ連の旅 - ⑧レニングラード

22:00をまわったキエフのボリスポリ空港で、レニングラード行きの飛行機に乗り込む。
隣に座ったのは大きな男性だった。エコノミーの座席ではどう見ても彼の巨体はうまく収まらない。彼の腕が肘掛けから大きくはみ出して私の腕に当たる。これから2時間ほどのフライトの間中ちぢこまってなきゃいけないのか。後ろの座席の人の膝も背中に当たるし。しんどいな。なんてことを考えていたような気がする。

果たして飛行機は無

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ソ連の旅 - ⑦キエフ

ソ連の旅 - ⑦キエフ

この旅で訪れた、唯一のロシア共和国外の街だ。

KIEV。これは英語表記。Киев。これはロシア語表記。ウクライナではやはりロシア語ではないウクライナ語のКиївの表記をよく目にした。言語は文化の一部だから、どの言葉を使うかというのは、人々の文化的な精神性に大きな影響を与える。ウクライナはウクライナ語を公用語としているが、それは表記についてのものであり、半数ぐらいのキエフの人々は日常会話にロシア語

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ソ連の旅 - ⑥モスクワ

ソ連の旅 - ⑥モスクワ

モスクワと言えば、最近またパルナスのCMをYoutubeで見た。あれ、「モスクワの味」って宣伝文句だけど、本当にソ連の国営菓子メーカーから技術指導を受けてたとは知らなかった。パルナス本体はなくなってしまったけど、本家の流れを汲むパン屋さんが尼崎に残っているので、是非いつか行ってみたい。

話が逸れたが、モスクワと言えば、この子どもの頃から慣れ親しんだCMの、なんとなく暗く物悲しいイメージが定着して

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ソ連の旅 - ⑤The longest day

ソ連の旅 - ⑤The longest day

イルクーツクですっかり気持ちが凹んでしまった私だが、だからといってここでこの旅から降りるわけにはいかない。2泊滞在した翌日はモスクワへの移動日。ここからは全て飛行機での移動。

列車で西へ移動するとき一日1時間ぐらいずつ日が長くなっていったのだが、それも大陸の広さを実感する瞬間だ。2011年に廃止されたという夏時間で計算すると、当時ハバロフスクは日本標準時より+2時間、つまり2時間早くて、イルクー

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ソ連の旅 - ④イルクーツク

ソ連の旅 - ④イルクーツク

列車はその後、デカブリストたちの流刑地として有名なチタを経由。真夜中に停車したその駅で、大学の研修旅行の団体に混じって自分もその地に(といってもプラットフォームだけだが)降りたった。当時はチタがどんな歴史を刻んだ街なのか、恥ずかしながら殆ど知らなかった。

そして、モンゴル方面への路線も出ているウラン・ウデを経由。大きめの駅なので長時間停車した。ホームに降りて見るとスイカを売る人が。買った友人から

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ソ連の旅 - ③シベリア鉄道

ソ連の旅 - ③シベリア鉄道

ハバロフスク駅でさっぽろラーメンを食べた後、私たちはいよいよ列車に乗り込んだ。
列車はウラジオストク発モスクワ行きのその名もロシア号。イルクーツクまでは車中で2泊を過ごし3日目に到着する。
乗り込んでみて気づいたのは、私たちの車両が全員日本人だったことだ。私たちと同じような個人旅行者何組かの他に、ある大学の研修旅行の20-30名の団体が一緒だった。折角の海外旅行で日本人ばかり集められて纏められたの

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ソ連の旅 - ②ハバロフスク

ソ連の旅 - ②ハバロフスク

人生初の飛行機は確か「ツポレフ」という名前だった。今調べてみるとたしかにそのようだ。タラップで乗り込む中型機。滑走路から助走して飛び立つとあっという間に新潟の街が眼下に小さくなっていった。

洗礼たった2時間のフライトは、異国を初めて体験する私にとって気持ちを切り替えるには、余りにも短すぎた。

ハバロフスク空港の到着ロビーは、昼間なのに夕方のように薄暗かった。気づけば電灯がついていない。あるには

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ソ連の旅 - ①プロローグ

ソ連の旅 - ①プロローグ

そぼふる雨の中、降り立った大地。
少し陽が傾き始めたその地は、香水と体臭と植物が放つガスの入り混じったような大気に覆われていた。今まさに始まろうとする旅の第一歩を踏み出した途端、私は途方に暮れていた。

準備ソ連に行こうと決めたのは、大学に入学して間もない頃だったと思う。自分がこれから学ぶ言語の国を見てみたい、いや見ておかなければという、漠然とした義務感のようなものが芽生えていた。それがはっきりと

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