【シネマでおジャマ】 ナマステ🙏ぼりうっど⑤ 〜 ボリウッド・スーパースター展〈ケ・ブランリ美術館〉 中編
インド映画に関する壮大な歴史を綴りだしたら、やっぱり一回では納まり切らない長丁場。
大体シンプルにさらっと終わりにしてよ、ってーのができない国民な訳でしてね。苗字にしたって、母方の名前、父方の名前がくっついてるのが通常で、そこへ母方の父の名前と母の名前、父方の父の名前と母の名前、更に母方の父の母の名前と父の名前、母方の母の父の名前母の名前、父方の母の名前、父の...とかやってると、落語かっ!と思うほどの長丁場。寿限無ジュゲム...もマッ青😱
しかも全話終わらないとしっくりこないでしょ?
だから、前回の『ラーマーヤナ』にしたって、もう一つの有名な『マハーバーラタ』にしたって、お茶の間のドラマにしてはすんごい長丁場。
一話45分の約100話で、インド本国では1988年10月〜1990年6月までテレビ放映。毎週日曜日朝9時からのこの番組、視聴率92% !!
見てない人は変人です。
但し当時のテレビ保有家庭はまだ少なく、下層級は特別に旦那様の脇で見せてもらったり、都会であれば町の食堂などにあるテレビを求めてあっちからもこっちからも人がたかってきた...であろう図は想像に易し。そのため数字に関してはやや偏りがある、と姐さんは見た。
それにしても、日本のかつての大晦日紅白歌合戦の時の様な現象(家族一同テレビに釘付けーとか、銭湯に人がいなくなるーとか、信号待ちの車さえまばらーとか) が、毎週起こったというわけです。
ここにも出てくる、(インド人には)お馴染みの10の顔を持つ神ヴィシュヌや、象の顔を持つ神ガネシュ(下の写真)等のオリジナルな演出も大人気だったそう。
下手なコントじゃないんです。これをみなほぅほぅ、と日曜の朝から見てるわけですよ。
そしてこちらは前回も登場した、猿の顔を持つ神ハヌマーン。
一説には孫悟空のモデルもハヌマーンだと言われております。しかも天竺とは昔のインドの呼び名。こちらもテレビシリーズがありましたね。
♪モンキー・マジック、で有名な。
とは言え、そこへコメントをくださったクルクル☆カッピーさん。
と言われた姐さん早速チェック!
来たっ! いきなりのこの形相。
カッくいーウルトラ6兄弟に混じり、ひとり、あれ?な感じの方が。
こちらですか? ご指摘のハヌマーンは。
これは、どちらかというとタイのハヌマーンに近いのではないかと思いますん。
姐さんのフォローしているタイ在住のはまきち@バンコクさんの記事を見るとよくわかりますよ。
と、脱線はこのくらいにしておいて、更に前進します!
前回の記事で、インド映画にカレーのように華麗な黄金時代がやって来たのは1940年代とご紹介しました。
そしてここでやはり重要なキーデイトとなるのは、1947年8月15日のインド独立。
そして、同時にイスラム国家パキスタンの誕生。
でございますん。
それまで、中国茶を買いすぎたイギリスが、インドに阿片を用意させ、中国へ売りつける。アヘン中毒者が200万人も出ると、そこでどうにかこうにか支出入を調整できる。いわゆる「アジアの三角貿易」ですね。
そんなことしてると、1840年にアヘン戦争が勃発。中国進出&接続のための海上ルートを確保したかったイギリスに対し、我らがヒーロー、ガンジーさんが静かな抵抗を続け、インド独立を果たす。
そこへ更に、インドに長年根付いていたイスラム系住民とヒンズー系との折り合いがつかずここにインド、パキスタン二国は分離。
そしてインドは今年独立77周年。
と軽く歴史に触れながら、映画の歴史にお話を戻していきますと、このインド独立後からの映画にやはり本物のインド人魂を感じさせてくれるんですね。
その中でも、インド映画の存在を国際的に認知させた人物、ということで功績の高いサタジット・レイ監督。
おフランスで、インド映画のお話が始まると、避けては通れないお名前です。
インドの一番東側、ベンガル地方出身。
1921年生 - 1992年没。
ま、いわゆるバングラですわ。
ちなみにバングラデシュ建国は1971年。
ベンガル映画、ボリウッドとはちと違うんです。
まず、歌って踊らない! ドラマ有りき。
ベンガル地方は昔から詩や演劇、映画も文芸作品が多く、お祭り騒ぎとは違った高尚な香り漂う文化が下敷きとしてありました。
1913年にアジア人初のノーベル文学賞を受賞したのも、ベンガル地方出身の、ラビンドラナート・タゴールという詩人で、彼は1950年に出来たインド国歌の作詞作曲もしておりますん。
ゴダールにタゴール、そしてドゴールと...
さてこの監督、何がそれ程違うのか。
デビューはこれ。
『アプー三部作』。
・Pather Panchali 「大地のうた」(1955)
・Aparajito 「大河のうた」(1956)
・Apur Sansar 「大樹のうた」(1959)
ベンガル地方の貧しい少年、アプーの成長物語。
少年期〜思春期〜青年・結婚・父になる、という流れの中にインドの世相、思想、情景が盛り込まれボリウッドよりももっと身近にインドを発見することができます。
更に音楽はあの巨匠ラヴィ・シャンカール。
納得🙏
見てくださいよ、このアプーくんのつぶらな瞳を。惹き込まれちゃうこと間違いなし。
そんな三部作、インド国内でも数々の賞、またカンヌ、ベルリン、ベネチア各地で賞獲りまくり!!
そうです、姐さんも絶賛🤩しておりますが、世界が絶賛しまくったわけです!
その間にできた一本で、かつて姐さんのハートをむぎゅっと鷲掴みにしたのがコレ。
1958年のJalaghar「音楽ホール」。
かつての一国の領主、大富豪も今は年取り落ちぶれて、過去の栄光を一人思い出す...。
その音楽、踊りの素晴らしいこと🤩
ここではシタール奏者のヴィラヤト・カーン (お名前でわかる通りこちらはイスラム系) があくまでも伝統音楽の佳き時代を再現。そして踊りもカタックという北インド風で。
インドには8つの主要古典舞踊があると言われていますが、この北インドのカタック、かつてのムガール帝国の宮廷にて、娯楽の一つとして独自の発達を遂げました。
南インドのバラタナティアムは、純粋に神へ捧げる踊り。
足に小さな鈴グングルが見えますが、衣装もヴェールがあるのがカタック、バラタナティアムは
♪髪にジャスミンの花〜、をつけます。
先日、歩いていた道で、ん!?なんかインドの香りが〜...と思ったらソコはジャスミンの花並木なのでしたん♥
ハイハイ、また脱線しかかってますね。
そんで、サタジット・レイ。
絵の才能がありました!
元々広告を作ったりしていた人で、雑誌の表紙やポスターなども手掛け、いわゆるグラフィックデザイナーのようなお仕事をしておりました。
さらにポスターもご自分で。
ミニマリストの極地なのにオサレ!
「チャルラータ」、
女の裏表を描いた「デヴィ」、
リズミカルなモチーフ配置の「マハプルーシュ」、ファンキーな色使いを黒で締める「ナヤック」等、今でもゾクゾクする程アーティスティック。実際ポスターマニア市場ではかなりの価値となっております。
そしてまた映画の方も、ポエティックでエキセントリック。「チャルラータ」でも繊細な心理描写はかつての日本映画を思わせるほど。そして美しい詩の響きとはっとするような伝統音楽。
監督の全31本中、26本はベンガル語の小説が原作に、音楽もインド音楽の作品が多数。
ベンガルやインドの伝統をふんだんに散りばめた、美味し〜いカレーを食べている気分...
華麗なカレーな訳なのですん。
そして1977年になると、Shatrnj ke khilri「チェスをする人」をヒンディー語で制作。
時は1856年、インド反乱(これがムガール帝国滅亡のきっかけとなる) 前夜、植民地拡大に精出す東インド会社の緊張と、何があってもチェスを止められないのんびり地元君主のお話。
キレイな姫は、以前姐さんが飛行機で見たインド映画にも出ていたシャバナ・アズミ。
そんなサタジット・レイ監督、1992年にアカデミー賞名誉賞いただいてますよ。
納得🙏
アジア人では、黒澤明、宮崎駿、ジャッキー・チェンと肩を並べておられるのでございますん。
さ〜て、それではこれからムガール帝国についてお話しないと...
と思いきや、既に3000字越えの長丁場!
一旦ラタの歌声を聴きながら休憩タイム😚
いやん♥
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