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夏の残光

 夏の記憶は押し寄せる蝉の鳴き声とともに蘇る。
 あれも、とても暑い日のことだった。

 蝉の鳴く声はまるで洪水のようだ。あるいはとめどなく流れ落ちる滝の音。
 いったいどれほどの蝉が鳴いているのだろう。百匹なのか千匹なのか、あるいはもっと多いのか、幼い僕には分からなかった。
 それは集合体の音であり、過ぎ去らない通り雨のように降り注いだ。

 僕にとって夏の音はもう一つある。
 車のラジオや偶然に入った店のテレビから聞こえてくる甲子園の中継だ。熱狂した歓声、アナウンスの声と時折カァンっと響くバットにボールがあたる音。その後に押し寄せる歓声も、蝉の声によく似ている。
 あの日、僕は父さんと2人でさびれた中華店に入っていた。
 母方の祖父が亡くなって、田舎に戻ってきたものの、まだ小学生の僕と田舎に詳しくない父はまるで戦力外だった。
 忙しく立ち働く大人たちの間で手持無沙汰に耐えかねて、こそこその家を出て来たのだ。そうして辿り着いた先が駅前にある中華店だ。
 冷房が入っているのか分からない。どんよりと暑い店内では、扇風機が重たげに回っている。ブゥンヴゥンと低い音をたてながら、暖かい空気がときおり頬を撫でていく。カウンター席や窓際には、どこの土産だかも分からない人形がところせましと並んでいた。それらの一部は、扇風機の風で首や腰布が揺れたりと、ゆったり気だるげに動いている。
 店内のメニューはどれもすっかり日焼けしていて、さらに油もあちこちに飛び散っているものだから、そのほとんど読み取れない。
 僕も父さんも冷やし中華を注文した。
 そうして、野球中継と店の外から響く蝉の音をききながら、黙々と麺を啜っていた。
 またカァンっと乾いた音が響きわたり、テレビから歓声が溢れ出す。中華店の店主は退屈そうに画面をしばし睨んでいたが、やがて諦めたように息を吐くと裏口からのろのろと出ていった。
 しばらくすれば、僅かにあいた戸の隙間から煙草の煙が漂ってくる。
 そこはまるで時間が止まっているかのようだった。僕には昭和の記憶はないけれど、きっと父さんが子供のころは、こんな風だったんじゃなかいかと思えてくる。
 暑く、重い空気をやぶったのは、母さんの走ってくる靴音だった。
 これは不思議なことなのだが、親しい人の出す音は、くしゃみやあくびだけでなく、靴の音でも誰なのかが分かる。
 母さんの靴音がして、ガラリっと中華店の引き戸がひらかれる。

 「大変よ。お爺ちゃんがいなくなっちゃったの!」

 開口一番の母の言葉に、父さんは驚いて箸を取り落とし、僕は言葉を失った。
 最初に口を開いたのは裏口から戻ってきた店長だ。

 「広瀬んとこの爺さん、亡くなったんじゃなかったんか?」

 その通りだ。祖父は2日前に亡くなった。僕らは葬式のために訪れたのだ。
 だが母さんの青ざめた顔を見れば冗談でないのは明白で、そもそも母さんはそんな不謹慎なことを言い出すような人ではない。
 父さんは慌ててお勘定をすませると、中華店を飛び出した。





 母の田舎はとても長閑な場所だった。
 畑の間にぽつんぽつんと家が立っている、川沿いの小さな集落だ。昼間は蝉がけたたましく、夜は蛙の大合唱で騒がしい。ここ数年、駅のそばに建売の住宅がいくつか出来ているものの、都会まで車で3時間以上かかるという立地から、あまり人は増えていない。
 どこの家も玄関の鍵をかけないどころか、窓もすべて開け放したまま、防犯意識なんてものはほとんど存在していない。
 そのせいか、祖父がいなくなったといっても「田んぼの方を見に行こう」だとか「気が早いから先に墓に歩いて行ったんじゃないだろうか」だとか、みんなどこか調子はずれな様子だった。
 これが都会の出来事ならば、すぐに警察が駆け付けて、大騒ぎになっていたことだろう。
 無論、駐在さんには声をかけたようだったが、その駐在さんも自転車であたりを探しに行ったというのだから、本当に平和な場所だった。
 とはいえ、死んだはずの祖父がいなくなったのだから大変だ。
 集まった親族たちがあちこちへ探しに出掛けていき、あっと言う間に家から人が減っていく。

 「もうじき、従姉妹のアサコさんが来るから、あなたは家で待っててね。一人で大丈夫よね?」

 いつの間にか僕は母に言いつけられて、一人で留守番をすることになっていた。
 アサコさんというのはいかにも都会的な人だった。母さんとは昔から馬があうらしく、親族同士の集まり以外でも時折会っているのだと聞いている。
 そのアサコさんが来るので、僕を一人きりで残していっても大丈夫だという事になったらしい。
 実際、僕は手のかからない子供だった。
 一人で遊びに出て行くことはなかったし、冷蔵庫を勝手に漁ったり、オモチャを散らかすこともない。
 家のすみっこで一人で本を読んでいれば、退屈することもなく過ごせたのだ。
 だが本音を言えば、一人での留守番は嫌だった。
 自分の家ならばいいけれど、ここは田舎の家なのだ。自宅の数倍は広かったし、もうじき日が落ちてくるとあたりは真っ暗になっていく。
 そんな中で一人ぽつんと残されるのは、さすがの僕だって怖いのだ。
 それに今は。
 死んだはずのお爺ちゃんがいなくなるという異常事態のただ中だ。
 だけれども、だからこそ、僕が一人で留守番をしなければいかないのだと分かっている。

 「出来るだけ早く帰ってきてね」

 僕はそれだけを母に告げると、大人しく縁側に腰かける。
 ここにいれば、誰かが帰って来た時にすぐに見つけられるだろう。



 人がいない広い家はどこか違う世界に紛れ込んだかのようだった。
 誰もいない。
 隣近所の家は畑を挟んだ距離にあり、そのお隣さんも祖父を探しにどこかに出かけているのだろう。
 駅前にあった中華店ですら、テレビ中継と蝉の音ばかりだったのだ。そこからさらに離れたこの家では、人の声らしきものはまったく聞こえてこなかった。
 人工的な音といえば、害獣を追い払うために時折パァンと響く、猟銃を模した音くらいのものだった。
 少しずつ日が傾き、蝉の鳴く声が蛙の鳴き声に飲まれていく。
 縁側から見える風景は、トマトや茄子の植えられた畑と、その先にそびえる名前も知らない山並みだ。太陽はゆっくりと山の端に近づいていき、あたりは橙に染まっていく。
 田舎町も都会と同じように暑かったが、空気が澄んでいるためか暑さが都会よりも爽やかだ。カッと照り付ける陽は肌を容赦なく焼くけれど、あのべったりと貼りつくような暑さはない。それに、陽が傾くころには随分と過ごしやすくなる。
 気が付くと、庭には何匹もの蜻蛉が飛んでいた。
 ぼんやりと蜻蛉たちを眺めながら、込み上げてくる心細さを何とか追いやろうと息を吐く。
 その時だった。
 畑の間の細道を歩いてくる人影を見つけたのだ。
 人影が夕焼けを背にしているせいで、真っ黒い輪郭があやふやに溶けだしそうに揺れている。
 それは父さんよりも背が高く、叔父さんよりも痩せている。近所のお爺さんよりきちんと腰が伸びていたし、従兄弟のサトルさんにも似ていない。

 お爺ちゃんだ。
 お爺ちゃんが帰って来たのだ。

 人影の正体に気付くと同時に、僕はさぁっと青ざめた。
 家には僕しか残っていない。母さんも父さんも、他のみんなもまだ出ていったきりなのだ。
 死んだはずの祖父にたいして、どう対応して良いか分からない。
 どうしようか。逃げた方がいいだろうか。
 でも、もしお爺ちゃんが本当に生き返ったならばどうだろう。死んだはずの人が息を吹き返す。そういうことは稀にあるのだと聞いている。
 お爺ちゃんが生き返ったというならば、何が起こったのか分からずにきっと戸惑っているだろう。
 だったら僕が慌てて逃げ出してしまうのは、とても寂しいに違いない。

 僕はあれこれ考えたけれど、どうしていいか分からなかった。
 だから縁側から動かずに、本を読んだふりをただ続けることにする。
 怪奇小説は苦手だから、ほとんど読んだことがない。でもきっと、あの手の小説でいうならば、僕の行動は賢い選択ではないだろう。
 お爺ちゃんはひょろりとした体格だが、足取りは淀みなくゆっくりと縁側にやってくる。
 そうして、何も言わずに僕のそばまでやってくると、静かに隣に腰かけた。

 怖くはない。
 でもお爺ちゃんはやはりどこか気配が薄く、すぐ隣に座っているのに体温をまるで感じない。

 どうしよう、何か話そうか。
 具合はどう? だなんて尋ねるのはあまりにも気が利かない質問だ。
 あのね、お爺ちゃん、僕はもうじき中学生になるんだよ。
 お正月に貰ったお年玉は、ゲームを買うのに使ったんだ。
 少しずつ、言いたい言葉がふわふわと浮かびあがっては消えていく。
 思い起こせば、僕とお爺ちゃんはいつだってこんな調子だった。お爺ちゃんは僕が知る中で一番無口な人だった。
 怖い人ではなかったし、いつもにこにこ笑っている。
 僕は田舎に来るたびにお爺ちゃんの後をついて回って、野菜の手入れや収穫を頑張って手伝った。
 でも、いくら思いおこしても、言葉をかわした記憶はほとんどない。お爺ちゃんと同じように僕もあまり喋らない方だったし、お互いが喋らなくてもよいことが、とても居心地が良かったのだ。
 だから僕は、結局なにも喋らないまま、2人して縁側に腰かけて夕焼けをじっと眺めていた。

 山の端をちりちりと焼く残光と、影が濃くなっていく風景と。
 あれほど賑やかだった蝉の声も、蛙の合唱も遠ざかり、ただ静かに夕暮れだけがそこにある。
 蜻蛉が飛んでいなかったら、時が止まってしまったのかと思うだろう。その日の夕暮れは長く長く引き延ばされ、僕らは随分長い間、オレンジの世界の中にいた。
 そうして、太陽が山の向こうに消え去って、空が橙から群青に溶けていく。
 僕はあらためてお爺ちゃんに向き直った。
 そうしてお互いで目をあわせ、幸せを分け合うように微笑んだ。

 結局、僕らはさいごまで何も喋らないままだった。
 いつの間にかあたりが騒がしくなって、家の前の砂利道に何台もの車が戻ってくる。
 ヘッドライトの明かりに溶けるように、お爺ちゃんはいつの間にか縁側からいなくなっていた。



 その後のことは、僕にはよく分からない。
 大人たちが大騒ぎしているのを眺めながら、ずっと縁側に座っていた。
 いつの間にかお爺ちゃんは元通り、仏間の布団で横たわっていたそうで、誰一人、何が起こったのか分かる人はいなかった。
 お爺ちゃんを探しにいった人たちも、それぞれに少しだけ、お爺ちゃんを見かけたり、一緒に歩いたりしたそうだ。
 お爺ちゃんはただニコニコと笑っていて、誰にも何も言わなかった。
 でも僕らは、何も言葉をかわさなくても、それが最後の、最高の思い出になったことを知っている。
 お爺ちゃんはとても無口な人だった。
 お爺ちゃんは何の言葉も残していかなかったけれど、あの日の思い出はずっと心の中に残っている。


 あれも、とても暑い日のことだった。 
 夏の記憶は押し寄せる蝉の鳴き声とともに蘇る。
 
 僕は今も夏になると、田舎の家に訪れる。
 お爺ちゃんと違って、お婆ちゃんは実によくしゃべる人だった。
 うだる暑さにうんざりしながら、いつまでも続くお婆ちゃんのお喋りに頷いて。
 そうしてふと縁側に、畑の中に、懐かしい影を探そうと目を凝らす。
 そんな時、ふいにお婆ちゃんも同じように風景を見詰めていることがある。 
 とくに夕暮れ時が近づくと、木々の影があいまいに輪郭をかえていき、あの日のように今はいなくなった人たちとの、思い出の距離が近くなる。
 僕は縁側に腰かけて、なつかしい気配を待ちわびる。

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夏の思い出

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