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S駅行きバス停

 バス停で奇妙なことに遭遇する。
 何がきっかけでその話題に及んだのかは覚えていない。いつの間にかランチタイムのお喋りはバス停での不思議な出来事に関してになっていた。

 私の勤めている会社は少々不便な場所にある。
 もともとは都会にあったのだが、事業拡大とともに一部の部署が本社から出ていくことになったのだ。都会はとにかく家賃が高い。そこで目をつけられたのが郊外だった。
 そんな訳で勤務地の変更を余儀なくされた社員は、不平不満を口にしながらも概ねは大人しく従った。一部社員は、通勤時間の増加によって退職をするか、あるいは部署異動を希望した者もいるそうだ。
 私自身は、本社と支社のおおよそ中間地点に住んでいたため、むしろ渡りに船だった。なにせ、都会に出ていく電車よりも、郊外に向かう電車の方が圧倒的に空いている。
 毎朝、通勤ラッシュでぎゅうぎゅうに潰されて過ごすのは、それだけでも気力と体力を消費した。
 最寄り駅までシートに座って過ごせるのは、大変に有難かったのだ。

 新しい勤務地は、周囲にちらほら山が見えるような場所だった。
 本社務めをしていた頃には県境になるような大きな川が、支社のそばでは谷底を流れる細い川になっている。圧倒的に緑が多く、そのために虫の数が多いことには最初のころは驚かされた。
 気が付くと名も知らぬ虫が窓にへばりついている。それならばまだ良い方で、社内に入ってくることもあり、女性社員は悲鳴をあげてあたふたと逃げ回ることになる。そんな光景も最初の数か月のことだった。慣れてくれば雑誌で叩いて退治したり、あるいは強力な殺虫剤を常備したりと、虫との攻防も日常の一コマになっていく。
 それ以外で驚いたことと言えば、街灯があまりにも少ないことだった。
 都会では細い私道ですら街灯があるところが多かった。だが郊外は街灯があまりなく、陽が落ちれば一気に周囲が暗くなる。国道に出なければほとんど街灯がないほどだ。
 ああ、そうだ。そうだった。
 街灯が少ない。それが話のきっかけだった。
 定時で会社を出たとしても、秋ともなれば日の入りはどんどん早くなり、バス停へ向かう道もかなり暗くなっている。
 会社からの最寄り駅は2つあった。
 1つは駅前ロータリーを兼ね備えた比較的大きなK駅で、駅ビルには大型量販店も入っている。
 もう1つはK駅よりはやや寂れたS駅だ。
 それぞれの駅に向かうバスは別路線になっていることから、退社時間によりけりどちらのバス停に向かうのかが変わってくる。なにせ郊外のバス停だ。一本逃したら次が来るまでは大分時間がかかってしまう。
 定時と同時に会社を出ればK駅行きのバスに間に合うが、少しでも帰り際に手間取るとS駅行きのバスを選ぶことになる。

 「S駅行きのバス停って、なんだか怖くないですか?」

 最初に言い出したのは比較的新人のミワコだった。

 「分かるわ。なんだか不気味なのよね。あっちのバス停のが新しいから綺麗なのに、なんでか薄暗い気がするし」

 私の会社は大変ありがたいことに、ほとんど残業が存在しない。故に、多くの社員が定時と同時に素早くバス停に向かうのだ。
 故に、S駅行きバス停を使うことはあまりない。
 付近の住民もK駅行のバスを使うことが多いようで、S駅行きのバス停は人がいないことが多かった。
 S駅行きを選んだとしても15分ほどは待たされることになる。バス停付近は人家が少なくもの寂しい。すぐそばに大きな工場があるのだが、閉鎖されて久しいようで建物は蔦に覆われている。そんな場所で待っている時間がなんともうすら怖いのだ。

 「少し前の話なんですけど、S駅行きのバス停が混んでいることがったんですよ。10人くらい並んでいるのが見えて、珍しいこともあるもんだなって思って。それに並んでる人たちがやけに暗く見えたんです。暗いっていうか、真っ黒い人が並んでる、みたいな。
 なんか嫌だなぁって思いながら、歩いていて。それでふと目を離した隙に人影がいなくなってたんです。バス停まであと20メートルもなかったから、何かに見間違えたはずもないんですよ」

 ミワコの話に、そう言えばと他の社員も口を開く。

 「俺もあったな。バス停で待っている間に客先から電話が入ったんだけど、話している間にふいにため息みたいな声が聞こえたんだ。女の声で、やけに生々しくてさ。でも話してた相手は男だから、そんな声が聞こえる筈もない。気のせいだとか、混線だとか思ったんだけど、やけに背筋が寒くなって気が付いたら背中にびっしょり冷や汗をかいたよ。まだ夏の盛りだったのに、なんであんな寒気がしたんだって不思議だった」
 「え、皆さんもあるんですか? 実は私も、この間バス停で待ってる間に電話してたら、話していた相手から『そばに誰かいるの?』って聞かれたんですよ。『すぐそばで他の誰かの声がして聞き取り辛い』って。でも私しかいなかったから何だか怖いなって思って」
 「実は……」と私が口を開くと皆の視線が集まった。「私も少し前におかしなことがあって。帰り道に通話アプリで会話している事が多いんですよ。複数人で集まって通話できる会議システムみたいなのを使っていて、私は途中参加したんです。私が入った時点ですでに友達3人が会話してたんです」

 通話系アプリは現在会話に参加している人数が表示されるものが大半だ。
 例にもれず、私たちが使っていたアプリも現在参加中のメンバーの数が表示されるようになっていた。
 3人入っている場所に私が入れば入室人数は4人になる。ところがその日は入室人数が5人になったり、時折、6人、7人と増えることがあったのだ。
 ロム可能なアプリならば通りすがりに入室者がいることもあるだろう。
 けれど私たちが使っていたのはクローズチャットだ。つまり特定のメンバだけしか入れない。さらに言えば、参加中のメンバはアイコンが表示されるのだが、不自然に人数が増えた時には誰のアイコンも表示されていなかった。
 だがその時点ではさして疑問には思わなかった。
 何故か音声もノイズ混じりで安定していなかったので、どこかで混線していると思ったのだ。

 「ちょうど私が入ったあたりからおかしくなったから、私が一度通話を切って入り直せば解決するんじゃないかって思って。
 それで『なんか回線おかしいから一度出てから入り直すね』って言ったんです。そうしたら、『出られないよ』って声が返ってきて。
 びっくりして、『ちょっとやめてよ。脅かさないでよ』って言ったんですけど、誰もそんなこと言ってないって言うんです。
 そもそも少し前から私の声が遠ざかってて全然聞き取れなくなってたらしくて。からかってるのかと思ったけど、でもそういう事をするようなタイプの人はいなかったし、空耳かなって思うことにして。
 もう一回『ルーム出てから入りなおすね』って宣言したんです。そうしたら、さっきよりもはっきりと『出られないよ』って声がして。
 すごく近い距離で聞こえたんです。
 今度は1人の声じゃなかった。何人かでいっぺんに話し掛けてきたみたいな声だったんです。
 それに私、気付いちゃったんです。その時、チャットルームの入室人数が19人って表示されてたんです」

 私は元来、さほど怖がりな方ではなかったが、あの時はかなり動揺した。
 通話を切って入り直すのが一番だとは思ったが、薄暗いバス停で一人きりの状態で誰かとの繋がりを断ち切るのも怖かった。
 幸いすぐにバスが来て、乗車した以降はノイズも不自然な入室人数もなくなった。

 「ねぇ、なんか、嫌な感じしませんか?」

 私が話し終わると同時にミワコが恐る恐るといった様子で口を開いた。
 全員が同じように感じていたのか、押し黙ったまま互いの顔を見つめ合う。
 うまく言葉にするのは難しい。ただ、話を続けている間にどんどんと部屋の空気が冷えていくように思えたのだ。
 この話題をこれ以上続けるのはよくないのではなかろうか。そんな気持ちになってくる。
 気まずい沈黙を破るように、昼休憩の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。皆、その瞬間に金縛りがとけたように動き出す。愛想笑いをうかべながら、いつもよりせわしなく自分の席へと戻っていく。
 それでもしばらくの間は、うすら寒い奇妙な気配は背中にはりついたままだった。



 結局のところ私は、その後もS駅行きのバス停を使用していた。
 出来れば利用したくはなかったが、社会人たるもの何となく怖いくらいの理由で通勤経路を変えるなんて稀だろう。時間ぎりぎりまで会社で過ごしてからバス停に向かう手もなきにしもあらずだが、退勤カードを入口で切るというシステム上、後ろめたさを感じるのだ。
 その日は退勤間際に面倒な電話をとってしまい、K駅行きのバスには間に合わない時間になっていた。
 ため息を吐きながら会社を出れば、外は随分と暗くなっていた。
 秋の日はつるべ落としとは言うが、この所、毎日毎日、陽が落ちる時間がどんどん早くなっていくのを実感する。それも緩やかに段階的に進むというより、ある日からふいに日の入りがぐっと早くなったように感じるのだ。
 暗い。
 バス通りに向かう道は傾斜のきつい下り坂だ。一軒家が多いために灯りといえば住宅の窓から漏れるものばかりで、道はとても暗かった。
 もっと寒い時期になったら、念のために懐中電灯でもあった方が良いのではなかろうか。
 そんな事を考えながら歩き出したタイミングで、背後から声をかけられた。

 「待ってください!」

 ふり返れば、慌てた様子で会社から出てきたのはミワコだった。

 「良かった。残ってたの私だけなのかと思って。1人であのバス停に行くの怖かったんです。ご一緒していいですか?」
 「もちろん。私もちょっと怖かったから助かる」

 私が愛想よく頷くと、ミワコも安堵した顔になる。
 その時、猛烈な違和感に襲われた。なんだろうか。何かがおかしいと感じるのに、その正体がつかめない。
 気のせい?
 ふいに声をかけられて驚いたから?
 それとも、予想以上の暗さに神経過敏になっているのか。
 少し戸惑いはしたものの、違和感を振りはらって歩き出す。
 ミワコは不思議そうな顔をしながらも、肩を並べて歩き出した。
 会社からバス停まではたかだが5分ほどの距離だった。急坂を下りバス通りに出れば少しばかり周囲は明るくなるものの、通り過ぎる車ばかりで人はほとんど通らない。

 「そういえば、バス停の裏にある工場って、もともとはお寺があったそうなんです」

 ふと話し始めたミワコに、私は思わず眉をしかめた。あのバス停のことを語るのはあまり好きではなかったからだ。あの辺りのことを話題にあげると、それだけで背筋が寒くなる。
 かといって、怖いからやめてとは言い出せず、私は仕方なしに相槌をうつ。

 「古いお寺で、敷地はかなり広くて、たくさん、たくさん、お墓があったらしいんです。ほら、この間、地域防災の件できたお爺ちゃんがいたじゃないですか。あの人はこの辺りにずっと住んでいるらしくて、それで色々教えてくれたんです」

 S駅行きのバス停のそばには街灯が一本立っているが、その光はあまりにも頼りない。
 本当にここにバスが止まってくれるのかと、疑いたくなるほど寂しい場所だ。

 「本当にたくさんのお墓があったそうなんです。なんでも、関東大震災があった時にはあちこちに無縁仏が積み上げられていて、その一部を運んできて埋めたそうで、敷地内にびっしりと小さな墓石が並んでいたって。
 でもその後に高度成長期なんかがあって、この付近はどんどん開発が進んで、家がたくさん建っていった。お寺とお墓もいつの間にかなくなって、そのあとには家が建ったり、工場が出来たりしたそうです。
 無縁仏はすべて別の土地に移動させたと工事関係者は言っていたそうなんですが、怪しいもんだってお爺ちゃんは言ってました。あの頃は何もかもが目まぐるしく動いてた。死んじまった連中なんぞ、構ってられなかったんじゃないかって。
 実際、お寺の跡地に建った家はまったく人が居着かなかった。だから工場が建って、でもその工場も機械トラブルが絶えなかった。小火が出たり、突然機械が動き出して人が巻き込まれたりだなんてことは何度もあったそうです」

 おかしい。
 なんでミワコはこんな話をするのだろう。
 彼女はとても怖がりだ。最初に皆でバス停の話をした時だって真っ青な顔で怯えていた。なのに今、よりにもよってバス停の前でこんな話をするなんて、あまりにも不自然ではなかろうか。
 それに、ああ、そうだ。
 そうだった。
 私はようやく違和感の正体に気が付いた。

 『ミワコさん、辞めたんだってさ』

 朝礼のあとで隣の課の同期から聞いたのだ。

 『本当に突然でさ。引継ぎどころか挨拶もなし。しかも荷物もとりにこれないから適当の段ボールに詰めて送ってくれって。
 うちの課長が電話して理由を聞いたらしいんだけど、全然つながらなくって。ようやく家族と話が出来たけど、とにかくもう二度と御社とは関わりあいになりたくありませんの一点張り。
 でもさ、本当に理由が分からないんだよね。嫌がらせとかも一切なかったし、前日までは普通に元気に出てきてた。今度、みんなで飲み会行こうなんて話もしたくらいで辞めるなんてムード全然なかったのに』

 ミワコは会社を辞めたはずだ。
 いや、もしかして思い直してせめて荷物だけでも取りに来ようと思ったのか。
 だとしたら、まずは会社を辞めた話をするはずで、今このタイミングでバス停の話をする理由が分からない。

 「何度か小火があって、そしてついに大きな火事が起きたんです。あっという間に火が回って、みんな慌てて逃げ出そうとした。でもなぜか、正面の大扉が開かなくて。非常口はすっかり火が回っていて逃げ場はない。どんどん空気が熱くなって喉がやける。みんな必死にドアを叩いた」

 ミワコはがっくりと項垂れたまま喋り続けている。
 おかしい。
 何かがおかしい。
 それに周囲からは焦げ臭いにおいが漂ってくる。

 「熱い、熱い、熱いよってみんなで叫んで。でも、出られない。出られない、出られないんです。そう、出られないんですよ。瓦礫に埋もれて火に巻かれて、苦しい、怖い、熱いよ、助けてって何度叫んでも出られない」

 聞き覚えのある声だった。
 あの日、友人達と話している最中に聞こえた何十人もが一斉に喋った時の声。

 『出られないよ』
 「やめてッ!!!!!」

 私は叫んだ。
 その瞬間、ミワコが顔を持ち上げた。
 そこにあったのはどろどろに焼けただれた顔だった。皮膚は破れ焼けた赤い肉が覗いている。鼻はほとんど原形をたもっておらず、眼球は片方が破裂したのかどろりと垂れ下がっている。
 全身は黒い煤に覆われており、まるで墨をかぶったかのような真っ黒だ。

 悲鳴が喉で凍り付く。
 いつの間にか周囲には沢山の真っ黒な人影が立っていた。

 『出られないよ。出られないよ。出られない、出られない。ここからは出られない』

 やめて、っと叫ぶ声すら出なくなる。
 ひゅうひゅうとか細い息が喉から漏れて、恐怖で膝が震えて動けない。

 『出られないよ』
 『出られないよ』
 『出られないよ』
 『出られないよ』

 真っ黒な影が私の腕を捕まえて、ずるずると引きずっていこうとする。
 私は必死に踏ん張った。
 駄目だ。ついていったらもう二度と帰れない。
 いや、いやっと、声にならない悲鳴を漏らし、持っていた鞄を振り回す。
 藻掻いても暴れてもたくさんの影たちは私を連れ去ろうと腕を引く。

 その時だった。
 眩しいライトがバス停を照らし出し、影たちの引く力が弱くなる。
 無我夢中で腕を振り払い、私は光に向かって駆けだした。
 バスが来た。
 もう大丈夫だ。
 全身を包み込む眩しい灯りに、安堵が胸を込み上げる。
 次の刹那、私はそれが大きな間違いだと気が付いた。
 迫りくるトラックと、私のかわりに悲鳴をあげるクラクション。
 体を襲う衝撃とともに、すべての光が消え去った。






 「出られないよ」

 私は言う。

 「出られないよ。出られないよ。ここはずっと闇の中。ここからは二度と、出られない」

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