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『水都百景録』を楽しもう「永楽帝のもとに“麒麟”はきたのか?」

 首の長いキリンを「麒麟」と表記するのは日本だけ。中国語では「长颈⿅」(長頸鹿)ですよ。そのまんまだね。
 じゃあ日本ではなぜ、聖獣の名前である「麒麟」と呼ぶのか。永楽帝、鄭和、沈度が関係しています。

永楽帝「正統性が欲しいよなあ」

 永楽帝の即位は、甥の建文帝を倒す靖難の変を経てのこと。これは悪事とみなされました。永楽帝の軍師であった姚広孝は故郷に戻ると、「なんてことしたんだよ、あんたまちがってるよ!」と面会を拒絶されたそうです。
 
 そんな状況下です。永楽帝としては、己のしたことは正しいと証明したかった。ゆえに即位後、即座に駆けつけた日本の使節は喜ばれ、足利義満には大感激していたそうですよ。

 永楽帝の政策は、洪武帝のやり残したこともあるし。建文帝のやり方にも問題はあったし。永楽帝には彼なりの言い分はあったけれども、もっとガツンと世間には正統性を主張する必要はありましたよね。

鄭和が”麒麟”をもたらした!?

 そんな永楽帝の命をうけ、大航海を果たした鄭和。朝貢貿易が促され、大明のもとに各国の使節が集えば、正統性は補完されます。

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