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本を書くことが、どれほど「こわかったか」という話。

こんにちは、平熱です。

はじめての本を発売して

1週間ちょっと経ちました。

たまにはツイートじゃなくnoteで先行発表してみますが、

発売5日で重版が決まりました。

わわわ、日常生活に支障をきたすので拍手はそのあたりで止めてください。

うるさいです。

ありがとうございます。ありがとうございます。3刷です。

みなさんが買って読んで「#平熱ブックス」で感想を伝えてくれることや、Amazonや楽天でレビューを書いてくれたことが、売上の後押し…いえ、売上の12割を支えています。

ほんとうにありがとうございます。ひとつ残さず読んでます。

あなたがた一人一人が、この本を勧めてくれるデっかいデっかい拡声器です。

今後とも大きな声で何度も宣伝していただけると、誕生日にコーラを飲んだ幼児くらいよろこびます。

SNSでもリアルでも、ガンガン宣伝してください。

とはいえ、前回のnoteにも書いたように、わたしからの積極的なプロモーションは少しずつフェードアウトしていきます。

火種はつくったので、あとはもうどこまで火を絶やさず育てていけるかだと思ってます。みなさんや、版元のかんき出版に任せます。

そんなこんなで、わたしは本来のライフスタイルに少しずつ心身を戻していきます。

ただ、最後にどうしても「本を書くのがほんとうにこわかった」って話だけは自分のために残しておこうとキーボードをパチパチやってみることにしました。

話はずいぶん昔に戻りますが、ツイッターをはじめたころは大義名分なんて微塵もないし、当然だれにも読まれてませんでした。

だから、はじめは「どうやったら多くの人に読んでもらえるだろう」「どう書けばたのしんでもらえるだろう」ばかりを考えてトライ&エラーを繰り返していました。

そうやって四苦八苦しながら工夫を重ねても、ツイートを開始して半年くらいまではフォロワーも50人ほどでした。

それでもコツコツコツコツ、大きなバズなんか意識せず、ただひとつひとつ、自分が納得できるクオリティーのツイートを投稿することだけを心がけました。

そうすると、ひとり、またひとりとツイートをたのしんでくれる人が増え、フォロワーが少しずつ増えていきました。

ツイートをはじめて1年ちょっとくらいで、フォロワーが1,000人になりました。自分のフォロワー数に「 ,  」がついたことがとってもうれしかったのを今でも覚えています。

何事もそうですが、「0から」がいちばんしんどいです。だれからも見向きもされないし、自分のおもしろさや正しさに自信もなくなる。だから、フォロワーが1,000人になるまではほんとうにしんどかった。

もしかしたらこの頃からフォローしてくれてる方で、今でもツイートを読んでくださっている方もいるかもしれません。ビールケースをひっくり返し、路地裏で歌っていたあの頃から応援してくださりほんとうにありがとうございます。ドームを埋められるアーティストになりました。

体感として、1,000人から10,000人はあっという間でした。

そこから2万、3万、4万、5万人とフォロワーが増えていくのもあっという間でした。

1,000人になるまでがウミガメだったら、そこからはリクガメくらい速かったです。

もうこうなると、ぶっちゃけ「いいね」や「フォロワー数」はどうでもよくなってきます。

「いいね」がほしくてもがいている人や、「フォロワー数」を増やしたくて頭を掻きむしっている人には申し訳ないけど、100いいねも5000いいねも感情の起伏はおなじです。

なにかをキッカケに一晩で2,000人フォロワーが増えたときでも「わ、増えたなー」としか思いません。朝ごはんを食べたら忘れます。

じゃあ、数で満足を得ることができなくなったわたしのTwitterにおけるモチベーションはなにか。

承認欲求や自己顕示欲の外側に向かい、そのベクトルは太く長く伸びていきました。

「バズとかどうでもいいから、ひとつひとつのツイートをおもしろくしたい」「フォロワー数なんてどうでもいいから、ほんとうに平熱のツイートを読みたい“ファン”を増やしたい」

そう思うようになりました。

それは「特別支援学校や、特別支援教育をたのしくポップに広める」ことが「自分の役割」なんじゃないかと考えるようになったからです。少しだけ、責任も感じはじめました。

そこで舞い込んできた出版の話。

勝負しようと腹を括りました。

ただ、めちゃくちゃこわかったです。

平熱のツイートをよくご覧になってくださる人はご存知だと思いますが、わたしは「140文字で言い切る」を信条としています。

ツイートを連ねて140文字以上で説明することをしてきませんでしたし、これからするつもりもありません。

あのツールにおいて「伝える」ことにフォーカスした場合、長文は妥当じゃないと判断しているからです。

しかし、裏を返せば自分への言い訳、逃げ場にすることもできていました。

「140文字じゃ伝えられないからね」

と、特別支援教育の表面だけすくったような味のしないスープを、さも旨そうなパッケージに入れて届けてるだけのような罪悪感がありました。

そして「いいね」の数は140文字を目一杯つかった「具体的なサポート方法」ではなく「特別支援学校のゆるい日常」のほうがいつもはるかに多いことも、都合の悪い感情の隠れ蓑にできました。

「140文字でサポート方法を伝えても、伝わるわけないよな」
「みんなが望んでるのは、こっちのゆるツイートだけだよな」

なんて自分を納得させていました。

でも、どこかでずっと、

自分のツイートは、ほんとに困ってる人やサポートの方法が知りたい人の心をまるっこい筆先でそっと撫でてるだけじゃないのかって、結局だれも救えてないんじゃないのかと胸がチクチクしていました。

ゆるくてたのしいツイートをよろこんでくれることはとてもうれしいけど、それだけじゃ根本はなにも解決できてないよなと感じてました。

どっかのだれかがいった名言や切り抜きを貼っつけて「立ち止まって考えてほしい」みたいな一言を添えたバズらせるためだけのツイートを繰り返す厚顔無恥なあいつらと、なんら変わらないんじゃないかと落ち込みました。

だれかの心にブッ刺さる、「具体的なサポート方法」って先の尖ったナイフじゃないと、ほんとに困った人は救えないんじゃないのか。

そんなことが頭をチラつき離れませんでした。

そうやって決意した、Twitterの140文字を飛び出し自分の葛藤や不安と

言い訳のできない7万文字で勝負することがこわくないわけないじゃない。

だって、ぬるま湯につかり続けることはできたから。

これでもかと砂糖をまぶしたゆるふわツイートばかり投稿して、「人気があってフォロワーの多い特別支援学校の先生」なんて甘い甘い夢を見続けることだってできた。

いいねだってフォロワーだってきっと増やし続けることができた。

でも、いいんだってそんなことは。もういい。今のわたしに必要ない。

ぬるま湯から足を引っこ抜き、針の山を歩こうと決めました。

だから、こわかったです。

書いてるときもずーっとこわかった。「ほんとに伝わる?」「化けの皮はがれてない?」「期待ハズれになってない?」ずっとずっとこわかったです。

「読みやすいかな?わかりやすいかな?」「この考え方やロジック、正しいかな?伝わるかな?」常に不安と心配に足首をつかまれながら、気づかないふりをして歩き続けました。

自分の書いた文章を、気が狂うほど読み直しました。ひとつでも伝わる文章を考えて、ひとつでも音に出して気持ちがよくなる言い回しを探しました。

編集さんやデザインさんとチームを組み、少しでも伝わりやすくわかりやすい表現を追求しました。

仕事に育児に家事に忙しいみなさんが、やっと時間をつくって読んだときに引っかかりのないように、スルスル読める文体をとにかく心がけました。

何度も読み直さなくていいように、1回読めばわかるような文章。つまり、読むスピードと理解するスピードがおなじになるように気を配り続けました。

そうやって何度も何度も何度も何度も修正して整え、ようやく書き終えた原稿が本になって手元に届いたときも、こわくてこわくて1ページもめくれませんでした。

もうこの本は、一文字だって直せないもんな。自分で読んでつまらなかったらどうしよう。ぬるま湯につかってたほうがよかったかな?だれもよろこばなかったらどうしよう。全然売れなかったらどうしよう。

ずっとずっと、こわかったです。

ですが、発売してポツリポツリと届いてくる感想やレビュー、「◯◯県の本屋に置いてました!」なんて写真。

フォロワーさんや読者さんのあたたかい投稿をいくつも目にするたびに、少しずつ「本を出してよかった」と思えるようになってきました。

そして、発売して数日経って、ようやく自分の本を手に取ることができました。

みなさんの感想やレビューを読んで、おもしろそうだと思ったから。

やっぱり性格的に「もっとうまく例えられたな」とか「この言い回しよりもっといいのがあったな」とかどうしても思っちゃうのですが、それでも「読みやすいな」と思いました。

そりゃ自分で書いてるから当然なのかもしれないけど、レビューを見ても「読みやすい」「わかりやすい」がダントツで目に入ります。本をつくるときに決意した根幹を、ブらさず書き切ることができました。

何度も読める本が書けたんじゃないでしょうか。もし、何度も読みたくなる本が書けていたら最高です。

書いた本がみなさんに与えることのできた感情、知識や情報は正直今でもピンときてないところはあります。満足できました?

ただ、それでも「書きたい本が書けた」というよろこびや、届けられた人がよろこんでくれる様子が今はとってもうれしいです。

めっちゃこわかったけど、真正面から勝負してよかったです。

見たいテレビ我慢して、行きたい飲み会も断って、どうにかこうにか時間つくって、休みの日にもずっとずっと原稿書いてたけど、それはツイートをたのしみにしてくれている人には関係ないからツイートのペースも落としませんでした。

クリエティブに必要なカロリーはほとんどすべて書籍に奪われたから、この1年はツイートがスカスカだったかもしれないけど、それでもずっと支えてくれたみなさんのおかげでどうにかこうにか小さくない結果を出すことができました。

あらためて、ほんとうにありがとうございます。

なんか、特別支援学校の先生になってよかったなーと思いました。特別支援教育を学んできてよかったなーと思いました。

奇しくもこのタイミングで、フォロワーは7万人になり

ツイートも4周年を迎えました。

大きなひと段落が終わったなと感じるには抜群の間でした。

明日から新学期ってのもすごいよね。運命感じちゃう。

またあたらしい先生たちとタッグを組んで、あたらしい子どもたち、あたらしい保護者といい関係を築いていけるようにがんばります。

最後の最後、もう1回だけ宣伝させてくださいね。

わたしの何万時間の経験を何百時間かけて書いた7万文字が1540円です。

ぜひ、買って読んでみてください。

まだまだまだまだ、たくさんたくさん売りたいです。

(小声で)何冊買ってもええんやで。

いつもツイートやnoteを読んでくれてありがとう。愛してます。

2023.04.02 平熱(明日から新学期)

サポートしてもらったお金で「特別支援教育に関する本」を購入します。そこで得た知識や情報を、またみなさまに還元します。無理は言いません。2億ください。