襾漫 敏彦(アマントシヒコ)

美術作品を見に行って、そこで会った作家さんに、襾漫 敏彦のペンネームで、評論の形式の感…

襾漫 敏彦(アマントシヒコ)

美術作品を見に行って、そこで会った作家さんに、襾漫 敏彦のペンネームで、評論の形式の感想作って渡してます。その一部を紹介していきます。画廊を訪ねて、絵を直接みて、作家さん達と話をすると豊かな世界が広がります。自分の見方を一緒に見つけていきましょう。

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襾漫敏彦と美術評論についてーー付)画廊探訪 索引

 自己紹介の前に、【画廊探訪】の索引をあげておきます。   襾漫敏彦というのは、美術関連の文章を書く時のペンネームです。  美術評論家の鷹見明彦氏は、2011年に震災の後、病で亡くなりました。 わたしは、彼ともうひとりの友人と1980年後半『砂洲』という同人を組みました。襾漫というのは、その頃、書こうとしていた詩の主人公の名前です。 鷹見さんは、画廊を廻り若い作家の話を聞きさまざまなアドバイスをしていました。わたしも一日で、五、六軒、連れ回されたりしました。

    • 展示紹介: gallery FACE to FACE企画 銅版画の詰め合わせ展 6.7〜6.16

      gallery FACE to FACEで、銅版画をされる五人のグループ展が企画されます。 銅版画の詰め合わせ展 assort of DOHANGA 2024.6.7Fri.~6.16Sun. 6月11日(火)・12日(水)休廊 12:00 ~20:00 (最終日6/16は19:00まで) 参加作家 小川千明(おがわ ちあき) 銅版画/一版多色刷り 千川裕子(ちがわ ゆうこ) 銅版画/メゾチント 長沼翔(ながぬま しょう)銅版画/エッチング他 山宮律子(やまみや りつ

      • 画廊に行くようになって気がついたこと その50

         写真の登場は、画期的なことであったと思います。西洋の絵画・美術の歴史においては、絵を描くというのは、模写をする、そこにあるものを写しとる、そういうことが考え方の基本にありました。  言葉で物事を伝えるように<記号>を並べて意図を伝える方向ではないということです。  そのものをそのものとして写し取ろうとして、様々な工夫がなされました。遠近法ほその一つですし、また、機械を使って投影させたり、窓ガラスのようなものに写してなぞるそのような手法も展開されています。  ジュリアン

        • 〈失われたところから、もう一歩〉:【アーティストと向き合う】その3

           松本俊介は、小さい頃の病で、聴力を失ったとききます。音というのは、変化を伝えてくれるもので、それは、時の流れを教えてもくれます。  風景をながめるとき、音が動きを伝えてくれる。でも、無音の世界では、変わらぬものとして、凝結しているようにみえるかもしれません。  日本画の中村馨章氏は、重度の難聴です。彼は、音の無い世界に育ち、絵を描きました。その頃、彼に渡した評論を添付しておきます。  彼はその後、人工内耳の手術を受けて、器具をつければ音が聞こえるようにはなりました。

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        襾漫敏彦と美術評論についてーー付)画廊探訪 索引

          展示紹介:磯部隆展、ギャラリーTSU NA GU、6/12から17

          関西で活動されている磯部隆さんが六月に地元で、初めての個展をされます。 磯部隆展、 ギャラリーTSU NA GU 〒569-0803  大阪府高槻市高槻町20‐16 ZOOビル2階 TEL 072-684-0333 2024年6月12日(水)~6月17日(月) 11:00~17:00(最終日16:00) 阪急高槻市駅から西南へ徒歩2分 センター街東入り口から5軒目OSドラッグ2階 磯部さんの紹介がわりに【画廊探訪】あげておきます。

          展示紹介:磯部隆展、ギャラリーTSU NA GU、6/12から17

          画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか(54)

           53回では、語られないもの、と謎かけみたいな書き方をしましたが、後世に残された作家の作品は、彼らの人生の結果であります。  きっとその作品が出来上がるまでに、幾つもの修正や、やり直しがあったと思います。また、山のような失敗作もあったはずです。  スランプや人間関係のトラブル、生活の問題と、僕らと同じように様々な問題に見舞われてもいたでしょうし、作品が素晴らしいと言っても、人間性がひどい人もいたでしょう(ある意味、狂気を抱えているからこそ、人を驚嘆させる作品を作れるのかもしれ

          画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか(54)

          画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか(53)

           最近は、美術館の特別展などからは、足が遠のいて、小さな画廊まわりばかりです。  コロナで、予約制になったり、忙しかったりしたせいでもあります。  大芸術家の特別展では、彼らの人生が、物語のように語られ、作品もその証拠のようにならべられています。  見るものが期待するような語りが、期待されるように語られているようです。  形として学ぶには大切なことだとは思うのですし、大切な事実なんでしょうけれど、そこで語られないものをつい、探りたくなってしまいます。  

          画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか(53)

          阿佐ヶ谷うさぎ屋【この町で生まれ、この町で育ち、この町で暮らし、この町で死ぬ】〈和菓子、冬の夜〉

          5月20日、阿佐ヶ谷のうさぎ屋が、閉店しました。柔らかい口溶けの餡が美味しい和菓子屋さんでした。 人手の問題も含めて、いままでのようにやれなくなったとも聞きます。 発表は、直前に近く、それから連日行列でした。 仕方ないとはおもうものの、寂しい想いがつのります。 以前、手にした上生菓子をあげておきます。

          阿佐ヶ谷うさぎ屋【この町で生まれ、この町で育ち、この町で暮らし、この町で死ぬ】〈和菓子、冬の夜〉

          【画廊探訪 No.173】万象を呑み込む魔法の鏡の中に迷い込んで――河野志保作品に寄せて―――

          万象を呑み込む魔法の鏡の中に迷い込んで ――Gallery Face to Face企画 山内康嗣・河野志保展「景色の手ざわり」河野志保出品作品に寄せて――― 襾漫敏彦  僕は神社の傍にある鎮守の森で、迷いそうになったことがある。気がつくと自分の場所を見失ってしまい、友達に声をかけてもらってようやく元の場所に戻れた。森は、多くの生命の根源であると共に、人から光を奪い、迷いの森になることもある。  河野志保氏は、デジタル技術を活用するコラージュ作家である。夜景、建築、調度

          【画廊探訪 No.173】万象を呑み込む魔法の鏡の中に迷い込んで――河野志保作品に寄せて―――

          <社会と結び、発信する彼ら>:【アーティストと向き合う】その2、

          Suisuiさんを含む5人のアーティストが共同で、「&commons 生活と芸術のためのネットワーク」という集まりを始めました。 以下FACEBOOKにあげられた記事を添付します。 ****** 「&commons 生活と芸術のためのネットワーク」は、アーティストたち自身が、多様な芸術活動を続けていくために必要な知識やネットワークをコモンズ(共有財産)として分かち合うコレクティブです。  アーティストという職種は、形態にこだわらず場所にとらわれない、そして今現在も新しい

          <社会と結び、発信する彼ら>:【アーティストと向き合う】その2、

          展示感想:林明日美 高橋岳人 展 5.24Fri. 〜6.2Sun. Gallery Face to FACE

          Gallery Face to FACEの林明日美 高橋岳人 展行ってきました。技法は違う二人ですが、どこかに、浮かび上がるような想世界を描こうとしている風情が、良かったです。 高橋さんは、独学で、絵を学んだ方です。紙というのは、繊維を集めて幾重にも重ねて作られています。 そこを鉄筆で、削ったり、部分的に剥いで、そこに油彩やアクリルなど具材をのせて、その後に拭き取ります。 窪みに残った色彩が、版画とも描画とも異なる印象を持たせます。 孤独に表現を模索されていた方ですか

          展示感想:林明日美 高橋岳人 展 5.24Fri. 〜6.2Sun. Gallery Face to FACE

          <新たな試み>:【アーティストと向き合う】その1

           僕らは芸術家、アーティストという存在に、作品というプリズムを通して接しています。  当たり前のことですが、アーティストも僕らと同じ、この社会に生きるパーソンです。作品はある意味、結果でありますが、そこに至るまでの日々の営みがあります。  個人的なことは社会的なことという社会学的なこと考え方もありますが、社会の中でどう生きるのか、社会にどう交わっていくのか、作品の向こうには、一人の人間としての生き様、思想、そして多くの決断があります。  生活者、社会の中で生きる個として

          <新たな試み>:【アーティストと向き合う】その1

          表現再考:夏入、安居の始まり、旧暦四月十六日(5月23日)

           古典の世界では、夏安居(ゲアンゴ)というのがありますが、これは、四月十六日から、遊行していた僧侶が、外出せずに集まって修行することです。  日にちだけで見ると、そうなんだという感じなんですが、旧暦で見ると夏至の前の月である四月の満月の翌日からということになります。  昔は、腕時計やカレンダーなんかはなかったですから、坊さんは、夜の月を見ながらお寺や僧房へと向かったのでしょう。  カラダで確かめては日々を営んでいたことにあらためて驚きます。

          表現再考:夏入、安居の始まり、旧暦四月十六日(5月23日)

          表現再考:小満(5月20日)

          スーマングースの小満の始まりです。陰暦では、この小満の時期に満月が来るのが四月です。四月の満月は、新暦5月22日の今日です。  本朝の七十二候では、蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)、紅花栄(べにばなさかう)、麦秋至(むぎのときいたる)  ですが、宣明暦では、苦菜秀 苦菜(にがながよく茂る)靡草死(薺(なずな)など田に生える草が枯れる)小暑至 (ようやく暑さが加わり始める)  万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。『暦便覧』の「万物盈満」にちなんでいるよう

          表現再考:小満(5月20日)

          表現再考:賀茂祭(葵祭)、旧暦四月一四日(卯月 中の酉)、(5月21日)

           旧暦の頃、賀茂祭は、四月の中の酉の日に行われていました。  古来続けられている祭のようにも思われがちですが、応仁の乱の後の文亀二年(1502年)に中絶し、元禄七年(1694年)に再興されています。  日本の伝統を語る政治家は多いですが、戦乱こそが、伝統や歴史を途絶してしまうということを改めて考えてほしいものですね。

          表現再考:賀茂祭(葵祭)、旧暦四月一四日(卯月 中の酉)、(5月21日)

          表現再考:卯月、中の申の日、旧暦四月十三日(5月20日)

            日吉神社では山王祭りが行われますが、明治以前は、旧暦の四月の中の申の日に行われていました。日吉神社といえば、古来より日吉といえば猿といわれ、魔除けの象徴とされてきました。サルは勝るや魔が去るに通じ大変、縁起のいいものとされていたようです。  日吉神社と猿といえば、豊臣秀吉の話が有名です。信長、秀吉、家康というと、信長は魔王、家康は狸親父と悪い評判は多いですが、信長が、焼き討ちした比叡山の再興を認めたのが、豊臣秀吉ですから、当時の仏門からすれば恩人です。言説をリードする教

          表現再考:卯月、中の申の日、旧暦四月十三日(5月20日)