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ウルフの『自分ひとりの部屋』を、現代日本に引き寄せて考えてみた

先日、職場の近しい人に「もし不労所得で生活していけるなら、仕事辞めますか?」と聞かれたとき、「うん、辞める~」と即答したのはきっとこの本を読んでいたからです。

ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社ライブラリー、2015年)。

「フェミニズム批評の古典」とよく紹介されるこの本は、ケンブリッジ大学の女子カレッジ学生向けに行われた「女性と小説」というテーマの講演が土台になっているそうです。初版は1929年。架空の主人公の一人語りの形式をとりながら、「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」ーーそんな意見にたどり着くまでの思考の軌跡が語られます。

ちなみに著者のヴァージニア・ウルフは当時49歳。33歳から発表し始めた小説が高い評価を得て、モダニズム文学の作家として地位を確立していたそう。また、夫とともに立ち上げた出版社を経営していて、自分の本もほぼすべて自社から出版していたそう。(かっこいいな、ウルフ!)

ウルフが必要だという「お金」は、「年収500ポンド」。「訳者解説」によると、これは中の上くらいの生活を余裕をもってできるくらいの収入で、現代日本で言えば年収500万円くらいです。そしてウルフの意見を現代日本風に言い換えるなら、「ひとがおよそ自由な創造活動をしようと思うなら、年収500万円と自分ひとりの部屋を持たねばならない」となります。

さて、これは果たして本当か。というのはいまだに議論し尽くされてはいないようです。そんなわけで、現在の日本での状況に引き寄せて、ちょっとだけ考えてみます。
1,日本に年収500万円以上稼いでいる女性はどのくらいいるのか?
2,彼女たちは、「自分ひとりの部屋」で創作に打ち込む時間を確保することができるのだろうか?

日本に「年収500万円以上」の女性はどのくらいいるのか?

まず、上記1について。何か参考になる調査結果はないかなぁと見てみたら、パーソルキャリアの運営する転職サービス「doda(デューダ)」が発表した調査結果がありました。

【調査概要】
対象者 : 2020年9月~2021年8月末までの間に、dodaエージェントサービスにご登録いただいた20~65歳のオフィスワーカー職種の男女
雇用形態 : 正社員
有効回答数 : 約45万件
※上記から女性のデータをピックアップして集計
※平均年収:手取りではなく支給額

この調査結果によると「年収500万円以上を得ている割合は30代の女性で全体の17.9%40代で23.7%」とのこと。

2021年12月1日現在の20歳~64歳の人口概算値は男女合計6,890万人だそうなので(「人口推計(2021年(令和3年)12月報」〔総務省統計局、2021年12月20日〕より)、45万件の回答ってことは人口比約0.65%の回答数。それだけ?と思うけれど、純粋に数だけ見たらサンプル数は十分ぽい(聞きかじった程度の統計の知識のもとでは)。

けれども、そのまま受け入れるわけにもいきません。そもそもdodaに登録している人が対象なので、日本人ランダムに選ぶよりもずーーーッと意識高めで年収高めなのではないかという点と、回答45万件のうち女性が一体どれだけいるのかは明らかにされてないので、正確な母数がわからないという点がもやっとしているからです。

参考までに日本で正規雇用されている人の男女比を調べたところ、男性2345万人(66%)、女性1194万人(34%)でした(「労働力調査(基本集計) 2020年(令和2年)平均」〔総務省統計局、2021年1月29日〕より)。個人的な予想としては、doda登録者の男女比は、さらに男性の割合が高いのではないかと思っています。

さあ、しかし、意識高め(いや、偏見かな、わからん)なdoda登録中の正社員の女性でさえ、「年収500万円以上を得ている割合は30代の女性で全体の17.9%、40代で23.7%」にすぎないという結果なわけです。

自分ひとりの部屋で集中する時間はどのくらいあるのか?

では、先ほど挙げた2の問題についてはどうでしょう。

2,(年収500万円稼いでいる)彼女たちは、「自分ひとりの部屋」で創作に打ち込む時間を確保することができるのだろうか?

物理的に「自分ひとりの部屋」を持てるかといったら、それだけの収入があればまぁ、持てるのではないかなぁ。だから問題は、仕事や家事、家族に頻繁に中断されることなく、自分ひとりの部屋で思索や執筆に打ち込める時間が彼女らに残されているのかどうか。

これは考えれば考えるほど「人によりますよね」ということになるのですが、ちょっとまじめに考えてみた軌跡をお見せします。

まず年収500万円を維持するためには、誰もが仕事以外には何もできないくらい長時間労働しなければならないのでしょうか? いいえ、職種や業務内容次第でしょう。また、年収500万円では心許ない気もしますが、家事や育児の代行サービスに任せて自由な時間を生み出すこともできるかもしれません。もしも一人暮らしならば、自由な時間はもっと増えるかもしれません。

では具体的に1日あたり、あるいは週あたりに、創作にあてる時間はどのくらいとれるのでしょうか。

国が行っている統計調査を見てみると、15歳以上女性で、有業者(ふだんの状態として、収入を目的とした仕事を続けている人)の1日あたりの自由時間は平均3.25時間(土日祝含めた週全体での平均)のようです。(以下のサイトから「2-6 年齢,行動の種類別主行動の総平均時間-週全体,女,ふだんの就業状態(有業者)」Excelを参照しました)

なお、「自由時間」とは、上記の調査において労働や育児や介護、睡眠や風呂、食事等々とは別に、「交際/教養・趣味・娯楽(創作はここに含まれる)/スポーツ/マスメディア利用(読書はここに含まれる)/休養・くつろぎ」などを示すカテゴリです。

ただ、スポーツや読書、美術鑑賞やくつろぎの時間など、健康的に生きるための時間も確保したいので(個人的な感覚としては、せめて休日には1日4時間くらいはほしい)、それを加味して計算しなおすと、1日約2.12時間(週約14.7時間)です。さあ、どうでしょう?

この数値を見て、個人的には「意外とあるな」と思いました。なんだ、意外と余裕あるな。でも、私は実際にはそんなに執筆の時間をとれていない。いや、頑張ればこのくらいの時間が取れるのかもしれない。そうすれば2カ月あれば中編小説が書けるかもしれない。5カ月あれば長編が書けるかもしれない。そして私の場合、こからふるい落とされがちなのは、「娯楽」「家族とのコミュニケーション」「人と会って行う交際・付き合い」等の時間になるだろう。どこまでを掬い上げようか、とても悩むことだろう。そんなことを思いました。

また、この2時間はあくまで平均ですから、育児や介護の時間が長くなったりしたらあっという間に消えてなくなってもおかしくありません。

そんなわけで、人それぞれではあるけれど、働いて収入を得ながら創作時間を守る闘いは、概して真剣なものになるでしょう。

もっときちんと考えるならば、年収別の自由時間の調査結果を探してきて、500万円以上稼いでいる女性が、1日平均何時間の余暇をもっているのかを見たほうがいいでしょうが、データが見つからないのでいったん諦めます。

男性の自由な時間はどのくらいなのか

さて、私は大事なことを忘れています。男性のデータはどうなっているのでしょうか。『自分ひとりの部屋』では、女性が男性に比べて貧しいし自由な時間を持てなかった過去から脱却していくことを推奨し激励しているのですから、現在の日本の状況をその視点で調べておくのは無駄ではないでしょう。

上記の統計データの男性版「2-5 年齢,行動の種類別主行動の総平均時間-週全体,男,ふだんの就業状態(有業者)」をもとに同じように算出すると、1日約2.5時間でした。男性の場合のほうが若干長いですが、わずかな差です。現在の日本で、ふだん収入を得るために働いている人たちは、性別に関係なく、自由な創作の時間をとるためには厳しいやりくりを迫られていると言っていいでしょう。

私の尊敬する友人は、1日の会社での仕事を終えたあと、帰宅して自宅の駐車場に車を止めてから、そのまま社内で30分ほど執筆すると言っていました。会社での役割を終えて、家庭での役割へと移るその狭間に、自分ひとりの部屋を生み出しているわけです。

また、先日読んだ『『青鞜』の冒険』(森まゆみ、平凡社、2013年)によって、あの平塚らいてうも夫の奥村博史が寝ついた後で執筆に励んでいたと知りました(自伝に「奥村はわたくしの何倍寝たかわかりません」と書いているそう)。そして森まゆみさん自身も同じように思った経験があるそうです。

お金を稼ぎながら創作をするというのはそういう挑戦だ、と思います。簡単に寝不足になったり、他の時間をちょっとずつ削るために家族から隠れたり、逆に理解を得るために説得したりしながら勝ち取っていくのだと。

無業者だったらどうなのか?

なお、無業者(有業者以外の人)の1日当たりの自由時間を調べて同じように計算してみたら、女性の場合は約4.26時間、男性の場合は約6.33時間でした。男性の場合のほうが2時間ほど長いです。これは歴然とした差と言っていいでしょう。

自由な時間が一日約4時間半――、これは意外なくらい短いと感じます。収入を得るために仕事をしていないのであれば、もっと自由な時間があると思っていました。

ふと、友人のお母さんの話を思い出しました。お母さんは昔から詩を書く人で、家事の途中でふとしゃがみこんでは言葉を書き留めていいたと。そうやって溜めた言葉をまとめて詩集を作り、発表しているのだと。

また、先日noteでも書いた「Walls & Bridges 壁は橋になる」展(東京都美術館、2021年)で取り上げられていた画家・彫刻家のシルヴィア・ミニオ = パルウエルロ・保田も、子供たちと夫が寝静まったあとで制作に没頭したと言われています。

お母さんたちは寝不足になるか、家事の合間を縫って、ささやかに、でも熱心に創作をしてきました。よりよく生きるための行為としての芸術と言えるようなこんな在り方に憧れと尊敬を抱くのは、ウルフがジェイン・オースティンに対して抱く気持ちと似ているものがあるのではないかと思います。

(オースティンは小説を書いていることを恥ずかしいと思い、他人が部屋に入ってくるといそいそと原稿を隠したというが)状況のせいで作品に少しでも傷がついたというどんな微候(しるし)も、見つかりませんでした。ジェイン・オースティンについて、たぶんいちばん奇跡的なのはそこです。一八〇〇年前後に、憎しみも怨恨も恐怖もなく、抗議したいとか何か説き聞かせたいという気持ちもなく、ものを書いていた女性がいたのです。(P.119)

最後に

最初の会話で「(不労所得で生活していけるなら)仕事を辞める」と答えた気持ちは、この記事を書き終わりそうな今まだ変わっていません。

まあ、「不労所得があったら」とか、「宝くじがあたったら」という仮定をするのは、自分の仕事に収入を得ること以外の価値を見いだしているのかどうかを問うためなので、それは別途考える余地がありそうです。どうせ働くのであれば、収入以外の価値を見いだしたほうが毎日をいい気分で過ごせるのだから、そうしましょうと思う。それにたぶん、私にもできると思う。だから今度また、考えます。

ただ、いまは『自分ひとりの部屋」に煽られた矜持をそのまま素直に温めていたい。もし『自分ひとりの部屋』の語り手と同じように生活に困らないだけの不労所得があったなら、周囲からの様々な制約や忠告に耳を傾けて萎縮することもなく、理不尽な要求に対して怒りや失望に震えたり抗議したりして作品をゆがめることもなく、ただ自らの知的好奇心に従ってよく調べ、よく観察して世界を写すようなことができるはずではないか。

私が普段、仕事でもよくするように、誰かの気持ちに影響を与えることを狙って物を書くのではなく、そんな要求は忘れて、物事をよく観察したり調べたりして考えたことをそのままに書き残そう、言葉を操ってそれを人に伝えよう。それには時間がいくらでも要る。たったこれだけの記事を書くのに、紅白歌合戦が終わってしまうくらいの時間がいるのだから。

年500万円と自分ひとりの部屋を得て、様々な読書や自然、人との触れ合いのなかで見いだした現実を書き写す十分な時間を手に入れるまで、仕事をしながら時間をなんとかやりくりして書き続けたい。

それが何になるのかと言えば、よりよく生きることになるのです。そして、シェイクスピアの妹――日本で言えば夏目漱石の妹かな――が蘇ったとき、彼女が詩を書こうと思えるような世界をつくることになるのだと、ウルフは全力で激励してくれたわけです。その激励を、今年は素直に胸に灯して歩いていこうと思います。



さて新年、あけましておめでとうございます。

決意新たに、きっといい年になりますように。

いただいたサポートはよりよく生きるために使います。お互いにがんばりましょう。