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「3密も大事やけど…」コロナ禍に響くけんたろう先生の教え

中学校を卒業して、もう6年が経つ。
それでも、多くの先生方との関係が続いている。とても幸せなことだと思う。

パソコンの画面に映るけんたろう先生もその一人だ。僕たちの学年を3年間担任して頂いた。

2020年12月上旬。
コロナ禍での学校現場のインタビューを求めると、けんたろう先生は二つ返事で快諾してくれた。

「久しぶりやね。ここは2階の教室です」

黒縁メガネのけんたろう先生は、相変わらずラジオのDJのような低い声を出した。
今は小学3年生を担任している。職員室ではなく、教室でインタビューに応じるのが、けんたろう先生らしい。

窓から覗く景色は、すっかり暮れなずんでいた。


☆   ☆   ☆


小柄なけんたろう先生の声はよく通る。ハッキリとした物言いをする。目に余る言動は、きちんと叱ってくれた。
「これはよい」「これはイケない」という物差しを、正しく持ち併せている先生だった。

その一方で、笑いのセンスは抜群だった。生徒の笑い声はいつも絶えない。
教室の空気を整えることができる先生だった。

この日も、けんたろう先生はハキハキとした口調でインタビューに応じてくれた。
学校現場の葛藤やまどいが、ありありと伝わる語りだった。

熱のこもった話が一段落した時、先生は何かを思い出すかのように切り出した。

「そういえば、子どもたちにアレは伝えとったな。3密って言葉が流行ったやん。これなんやけどさ…」

その続きを聞き、僕は中学3年の記憶を交錯こうさくさせていた。

2021年の年始め、けんたろう先生の教えを綴る使命が、僕にはあると思う。


☆   ☆   ☆


7年前。中学3年の秋。
10月末の文化祭が直前に差し迫っていた。

僕の中学校では、文化祭で各クラスが合唱を披露する。模擬店を開くわけでも、出し物をするわけでもない。
それでも僕らは「文化祭」と呼ぶ。
学年ごとにグランプリが決まることもあり、秋めく学校は少しずつ熱気を帯びていく。

文章を書くことに自信があった僕は、クラスを鼓舞するメッセージを教室に掲示したりしていた。
合唱に熱くなれるのは今だけという想いもあり、力が入っていたのだと思う。

翌日に文化祭を控えた放課後。
僕は歌声が共鳴する北舎の階段を下っていた。

1階へ降り、南舎の昇降口へ移動する時だった。

スタッ、スタッ、スタッ。誰かが職員室から足早に飛び出す。
スタッ、スタッ、スタッ。小気味よい足音が、少しずつ僕に近づく。
スタッ、スタッ、トン。その音は僕の背後で止まった。

誰だろう。
僕が振り返る前に、聞き慣れた低い声が僕の名を呼んだ。

「大輔に渡したいものがある」

声の主は蛍光色の靴を履いたけんたろう先生だった。
「ちょっとそこで待っとって」。先生はそう声をかけ、すぐに職員室へと切り返した。
スタッ、スタッ、スタッ。夕陽が差し込んだ北舎に足音が響く。

渡したいものって何だろう。
けんたろう先生は担任でもなければ、部活動の顧問でもない。呼び止めてまで僕に渡したいもの。これっぽっちもピンと来なかった。

スタッ、スタッ、トン。
必死に心当たりを探す僕のもとへ、先生はすぐに戻ってきた。その手には1枚のA4用紙が握られている。

「呼び止めてごめん。これを渡そうと思って」

受けとった紙切れに目を落とす。
行書体で書かれた「ありがとう」というタイトルが、目に飛び込んできた。

手渡されたのは、けんたろう先生が書いた学級通信だった。
じっくり読まなくても、それが文化祭を翌日に控えたクラスへのメッセージだと分かった。

「どうしたんですか、これ?」

僕は驚いた表情を浮かべながら、疑問形を投げた。
先生が答える。

「いいでしょ、それ」

いいでしょ、それ?
全く答えになっていない。僕が知りたいのは、なぜ隣のクラスの生徒に学級通信を渡したのか、だ。
困惑した僕を見ながら、けんたろう先生は微笑んだ。結局、多くを語らないまま、先生は階段を一段飛ばしで駆け上がった。
トンッ、トンッ、トンッ。行ってしまった。

けんたろう先生の学級通信と、答えになっていない言葉を携えて、僕は昇降口へと続く渡り廊下を歩いた。

いいでしょ、それ。

疑問形はカタチを変えることなく、疑問形のままだった。


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家に帰り、通学カバンに押し込んだA4用紙を広げた。
学級通信は「女性というのはよくわからない」という一文から始まっていた。

この通信のほうがよっぽどわからないぞ、とツッコミながら、とりあえず読み進める。内容はこう続いた。

女性は急に怒ったり、すぐに機嫌が直ったりと、一体何を考えているのか分からない場合が多い。その様子は、男性にはとても不可解に映る。
しかし、一つ確かなことは、女性は一生懸命な人に「特別な微笑み」を与えるということだ。
勝利の神様は、時に「女神」と呼ばれる。「特別な微笑み」を与えるのは、女神であり、つまりは女性だ。
「特別な微笑み」を手に入れるためには、女神様の望みに適う努力をしなければならない。

そして、こう締めくくられる。

女神様は一生懸命になった人を絶対に見放さない。でも、ちょっとだけ意地悪な女の子なんだ。「ちょっと苦労させてみたい」「もし、ちょっとだけテンションを下げても、この人はちゃんと一生懸命な姿を崩さないだろうか」。僕らは今、女神様に試されている。ツンデレ女神の「特別な微笑み」を手に入れるため、今は自分を、仲間を信じるしかない。

全てを読み終えた僕は、なんだか心が温かくなった。

けんたろう先生は、不安でいっぱいの生徒を、最大限のユーモアと強かさで後押ししようとしていた。先生らしさをこれでもかと詰め込んだ応援メッセージだった。

素敵な文章だと心から思った。
でも、やっぱりわからなかった。

どうして学級通信を僕に渡したんだろう…。

疑問形はカタチを変えることなく、疑問形のままだった。


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あれから6年の歳月が流れた2020年。

春の訪れがすぐそこに迫っていた、はずだった。

「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週月曜日から春休みに入るまで、臨時休業を行うよう要請いたしました」

未知のウイルスが招いた一斉休校。恐れていた事態が現実となった。

静けさに満ちた卒業式。尻切れトンボに終わった学級解散。始まらなかった学校生活。全員が揃わない分散登校。話すことが禁止された給食。中止が決まった運動会。

子どもたちの気持ちを知る由もない決断が次々と下され、その度に学校生活から楽しみが消えてゆく。
そんな辛い日々の中、けんたろう先生は子どもたちにあることを伝えようとしていた。

「3密って言葉が流行ったやん。これなんやけどさ…」

そう切り出し、画面越しのけんたろう先生がおもむろに腰を上げる。
白いチョークを手にし、深緑色の黒板に何かを書き始めた。


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コンッ、コンッ、ガス、ガス、コンッ。
黒板に擦れるチョークの音が、誰もいない夜の教室に響く。

「板書見える?」。けんたろう先生のオンライン授業が始まった。中学生へタイムスリップしたような感覚に襲われ、僕は思わず姿勢を正す。

「3密じゃなくて、『3見つ』を大事にしようって伝えててさ」

黒板には、「3つの“見つ”」と書き出されていた。

「人との関わりが少ない今だからこそ、自分を見つめる。手元にあるもので見つくろう。そして、楽しいことを見つけようって。学級通信でもそれを伝えた」

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3密じゃなくて、「3見つ」。なんて素敵なメッセージだろう。

「『今が苦しい』『今が辛い』って思うこともあるけど、それが全てではなくて、その先に明るいものがあると信じたほうがいい。3密も大事やけど、それだけでは面白さが消えてしまう」

先生の想いの強度はいつも声色に比例する。真剣な時ほど、声は強さを増す。でも、その強さの中に温かさがある。

けんたろう先生は、そういう先生なのだ。

そして、笑いながらこう付け加えた。

「でも、小学3年生には、すごく難しいことやけどね」


☆   ☆   ☆


小学3年生には、すごく難しいことやけどね。
その一言が、中学3年の記憶をよみがえらせる。

合唱が響き渡る北舎の廊下。手渡された学級通信。先生の「いいでしょ、それ」。ツンデレ女神が与える試練。ツンデレ女神が与える微笑み。カタチを変えずに横たわった疑問形。

21歳になった僕は、その意味が何となく分かった気がする。

あの時、けんたろう先生は、15歳の僕に真剣勝負を挑んでくれたのではないだろうか。
書くことに自信を抱いていた僕へ、勝負心を滾(たぎ)らせてくれたのではないだろうか。

「いいでしょ、それ」には、「君にいつか伝わる日が来ればいい」という願いが込められていたように思う。

ようやく辿り着いた答えが、「3見つ」と重なる。

まだ9歳の子どもたちに「3つの“見つ”」は、きっと伝わらない。先生が付け足した通り、理解するのはすごく難しいだろう。

でも、それでいいのだと思う。

9歳の彼らも、やがて過去という時間を持ち、新型コロナウイルスを「あの時…」と振り返るようになる。
その時、「3見つ」に込めたけんたろう先生の願いが伝わる瞬間が、きっと来る。

だから、今の彼らには伝わらなくてもいい。
伝わるのは、今じゃなくてもいい。

けんたろう先生は、コロナに直面した9歳の子どもたちに、真剣勝負をしていた。

寒さが増す師走の夜、僕の心はじんわりと温かくなっていた。


◇   ◇   ◇


2020年の新語・流行語大賞に「3密」が選ばれた。新型コロナウイルスと闘う1年だった。

静けさに満ちた卒業式。尻切れトンボに終わった学級解散。始まらなかった学校生活。全員が揃わない分散登校。話すことが禁止された給食。中止が決まった運動会。

声高に叫ばれた「3密」は、社会を根本から覆そうとしている。

一体、先行きの見えない闘いはいつまで続くのか。人と会えない苛立ちや、歩み手を伸ばしても触れられないもどかしさは、どうしたって募る。

だからこそ、けんたろう先生の教えがコロナ禍に響く。

僕たちは女神様が与えた意地悪な試練の中で、何を見つめ、何を見つくろい、何を見つけることができただろうか。

そして、来たる2021年。

僕たちは何を見つめ、何を見つくろい、何を見つけることができるだろうか。

長年、実家のトイレに貼っていたけんたろう先生の学級通信は、今も大切に保管している。

いつか子どもたちに「3見つ」と綴られた学級通信の願いが伝わる日を、そして、新型コロナウイルスが終息する日を、心から祈っている。

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