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「教職調整額」を増額しても「教員の働き方」は改善されない(後編)

 前回の記事では、
・中教審特別部会における検討のなかで、委員の多くから「時間外勤務手当(残業代)を支給することは、公立学校教員の業務になじまない」という意見が出された。
・たしかに、教員の時間外勤務を管理することには難しさがある。しかし、それができないと言ってしまえば労務管理を放棄することになる。
・公立学校教員以外の専門性がある職種では「残業代」が支払われている。
 ということを書いた。

 ・・・委員の多くが「残業代」の支給に否定的な意見を述べるなかで、妹尾昌俊委員の主張は他と異なっている。

 時間外勤務手当の支給に否定的な意見が相次ぐ中、妹尾昌俊委員(ライフ&ワーク代表理事)は、給特法の枠組みを維持して時間外勤務手当を支払わない状態を続けた場合について、「問題の一つは、時間外勤務の多くが教員の自主的・自発的な行為とされ、労働基準法上の労働に当たらないということだ。これを解決できない」と、鋭く指摘した。給特法の枠組みの中で、時間外勤務を教員の自主的・自発的行為とする解釈は、超勤手当の支払いを求めて訴訟を起こした教員側が敗訴する理由にもなってきた。

 妹尾氏は「例えば、土曜日や日曜日の部活動指導について、手当や旅費として公費が出ているにもかかわらず、時間外勤務命令を出したものではないという位置付けで、労働基準法上の労働ではないという、非常にちぐはぐな法制度になっている。こういうことも含め、本当にこれでいいのか、しっかり考えないといけないはずだ。教員を高度専門職だといくら言っても、時間外勤務を労働として認めないような制度のままでいいのか。これは対策を考えていく必要があるだろう」と続けた。

 ただ、公立学校教員に労働基準法を適用して時間外勤務手当を支払う案については「メリットとデメリットの両方がある」と慎重な見解を表明。「労働基準監督機関の在り方、勤務間インターバルなどの健康確保なども含め、いろいろな政策と組み合わせながら、より望ましく、副作用がより小さくなることを考えていく必要がある」と発言を結んだ。

2024年4月4日付『教育新聞』より

 私は妹尾委員の意見に大筋で賛成である。そして、給特法に基づく「教職調整額」の制度維持を主張する意見が大勢を占めるなかで、その制度の矛盾点を指摘されたことに敬意を表したい。

 本来ならば、こうした問題提起を踏まえて、給特法を擁護する委員と妹尾委員との間で議論が行われるべきだろう。しかし、中教審の会議の場合、各委員の意見は基本的に「言いっ放し」であり、対話的でないのが残念である。

 また、妹尾委員は時間外勤務手当(残業代)の支払い自体には「メリットとデメリットの両方がある」として慎重な姿勢を見せている。

 たしかに、「残業代」を導入しようとすれば、財源の問題やその運用を巡って様々な課題が出てくるだろう。慎重になることは理解できる。

 ・・・いずれにしても、「教職調整額」の制度を維持する方向に傾いている会議に、楔を打ち込んだことは間違いないだろう。


 そもそも、「教員の長時間労働の是正」は、学校や教育行政の関係者のみならず、国や自治体の財政部門や福祉部門、家庭や地域社会なども巻き込んで「総がかり」で取り組まなければ成就できないことだ。

 まずは、教員の定数増やサポートスタッフの配置、業務の外部委託や地域移管、ICTの導入などにより、教員一人ひとりの負担を軽減していくことが必要である。

 また、学校閉庁期間の設定や留守番電話の設置をはじめとして、取組の一つ一つは小さなものであっても、それらを積み重ねていくことも大切だ。

 さらに、カリキュラムを見直すことで授業時数を削減し、教員の放課後にゆとりを生み出す必要もある。次期学習指導要領の検討に当たっては、「削減」がキーワードにならなければいけないはずだ。

 そして学校自体も、行事、課外活動、公開授業、地域連携をはじめとする業務を見直し、スリム化を図るべきなのだ。

 だが、こうした業務の見直しに消極的な学校関係者は少なくない。なぜなら、何かを止めるということは、その何かを大事にしてきた人を否定し、対立や分断を生む可能性を孕んでいるからだ。

 また、何かを止めたり縮小したりすることが、教育活動の質や学校の安定性に影響を及ぼすことを懸念する関係者も少なくないだろう。何かを変えようとするよりも現状維持のほうが確実だし楽なのだ。

 特に校長のなかには、「働き方改革」はほどほどにして、教員の長時間労働には目をつぶりたいと考えている者が、正直に言って少なくないと思う。

 そうした校長の本音について、私自身の経験も踏まえて書いたのがこの記事である。

 ・・・こうした校長にとって、「教職調整額」の制度が維持されることは、事実上、長時間労働を含めた労務管理の負担から免れることができるので「渡りに船」なのである。

 それでは、「長時間労働の是正」に消極的な校長を本気でこの問題に向き合わせるためにはどうすればいいのだろうか?

 すぐに思い浮かぶのは、「時間外勤務の上限時間」を定めて校長にそれを遵守する義務を負わせ、出退勤時のIDカードによる打刻などによって教員の労働時間を管理させることだ。しかし、こうした施策が虚偽報告や記録の改竄などの不正を誘発することは、残念ながら実証済みである。


 4月15日付の『教育新聞』に、「教員の時間外勤務手当 なぜ中教審は否定的なのか」という記事が掲載された。これは、今回の中教審特別部会における議論の内容とその背景をQ&A形式で解説したものである。この問題に関心がある方は、ぜひ目を通していただきたい。

 この記事の中で、人材開発・組織開発を専門とする立教大学・中原淳教授による「解決策」が紹介されている。

 別の中教審特別部会の委員も務めた立教大学の中原淳教授(人材開発・組織開発)は教育新聞の取材に対し、「長時間労働是正の研究に取り組んできて感じるのは、『就業時間はここまで、これより先はお金(残業代)がかかる』というキャップ(上限)がなければ、絶対に成功しないということだ。今の時間外勤務の上限指針(月45時間、年360時間)だけでは難しい」「民間企業なら、残業代を支払わなければ労働基準監督署から是正勧告を受ける。そのようなサンクション(制裁)が掛かる仕組みが、長時間労働是正の大きなストッパーになっている。しかし学校にはそれがなく、実質、労働時間管理を行っている人がいない」と説明し、給特法については「廃止した方が良い」と答えています。

 この「解決策」は、民間企業などと同様に時間外勤務に対して「残業代」を支払う仕組みをつくることにより、結果的に残業(時間外勤務)を抑制しようとするものだ。

 現在、教員の給与は地方自治体が3分の2,国が3分の1を支出することになっている。もしも実態通りに、「1人、1日当たり平均4時間分」の残業代を支払うことになったら、国も地方自治体も莫大な支出をすることになる。そうならないように、各学校の校長に号令をかけて抜本的な業務改善に取り組ませることだろう。

 また、教員の定数増やサポートスタッフの配置も劇的に進むに違いない。トータルで見たら、全員分の「残業代」を支払うよりもそのほうが格段に安くつくからである。次期学習指導要領の見直しによる時数削減も確実に行われるだろう。

 ・・・無論、財務省をはじめとする関係者が簡単に首を縦に振るとは思えない。妹尾委員が指摘していたように「デメリット」もあるだろう。けれども、考えうる中で「教員の長時間労働の是正」を確実かつ劇的に進める方法は、これしかないと思う。


「教員の長時間労働の是正」が必要な理由の一つは、現職の教員たちを守ることである。そしてもう一つは、次世代の教員たちが働きやすいような環境を整えていくことだ。

 平成29年(2017年)に立教大学・中原淳研究室と横浜市教育委員会が共同で行った調査の結果の中に、こんなデータがある。

 これによれば、現在の仕事に「やりがい」を感じている教員は全体の78.2%いる。しかし、その仕事を「若い人に勧めたい」と考えている者は34.0%に留まっている。逆に言えば、およそ3分の2の教員たちは、自らの仕事を「若い人に勧めたいとは思わない」と考えているのだ。

 そのような仕事に未来があるとは思えない。そして、その割を食ってしまうのは、学校で学ぶ子どもたちなのである。


 ・・・仮に「教職調整額」が4%から10%に上がるとすると、今年度の東京都の場合には、
・教員(大卒)の初任給:265,100円
・増額(6%)分:約15,900円
 という計算になる。

 けっして小さな金額ではない。だが、次のようなデータもある。

 パーソル総合研究所が、2022年に20代前半(20歳~24歳)の若者を対象に行った調査によると、この世代が「仕事を選ぶ上で重視すること」として挙げているのは次の項目だ。

パーソル総合研究所「働く1万人の就業・成長定点調査2022」より

 1位が「休みが取れる/取りやすいこと」、3位が「仕事とプライベートのバランスがとれること」と、「教員の長時間労働」に直結する内容が上位に入っている。それに対して、「希望する収入が得られること」は4位に留まっているのだ。

 1か月当たり1万円~2万円程度の収入増があるからといって、過労死レベルの仕事が常態化している職業に、若者たちが進んで飛び込んでくるとは思えない。


 最後にもう一度くり返すが、
「教職調整額」を増額しても「教員の働き方」は改善されない
 ということは間違いないし、教員を志望する若者も増えはしないだろう。若者たちは自らの将来について冷静な判断をするはずだ。

 もしも、「教職調整額」を増額したことで教員を志望する若者が続出するのだとしたら、それは日本の「キャリア教育」が失敗だったということを意味するだろう。

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