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百卑呂シ随筆

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記事一覧

鬼になって、父が黙る

 大学時代に何かの折で叔父の所を訪ねたら、叔母と小さな子供が玄関に出て来た。 「あらこんばんは。お久し振り」と叔母は言ったけれど、子供の方は自分の顔を見るなり奥へ走って逃げた。  入れ替わりに叔父が笑いながら出て来た。 「やぁ久し振り。ごめんね、ついさっきまで、娘が駄々をこねるものだから、そんな様子だとナマハゲが懲らしめに来るよって、脅かしてたんだよ」 「ナマハゲ?」 「そうしたら、ちょうど髪の長い人が来たから、ナマハゲだと思って逃げたんだ」  叔父はいかにも面白そうに笑った

蛇と魂

 中学校三年生の時、先生に云われて校庭の傍にあるバレーコートの草刈り・草むしりをやった。  バレー部でもないのにどうしてそんなことをさせられたか、もう判然しないけれど、三年生全員がどこかの掃除を割り当てられて、たまたま自分がバレーコートのグループに入ったものだったろうと思う。  数人でだらだらやっていたら、一人が突然「おわ!」と大声をした。 「蛇じゃ!」  見ると確かに蛇がいた。ちょうど草を刈ったところに潜んでいたらしい。 「おぉ!」 「蛇じゃ!」  蛇も驚いたようで、コー

親子丼、寿司、ギリギリ

 ある時、ビリヤード仲間の小川さんが鶏を食いに行こうと誘ってきた。 「鶏? 何で鶏なんだね?」 「美味い店があるからに決まっているじゃぁないか」 「そんなに美味いのかい?」 「美味いさ」 「じゃぁ行こう」  当日行ってみると、他にもビリヤード仲間が都合十人ぐらい揃っている。恐らく全員、何を食っても「美味い!」と言うようなタイプである。  全体、鶏を食うのにどうしてこんなメンバーを集めたものか判然しない。ことによると、鶏を食ったらビリヤードが上手くなるのかも知れないと思ったが、

インチキと進退

 ↑この続き。  小三で剣道を習い始めたけれど、一向面白みを感じない。むしろやりたくない。それでもやらなければ怒られるので渋々続けていたら、じきに道場がインチキだとわかった。  同じ道場の川崎が家で練習しているのを親父さんが見て、よほど呆れたのだそうだ。 「川崎さんのお父さんが、『見たこともないやり方だ、野武士の流派だ』って言ったんだって」と母が言う。 「剣道に流派があるんかいね?」 「知らないけど、川崎さんも剣道やってたそうよ」  インチキだったらやってもしようがない。

剣、迷惑な友人

 小学校3年生の時、母と体育館の側を通ったら、開いた扉から剣道をやっているのが見えた。 「やってみたい」  全体、自分がどうしてそんなことを言ったものかは判然しない。恐らく竹刀で誰かを叩いてみたいというぐらいだったろう。剣道をやりたいとは全く思っていなかった。これははっきり覚えている。  数日後、母が町内の道場を見つけて来た。 「この前、やってみたいって言ってたでしょ。明日、学校の後で行ってみるよ」 「え」  その時分、母には津村さんというママ友がいた。   津村さんは大い

金魚と死

 小学生の時分、上野のところで一度金魚を買った。上野の家は観賞魚店だったのである。  赤い和金を買った。水槽からすくう際、上野が誤って一匹を排水パイプに落とした。 「あいつ、どこに行くん?」 「さぁ?」  落ちた金魚がこれからどうなるのか、考えたら、何だか怖くなった。  買った金魚は小さな水槽に入れておいたが、じきに死んだ。庭の池に放してやればよかったのに、窮屈なところに閉じ込めて悪かったと思う。  十年ばかり前、商店街の祭りで金魚すくいをやったら随分捕れた。妻と二人で二

禁煙の方法

 先日、スーパー銭湯のカウンターでセブンスターが六百円で売られているのを見て、随分驚いた。こんな値段では、貴族でなければ喫煙なんてできるものではないだろう。  二十歳で胃を悪くして、暫く酒と煙草と胃に負担のかかる食べ物を禁止されたことがある。その後、酒と食事はじきに解禁されたけれど、煙草だけはずっと禁じられたままだった。  それから一年ちょっと経過して、自動車教習所へ通うことになった。  最初に申し込みに行くと、早すぎて担当者がいないから一時間後に来るようにと受付の女子が云

病、責任

 二十歳の五月、土曜の夜中に腹痛が随分ひどくなり、翌日、体を「く」の字に曲げながら休日診療所へ行った。  出された痛み止めの薬を飲んだらすぅっと痛みが引いたけれど、「胃潰瘍かも知れない。明日になったらきっと内科で検査を受けてください」と医師から言われた。  そんな大仰な病名を言われると、不安になっていけない。事によると入院することになるんじゃないか知ら。明日は午後から学校内でライブに出ることになっているから、甚だ気がかりだ。  それで医療センターから帰ってすぐ、バンドリーダー

蛙おばさん

 家の周りに田圃が多いから、近頃は夜寝ようとすると、外から蛙の声が随分聞こえる。  蛙という生き物は気持ち悪くて好きじゃないが、夏の夜に蛙の合唱を聞くのは好きだ。郷里の家も寝る時には賑やかに聞こえていたから、何だか幼い頃に戻ったような不思議な心持ちになる。そうして人生の最後についてぼんやりと思いを巡らせる。  気付いたら子供に戻っていて、日が暮れるまで外で長田や飯田やヨシコさんと遊び、晩ごはんの後で風呂に入り、両親が隣の部屋で話しているのを聞きながら、眠りに落ちる。窓の外から

後悔

 近頃、社内の別オフィス間を行ったり来たりが多い。  先日も朝はAオフィスへ出社して、じきにトミーとBオフィスへ移動した。車で小一時間かかる距離なので、どうも時間が勿体ないが、どちらへも用事があるのだからしようがない。  運転しながらトミーが「百さん、昼、ちょっと早めにラーメン食って行きませんか?」と言った。時計を見ると11時過ぎである。 「昨日の店、リベンジしたいんですよ。この時間だったらまだ並んでないと思うんで」  前日にも移動中にラーメン屋へ寄ったのだけれど、随分な行

忘れられない菓子

 小三の時、隣の校区まで松岡と福田と自転車で遠乗りした。校区外へ子供だけで出ることは禁止されていたから、随分どきどきしたのを覚えている。  福田と自分は、現地の子供らに見つかって絡まれたら先に叩きのめそうと決めていたけれど、松岡はそんなことは考えもしないようだった。  全体どこまでが校区内だったか判然しないが、延々走って行ったら隣の小学校近辺に出た。当時は初詣の時ぐらいしか足を踏み入れなかったエリアである。  いつどこから「こらぁ!」と怒られるか、或いは「お前ら、第三小じゃ

存在の痕跡

 高校時代に通った塾で、古文の先生がある時「本屋の参考書は、自分の本ぐらいに思ってどんどん読んだらいいんだ」と随分乱暴なことを言い出した。知識を得ることに、もっと貪欲になれということだったろうと思う。  生徒らが「えぇ!」と云ったら、「何なら名前も書いたらいい」と愈々無茶を言う。これもきっと、そのぐらいのつもりでいけということで、本当に書けという意味ではなかったろう。  先生がそう云うのならと、その日から塾帰りに駅前の本屋で片っ端から参考書をぱらぱらやり始めた。さすがに名前

防犯、格好いい先輩

 娘が、小学校から使っている防犯ブザーを直してくれと持って来た。試しに鳴らそうとしたら音が出なかったのだそうだ。   自分が子供だった頃には防犯ブザーなんて誰も持っていなかったけれど、今はみんなが持っている。時代が進んで悪いやつが増えたのかと思ったけれど、悪いやつをメシのタネにする人が増えたのかも知れない。  小学生の時分に近くの公園で連れ去り未遂があった。隣家のお姉さんが謎の男に腕を引っ張られたのである。友達も一緒になって手を振りほどき、家まで走って逃げ帰ったそうだ。

犬と戯れる

 どうかしたはずみに、人から仔犬を預かることになった。先方ではくれるというのを、飼えるかどうか暫く試しに預かってみることにしたのである。  犬を入れる箱がないからタオルに包んでカバンに入れた。そうして電車に乗って帰ってきたけれど、自分は体調不良でそのまま寝込んでしまった。  翌日、熱が高いようだから、行きつけの医院で検査をしてもらった。以前コロナにかかった時もそうだったけれど、別室で随分待たされる。待つ間に座っているのも辛いから、勝手にベッドに寝ていようかと思ったが、オオゴト