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人生が充実することは決して楽しいの連続ではない、と思ううつ病を治した人

模造紙という言葉を初めて聞いたのは小学生の時だった。もぞうし。なにそれ? と思って、小学生では模造という漢字があたまに思い浮かばず、もぞうし? となった気がする。
大人になった今、模造の意味が分かるかというと、わからない。無造作? ちがうよな。
模型と造形がなんか関係しているような言葉だから、そんな意味か。まあどうせ自分じゃ使わないし。
模造紙、なんか、でかい紙。色のついた。
それは小学校の研究発表なかで使うような。
みんなの夏休みの研究をぺたぺた貼って教室後方に貼っておくような。
AIに聞いてみた。
“模造紙(もぞうし)は、主に学校やオフィスで使われる大きな紙の一種です。この紙は一般的に白または色付きであり、図やグラフの描画、ポスター作成、プレゼンテーションの資料など、様々なクリエイティブな活動や教育目的に使用されます。質感は比較的厚く、一般的なコピー用紙よりも丈夫です。教育現場でのグループ作業や発表、工作などによく利用されるため、多くの場合、大きなサイズで提供されます。”
なるほどほとんど学校でしか見ないはずだ。私は仕事はIT多かったし、紙少なかったから。
そんな私も、過去にうつになったことがありました。苦しいよね。
と思う2024年4月26日11時47分に書く無名人インタビュー735回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは しもん さんです!

年齢:40代前半
性別:男性
職業:睡眠とメンタルのカウンセラー

【無名人インタビュー】うつ病と克服。自分の人生を振り返る

ひつじは眠る。 | 睡眠が気持ちよさに変わる

『眠れない理由を知って 眠れる方法を知れば 安眠。』


現在:今まで気づいてなかったことに気づくのがすごい嬉しくて

のどか:
今どんなことをされている方でしょうか。

しもん:
そうですね。現在は睡眠健康指導士という資格を持っていて、メンタルと睡眠についてのカウンセリングとセミナーであったりだとか睡眠であるとか、子供向けの眠育のセミナーですね。
あとはYouTubeであるとか、あとKindle出版であるとかそういった書籍を書いたりだとかしているというところですね。

のどか:
その活動はいつからされてらっしゃるんですか。

しもん:
それぞれちょっとタイムラグがあるんですけど、YouTube自体が3年前ぐらいから始めていて、カウンセリングもそれより少し前から始めているっていうところで、そこから徐々に本を出したりだとか、見直し始めたりだとかっていうふうに、順々にやっているってところですね。

のどか:
睡眠健康指導士っていう肩書きを持って活動され始めたのはいつごろになりますか。

しもん:
そうですね、この上級睡眠健康指導士という資格になるんですけど、資格を取ったのが去年の夏だったと思うので、資格をもとに仕事をしているのは、去年の夏からというところ。

のどか:
なるほど。その資格について、簡単にどんな資格であるとかっていうところを説明いただいてもいいでしょうか。

しもん:
なるほど、そうですね。睡眠健康指導士っていうのはもうその名の通りでして。健康に睡眠をどのようにアドバイスをしていくかという睡眠のアドバイザーというような形のものですね。今現代的に不眠症であるとか睡眠の問題を抱えてる方って結構いらっしゃるので、医療の前にどういった要望があるかであるか、医療にかかってない人の睡眠をどのようにするかという位置づけのもとで活動しているっていう形ですね。

のどか:
ありがとうございます。どうしてその資格を取ろうと思われたんですか。

しもん:
なるほど。そうですね。僕がそれこそ初めにカウンセリングの仕事をしていて、そのときにメンタルだったり、あと僕が不眠症をずっと幼少の頃から抱えていたので、それは自分で改善はしているんですけど、そういったことをお伝えしていくと、そのYouTubeだったりだとか、相談くださる方が、その睡眠についてのアドバイスを欲しいっていうお話をいただきまして。
僕自身も個人でいろいろ調べて、海外の論文であったりだとか、あるいは睡眠の本だったりとかで勉強していたんですけど、人に相談に乗るときっていうのはある程度網羅的に、知っておいた方がより詳しく説明わかりやすくできるだろうなということで、それで取ったという感じですね。

のどか:
需要としては年代が下の方から上の方まで幅広くあるものなんでしょうか?先程子どもに向けたセミナーとおっしゃっていたので。

しもん:
そうですね。問題自体はそれこそ子供から高齢者まで、あるんですけれども、子供であればどちらかというと子供自身というよりは、親が抱えているっていうところのもの。寝つきが遅いだったり、睡眠時間どれぐらい取ればいいのか、あるいは睡眠不足になってしまったらどうなるのかっていうところがあって。

のどか:
なるほど。今の睡眠健康指導士っていう肩書きで活動される前は、カウンセリングをされてたっていうことであっていますでしょうか。

しもん:
はい、あってます。

のどか:
私が最初に自己紹介を依頼した際、初めにその睡眠健康指導士っていうところを紹介されたと思うんですけど、それはどうしてでしょうか。

しもん:
なるほど。自己紹介のときに一番わかりやすいかなということで。

のどか:今もカウンセラーとしても活動をされてらっしゃる。

しもん:
そうですね。メインはカウンセリング、カウンセラーとして活動していて、YouTubeではメンタルコーチという名乗り方をしているんですけど。全般的なカウンセリングに乗ることが多くて。お話聞いて、整理させていただき、問題解決をしていく、あるいはどのような道を辿っていくかっていうところをアドバイスすることもあるし、お医者さんとの話し合いの中でこのお医者さんはおそらくこういった意味で言っているから、お医者さんとの調整はどのようにやっていこうかなっていうところの橋渡しみたいなカウンセリングをしたりだとか。

のどか:
そういったカウンセリング自体はいつからされてらっしゃるんですか。

しもん:
そのカウンセリングを3年前の夏頃から始めていって、でしたかね。

のどか:
お仕事としては、ずっとカウンセリングをされているわけではないんでしょうか。

しもん:
そうですね。

のどか:
カウンセラーになる前はどういったことをされてたんですか。

しもん:
カウンセリングの仕事をし始めたのは3年前なんですけど。それまではフリーランスで動画編集の仕事をしたりだとか、あとはホームページ制作の仕事をさせていただくっていうところでしたね。

のどか:
結構仕事としては異なる路線になるんですね。

しもん:
そうですね。

のどか:
その動画制作だったりから今のカウンセリングに移行されたのはどうしてなんですか。

しもん:
そうですね、僕が元々その35歳ぐらいまで鬱病で寝たきり生活であったりだとか、不健康状態なことがずっと続いていて、そこからフリーランスになってホームページ制作とか動画編集というのを始めたという流れがあるんですよね。
その中で、お仕事をしていくときにいろんな人からちょっと相談に乗ってほしいというお話がいくつかあって。それこそ睡眠の問題だったり、メンタルの問題だったりだとか。僕がそのうつ病を克服して立ち直って健康的にいるっていうところも含めて相談だったんですけど。
相談に乗っていくと、だんだん相手の方が最初は、この観葉植物がちょっと映ってると思うんですけど、頂いたりだとかその物でいろいろこうなんか、何だろう、お返しをしていただいていたんですけど、それだと何か相手がすごくお金を払わないとちょっと何か相談しにくいみたいな話もいろいろあって。お仕事としてやってみようかという、何か途中から徐々にというか、いつの間にかっていう感じではあるんですけど。

のどか:
それを仕事をとして始められる前は、どれぐらいの方からご相談を受けてたんですか。

しもん:
そうですね多分、全部の人数でいくと200人ぐらい。

のどか:
お仕事として確立される前から、200人ぐらいの方からご相談を受けてたっていうことですか。

しもん:
そうですね。相談がメインではないところから相談に繋がったりだとかも、動画編集のスキルちょっと教えてくださいっていうところから、今健康のこういうところがとか、仕事で集中力が切れてしまってどうしようであるとか、実はうつ病抱えてるんだであるとかいう形で流れてきているので、この200件が全てメンタルっていう感じではなくて、仕事の相談も含めてですね。

のどか:
その頃ご自身でそういった内容、ご経験とかは発信されてたんですか。

しもん:
そうですね。発信はしていなかったんですけど、当時は。ツイッター、今でいうXですね。ツイッターでちょっとそういった話をしていたんですけど、誰かの相談に乗ったらその方が連れてくるっていう形。そういった話をしてると、その連れてくる方も連れてこられる方も最終的には無料だと申し訳ないっていう流れもあって、というのがさっきの話の繋がりなんですけど。

のどか:
200人の方からご相談を受けるってなかなかないことだと思うんですけど、何かその理由とかって考えられるんでしょうか?

しもん:
理由、その相談に来てくださる理由みたいなことですね。

のどか:
そうですね。

しもん:
そうですね。相手が思ってることなので正確にはちょっとわからないんですが。
相手視点に立ってお話を聞くってすごい基本的なことをしてはいるんですけれども、それがすごく響く方が多いっていうのがあって。それこそ泣かれる方も結構いらっしゃったりだとか、何だろう。なんでリアルで傾聴というものを初めて味わったみたいなことをよく言われることはありますね。

のどか:
それは傾聴が珍しいからなんでしょうか?

しもん:
そうですね。おそらく一般的に傾聴というのが相手の話を聞くっていうのがもう傾聴という風に思われてる方が、多いのかなっていうのがあるんですよね。ただ傾聴っていろいろ種類がひょっとしてあるのかもしれないんですけど、僕がその知っている傾聴というのは基本的な自分っていうものをまず置いといてっていう話になるんですよね。自分の中で相手をどのようにアドバイスをするかであるとか、相手をどのように導くかであるとか、この相手がいい、この相手が悪いっていうふうに考えるのではなくて、ひとまず相手の話を聞いてってこれはどのように思ってるのとかっていうふうに、相手視点で問題解決していく。っていうふうにするというのが、結構目新しい方が多かったみたいです。

のどか:
何かご趣味とかってありますか。

しもん:
そうですね。趣味としては何か運動したりだとか。ランニングすることが多いんですけど、体を動かすというのが今結構趣味になっていて。あとは温泉に行ったりだとか、美味しいものを食べたりだとか本読んだりだとか、ちょっととか映画とかアニメ見たりだとか。
オーディオブック聞いたりだとかっていうのが好きですね。

のどか:
一番時間を使われてる趣味としては何になりますか。

しもん:
そうですね。でもオーディオブックになると思います。時間でいくと。

のどか:
どうして読む方ではなく、聞く方法を取られているんでしょうか。

しもん:
そうですね。僕が元々目がとても疲れやすいというのがあって。お仕事でパソコンと向き合うことが多いので、ちょっと使いたくないなというのがあるのと、あまり文字を読むのが得意ではなくて。本を読むこと自体はできるんですけど、なんだろう、1行2行3行4行と読むのがすごい苦手で、なんかこう、文字と文字を拾ってそれをリンクさせて読むっていう読み方をちょっとするんですけど、それが結構頭が疲れるっていうのがあるのと、すごく耳がいいので、耳で何か学ぶとすごく身ににつくというか。小説であればストーリーに入れるっていうのがあるので、そういう形にしているところです。

のどか:
最近どんな本を聞かれましたか。

しもん:
最近はですね、STっていう、ミステリーの小説とかをずっと聞いているっていうところ。警視庁科学特捜班っていう、ドラマになったものなんですけど、その小説を聞いているのと、あと何だろうな。行動経済学系のものを少し聞いていたというぐらいですね。

のどか:
周囲の方、ご友人であるとかご家族からはどんな性格であるっていうふうに言われることが多いですか。

しもん:
どんな性格。なるほど。そうですね、優しいとはすごく言われるっていうところと、あと何だろうな。
何か楽しく生きてるよねっていうふうな言い方をされることが、最近は多いっていうイメージですね。あとは何か、言葉を正確に使おうとする癖があるよねとか、ちょっと理屈屋だよねであるとかは、言われたりすることがある感じですね。

のどか:
ご自身ではそう言われることについて、どう思っていらっしゃいますか。

しもん:
そうですね。そのように見えるんだなというような感じぐらいですね。

のどか:
うつ病でっておっしゃってた時期もあったと思うんですけど、その時期から性格には変化がありましたか。

しもん:
そうですね。個人的には、その根本的な部分は変わってないという感覚はあるんですけど。やはりこうして人とお話ができるようになったりだとか、あと今でも別にネガティブ思考かなと自分では思うんですけど、楽しい時間っていうのはものすごい増えていたり、要は、ネガティブなものも楽しめるように今はなっているので、この辺りはちょっと性格というのかどうかわかんないんですが、結構自分の中では変化は大きいですね。

のどか:
今生活されてる中で一番楽しい瞬間ってどんな瞬間でしょうか。

しもん:
なるほど、そうですねちょっとマニアックな話になってくるんですけど。

のどか:
全然大丈夫です。

しもん:
今まで気づいてなかったことに気づくのがすごい嬉しくて。例えば体の動きであれば、今まで足、例えば、足で走るときってこう走ってるだけの印象だったんですけど。この足の動きって実は外回りの外旋の動きと内旋の動きがこう関わって動いてるんだみたいな。体のこの骨の仕組みを体験しながら、体を動かすっていうのがすごい楽しかったりだとか。あるいは、こういった植物を見たりとかしたときも、やっぱりざっくりこういった植物を見ていたっていう感覚だったんですけど、葉っぱってこういうふうになっているんだっていうのがすごいクリアに見えるのがすごい楽しい。
何か人の声って今まで、何だろう、その人の声って単にその人の声って捉えていたんですけど、その瞬間瞬間というか、同じ人でも、昨日と今日では結構違うんだな、声音とか感情とか。っていうところに、今がすごいクリアに見えていくっていうところがすごい楽しい。
すごい些細なことが。

のどか:
それは、意識して違うこととか新しい要素を見つけてるんですか。

しもん:
ちょっと難しいですねそれは。以前は意識していたような気はするんですけど、最近はふと気がつくっていう感覚が強いですね。

のどか:
逆に今一番生活をしている中で、苦手な場面ってありますか。

しもん:
苦手な場面ですか。そうですね。
先ほど言った通り耳がすごいいいので、騒音だったりだとか。あとなんだろう、ガラスを引っかくような音みたいな。ああいったものが外でも聞こえると、ちょっと敏感に反応したり、とかっていうのは結構あるかなぐらいです。
あとは、なんかイメージ力が強くて。誰かがこうなんだろう。誰かがなんか、腕打ったんだよね、擦り傷できたんだよねみたいな話をすると、痛みを感じてしまうというか。そういったものが結構困るところはありますね。

過去:生きていくしかないなと思ったときに、その時ようやく冷静に考えるようになって。

のどか:
野上さんはどんな子供でしたか。

しもん:
そうですね、皆さん、何歳ぐらいの話をされますか。

のどか:
記憶が残っている一番古いときの話をされる方もいらっしゃいますし、ざっくり幼少期っていう形でお話される方もいらっしゃいますね。

しもん:
なるほど、そうですね。幼少期からちょっとお話をしていくと、自分が思うに、すごくいい子だったんだろうなっていう記憶は自分である感じですね。
母親の家事の手伝いをしたりだとか。家族が喧嘩していたそれを何か取り持つように、自分が楽しくないんだけれども。僕三男坊なんですね、3人兄弟で。一番年も離れた弟だったので、僕が何か明るく振舞って笑顔にしていればみんな喜ぶんだろうなっていうふうな、何だろう、そういった何か空気を読んで動くいい子みたいなイメージが、自分の中では強いですね。

のどか:
それは家族の中だけだったんでしょうか。

しもん:
そうですね、家族の中でもそうですし、幼稚園とか小学校でもそういった雰囲気が自分の中でありましたね。人を何か笑わせたいみたいな感覚が、当時強かったのかなとすごく思います。

のどか:
それはいつまで続いたんですか。

しもん:
小3小4ぐらいですかね。

のどか:
そこには明確に転機というか、そういったものがあったんでしょうか。

しもん:
そうですね、そこで両親が離婚して。そこからが結構大変な生活になったので、そこから何か、こうなんだろう、独りよがりというかすごく攻撃的な人間になったのかなと自分では思ってます。

のどか:
攻撃的になった理由だとかってお伺いしてもいいでしょうか。

しもん:
大丈夫です。攻撃的になったっていうところは、ひとまず結構しんどい生活でして。
母親が家から出て行ったんですけど、お母さん子だったんですよね。両親はどうもそのように思ってはいなかったそうなんですけど。
である日、何も言われずにお母さんがいなくなっていて、それがすごくショックで。その次の日、その日からか。父親が料理をするわけなんですけど。父親は料理をろくにしたことがないので、それこそカップラーメンであるとか。あと卵焼きも何かその味がついてなかったりとか。
父に育てられてから中学校高校ぐらいに気づいたのが、だしっていうものを当時知らなくて。味気ない味になったりだとか。
あと父親がすごく体面を大切にする方だったので、離婚したことを誰にも言っちゃいけない、お母さんがいるっていうふうに言いなさいっていうのを、僕は結構やってしまって。友達にもなんか、うちはいい家族だよじゃないですけど、離婚してはないよって話をしていくと、やっぱりこう、友達が僕の中で信用できなくなってしまう。僕が嘘ついてるので、相手は嘘の僕を見ている。そして僕が信じられなくなってくるという、変な悪循環になってしまう。
そうなってきてだんだん、理解されないっていうしんどさが何か攻撃というか、口の悪さに出てしまった。むしろそうして人を遠ざけた方が楽だったっていうのもあったりしたんですけど。虚勢を張っていたのかもしれないです。すごい弱い存在だったので。

のどか:
それがその小学校3、4年生から大体いつ頃までになりますか。

しもん:
その性格がというところがですね。

のどか:
そうですね。

しもん:
となると、長すぎでしょうとなるかもしれないんですけど、33、4歳ぐらいまででしょうかね。

のどか:
なるほど。そうなると友人関係っていうのも小学校3年生から、35歳までずっと同じような感じでしょうか?

しもん:
そうですね。大体友達が全くいないって感じでもないんですけど、深く付き合うことがないので、いてもいなくてもいい存在みたいな形になることが多い。
仲良い友人も3、4人ぐらいいたんですけど、2〜3人。おそらく相手の人は、僕のことをこうよくわかっていない。で、僕はいつもなんか、ちょっと過激なことを言うみたいな。癇癪持ちだなという形で多分見ていたのかなと。
っていうのがずっと続いてて、浅い人間関係をずっと続けてきたというイメージが自分の中ではありますね。

のどか:
ちなみに言える範囲で結構なんですけど、過激なことって例えばどんなことになるんですか。

しもん:
過激と言ってもそんな過激なことではなくて、なんだろう。ツンデレみたいな発言ですよね。自分はなんかしもんと仲良くしたいよ、みたいなこと言われても、いや俺はお前なんてあんま好きじゃないしみたいな。そういうようなことが積み重なっていくとか。
あと何かあのボディータッチ的なものも、何かちょっと強めの、なんか大阪の人がやるような。大阪の人に対する偏見かもしれないですけど。なんかばしっみたいなっていうのをすごいやってしまうたちだったので。

のどか:
その時はご兄弟と一緒に暮らされてたんですか。

しもん:
兄弟もいつ家からいなくなってるか正直わかんない家庭だったので。いつの間にか1人だったり、3人兄弟の2人目は、お母さんとともに多分一緒にいなくなっていたような記憶があるんですけど。
一番上の兄はずっといたんですけど、兄も父親のことがものすごい嫌いだったので、大体家にいないか、自分の部屋で何か遊んでるみたいな。
なので、兄が結婚して出て行くときも、いつ出て行ったんだろうというのがちょっとわかんないレベルだったりしましたね。

のどか:
その当時、家族ってどんな存在でしたか。

しもん:
家族。父親に対しては何かすごく憎しみの対象というのが大きくて、何か鏡とか見て例えば父親の面影とかを、それこそ高校生大学生大人になるにつれて、ある程度見えてくるんですけど。鏡に向かって。ちょっと似てるなてなってくると、もう顔面かきむしりたいというか、何か血を全部出したいみたいな欲求が出るぐらい、父親のことがすごい当時は憎しみの対象で。
次男に対しては、次男はもうなんかほぼ疎遠だったので、ずっと。兄貴だなぐらいな感覚というか、あまり家族という感覚はなくて。
長男に対してはすごくそのときから信頼と尊敬があって、結構離れてたりもしたんですけど、僕にとって何か父親代わりみたいな人が長男だったので、そこに対する信頼があるぐらいですかね。他の人は、今でもちょっと家族っていう感覚がちょっと薄れてるというか。

のどか:
今は交流はあるんですか。

しもん:
交流はあります。ありますというか、長男とあるっていうところが母親ともあるっていうところと、次男はたまにあるっていう。2番目ですね。父親は数年前に亡くなっているので、そこはないというところですね。

のどか:
ありがとうございます。ちなみにその後、中学高校の主な記憶ってどういったものになりますか。

しもん:
そうですね、中高はすごく、なんだろう、人間不信になっていて。学校も例えば何か、週に2、3回休むぐらいなイメージで。
中学校2年生のときは多分、1年は言い過ぎですけど1学期2学期と3学期ちょっとぐらいはもう不登校状態になっていて。なんだろう、なんかずっと家にこもって、それこそ引きこもりですよね。引きこもってずっと同じゲームをずっと繰り返すか、取ったアニメをずっと繰り返して見るかみたいな。
そういうような生活のイメージで、あと高校になったら学校に行くようにはなっていたので、麻雀を覚えて、そこでちょっと2、3人の友達ができて、そこでちょっと交流をしていたというイメージですね。

のどか:
麻雀ってどなたから教わったんですか。

しもん:
長男ですね。

のどか:
高校出た後の進路ってどうされたんですか。

しもん:
高校を出た後は1年浪人して福祉の大学に行ったんですけど、そこは中退しているというところですね。

のどか:
その大学を選ばれた理由伺ってもいいですか。

しもん:
なんかすごくしょうもないんですけど、なんか当時はもう本当無気力になっていて。その福祉大学っていうのは偏差値が低めだったんですよね。
試験受けなくても入れるみたいな。センター試験は受けなくちゃいけないけど、2次試験はもう受けなくてもパスみたいな。だったので、もうここでいいやという感じで、そこに入ったんですけど、やっぱそんな感じなので全然モチベーションも上がらなくて、途中でやめたっていうところですね。

のどか:
大学に行くっていう選択肢を選ばれたのはどうしてだったんですか。

しもん:
当時は僕って、自分で自分のことを考えることが本当にできなくて。なんかみんな大学に行ってるから大学に行かなくちゃいけないんだろうなという、本当それぐらいなレベルですね。

のどか:
中退された後はどのように過ごされてたんですか。

しもん:
中退した後は、ちょっとコンビニのバイトを当時していたので、バイトをしながら、就職をして。ちょっとIT系というか、なんかこう、コンビニやスーパーに置いてあるあのレジがあるじゃないですか。
レジのシステム管理などをしている会社にちょっと勤めて、そっからちょっとうつ病とは診断されてないけど、うつ症状でまた会社を辞めて、2、3年多分無職だったのかな。
みたいなときがあって、NTTのコールセンターに入ってっていうふうな流れで過ごしていた、というところです。
29歳のときにうつ病になって会社を辞めたというところです。

のどか:
うつ病になった理由とかってお伺いしてもいいでしょうか?

しもん:
そうですね。これは病院の先生にもよく聞かれたんですけど、僕の中でうつ病になった原因っていうのが、きっかけか。というのはなくて。
それこそもう中学生の頃から、僕の中では無気力症状で、体が泥のように重い、お風呂にも入れない。何か食事もできないっていうときはずっとあったので、僕にとってうつ病って結構人生の大半を占めるものだった。
なので、きっかけと言われても両親が離婚したことぐらいかな、みたいなことしか言えないレベルでは正直あるんですよね。

のどか:
そこから克服してっていうことだと思うんですけど、そこまでの経緯とか、お伺いしてもいいでしょうか?

しもん:
そうですね。
その29歳から35歳の間までの話をすると、29歳で、僕はうつ病でもあったんですけど、双極性障害というものを診断されて。いわゆる躁うつ病ですね。高まったり下がったり。
っていうって言うのに診断されていたんですけど、当初病院に通いながら、それを治療しようというふうに思っていて。
その時もまだ自分で考える力がなくて。とりあえず病院に行って、とりあえず病院の先生に直してもらおう、直してくれるだろうとか思いながら、毎日を送っていて。
その中で、先生がちょっと高圧的な方だったので、なんか病院に行くのが嫌になったりだとか、うつ病は全然治っていくところがどんどん悪くなっていくし、とか。
このままだと仕事もできないだろうなであるとか。、それこそ、何だろう、うつ病になる前から仕事がかなりしんどかったので、うつ病も治っていかないし、うつ病を治しても自分は駄目なんだろうなっていう絶望感が、当時はすごいしんどくて。
だんだんもうずっとベッドの上で過ごすだけの生活というのが続いて。それが29歳から33、34歳ぐらいまで。

のどか:
そこからフリーランスのお仕事をされてっていうことですよね。

しもん:
そうですね。34歳で、ちょっと自殺未遂的なことをしてしまって。そこで自分の中で大きな転機だったんですけど、そこでちょっと自分のことは自分で何とかしなくちゃなっていうことをようやくそこで考えられるようになって。
なんか心理学を学んだりだとか、なんだろう、うつ病直すっていう方法が当時全然わからなかったので、だったら今の生活を少しでも良くするためには、どんな方法があるかなっていうのを考え始めていって。
35歳ぐらいには、そういったうつ病という症状がなくなってきて。体力がすごい落ちていたので、うつ病という症状がなくなっても、座るのもしんどかったんですけど、当時は。
その中で外に出て仕事はできないだろうなということで、おそらく最初は何だろう、ライターの仕事みたいな安い仕事を少しし始めて、双極性障害って結構重い障害と認定はされてはいるので。フリーランスの仕事プラス障害年金っていうのが出るので、それで生計を立てていたというところです。

のどか:
自分のことを自分でどうにかしなきゃっていうふうに思われたのは、何か理由とかってあるんですかね。

しもん:
そうですね。自殺未遂をしたときに、結局、死ねなかったっていうのが自分の中では大きなことでして。
その時に死ねないっていうことになると、逃げ道がないなと思ったんですよね。生きていくしかないなと思ったときに、その時ようやく冷静に考えるようになって。
今まで何か病院に行けば治ると思っていたけど、この5年で全然良くもなっていないし、むしろ悪くなっていると思って。病院に頼っていくっていうのは、ものすごいギャンブル的な考えに今はなってるんじゃないかと思って。
病院に通うとしても、病院の先生ときちんとコミュニケーションができるように、お話ができるスキルを見につけた方がいいなであるとか。疑問に思う力であるとか聞く力であるとか、そういったものを手に入れて、お医者さんからも情報を聞き出して、なぜこの薬が良いのか悪いのかっていう話も、ちゃんとなんだろう、お医者さんに直してもらうではなくて、お医者さんと自分で一緒にこの問題を解決していくってやらないと駄目なんだろうな、と思って。
あと、お医者さんといっても月1ぐらいしか会えないので、日常の時間の間で自分でできることはないかっていうところで、さっき言った心理学のセルフコンパッションって言われるものがあるんですけど、そういったものだったり、瞑想関係のマインドフルネスであったりだとか。
あと何か朝散歩がいいっていう情報だけは当時知っていたので、朝散歩を自分はどのようにしたらできるかなっていうのを、工夫を重ねてちょっと習慣化したりだとか。っていうのをやっていったって感じですね。

のどか:
今伺った人生の中で転機を置くとしたら、いくつあっても大丈夫なんですけど、どこになりますかね。

しもん:
そうですね。悪い意味で言うと、小学3年生の両親が離婚したときが一つの転機だなと。もう一つは不登校になった中学2年生のとき。これも自分の中で大きな転機だなと。そこからもう授業に全くついていけなくなったのが、自分の中で大きなコンプレックスになったので。
隠れた転機でいうと、20歳ぐらいのときに哲学にはまっていたときがあって。そのときに哲学的な思考を学んだのが、うつ病を改善していくときにそのときようやく役立ってくれたであるとか、あとは先ほど言ったネガティブなようでポジティブな転機というと、自殺未遂によって、自分で何とかしなくちゃいけないって気づけたこと。

のどか:
色んな時期があったと思うんですけどそれを踏まえて、今の生活ってご自身でどう思っていらっしゃいますか。

しもん:
そうですね。今の生活をどのように思っているか。楽しいというよりは充実っていう言葉がすごい近いのかなと。

未来:積み上げていったら自分ってどこまで育てられるのかなっていうのをすごいやってみたくて。

のどか:
これから5年後10年後、死ぬところまでイメージをされたときに、何かどういうふうになっていくと思われますか。

しもん:
そうですね。
僕が今すごく大切にしているのが、自分の感情と感覚を大切にして生きていこうとすごい思っているので。今後の未来も、何だろう。基本的には何か新しいこと、新しい感覚、新しい感情、あるいは喜びとか楽しいであるとか、悲しみとか怒りとか、そういった感情が味わえる体験をたくさんしていきたいなというところで。
近場の旅であるとか、ひょっとしたら海外に行く可能性もあるかもしれないんですけど。基本的には本を読んで、その本の知識を実際に使ってみて、それを体験して楽しんで、それを何か人に話して、それをもとに何か人の相談乗って。その人が良い方向に向かっていく。
自分もその知識を生かして楽しく生きていけたらな。その中で、運動とかもして、なんだろう、年齢関係なく若々しく生きていけるっていうふうなぐらいの曖昧なイメージではあるんですが。

のどか:
感情であるとか感覚を、大切にされようと思われるのはどうしてなんでしょうか。

しもん:
そうですねそれが僕がうつ病克服ときに一番の鍵になったっていうところが大きい。

のどか:
それを大切にすることで、うつ病とは逆の状態に持っていくことができるっていうことなんですかね。

しもん:
そうですね。それまで何かすごく決めつけで、自分は偏見で動いていたなとすごく思うんですけど。
例えば何か悲しいとか、孤独とか、寂しい。一緒ですね、悲しい寂しいと感じたときに、以前はそれを単に嫌なものっていう意識がすごい強かったんですけど、でもなんか人間の感情って必要ではないものは生まれてはこないので。
なんだろう、この悲しいってことは自分はどういったものを求めているんだろう、どんな価値観が隠れているんだろうというふうな、サインとしてまず見受けられることがある。
でもこのネガティブ的な感情の部分でいくと、そういった話を聞くことが、そのそういった感情が沸き起こってそれを体験する味わうことができるから、人の相談にも乗れるし、学んでいきたいなっていう意欲も増す。そういうところをすごく大切にしたいっていうところと、あと楽しいとか喜びっていうのは単純にそれが充実とか気持ちっていう感覚があるので、それも大切にしたい。
ただそれが何かいつの間にか思考で考えてしまうときというのがあるので、何か、楽しいんだろうと思ってやっている。でも本当は感情が喜んでいないっていうのが、以前はものすごいあって。周りの価値観で生きていたなじゃないですけど、周りの感情で動いていたみたいな。
でも今、自分の感情がこの行動をしているときに喜んでいるかどうなのかっていうのをすごく、今の感情をすごく捉えるようにするようにはしています。感覚もそうですけど。

のどか:
ありがとうございます。それが何ですかねできるようになったポイントとかってあるんでしょうか。

しもん:
そうです、それが一番初めにしたのが、二つあるなと思って。
先ほど言ったセルフコンパッションという心理学があるんですけど、それが自分への慈悲という心理学ではあるんですよね。この中で、コンパッション日記といって自分に思いやりを書くという日記っていうエクササイズがあるんですけど。
それを通していくと、何だろう自分を日記を通して自分を見ることになるので、客観的に見ると、自分を自分で大切にしてないなというのにすごい気づいてしまって。
弱い自分を切り捨てようとしたりだとか、かっこいい自分だけ見てなんか醜い自分を放置するであるとか。というのがすごい見えてきて。
これはなんかすごいかわいそうだなと思って、自分が。自分からさえも切り離されるって相当かわいそうと思って、自分の声をものすごい聞いてあげようと思った。
いうところが一つと、もう一つは本とか何か誰かに教えてもらった知識をすぐ試してみて。で試すと、今まで何か例えば僕運動大嫌いだったんですけど。ジムに行くとする場合、何かジムに行ってもどうせ疲れるだけで楽しくないだろうなしんどいだけだろうなというふうに、行動する前に決め付けていた。
でも実際に知識を覚えたり何か行動してみると、実際自分が最初に評価していた感情とやった感情っていうのは違うっていうことに気づいてきて。
っていうことは、なんだろう、自分の感情ってあんま決めつけずに、実際行動したり考えたりその状況に即した感情をもうちょっと感じてあげないと、自分を大切にできないんだなと気づいて何かすごく感情を大切にしているところです。

のどか:
そうですね今されている活動において、今後どういうふうに活動されていきたいとかっていうのは何かあるんでしょうか?

しもん:
そうですね。基本的には何か身近な人が助けられたらいいなというところと、なんだろう、なんか全員をなんか笑顔にしたいとかではなくて。
以前の僕みたいになんだろう、何とかしたいな、何とかしたいけど、何をすればいいかわからないって人たちを助けてあげて。その人たちが何か笑顔になったら、その人が喜ぶから嬉しいとかではなくて、単純にそういった人を見ると、やっぱ周りが笑顔の方が単に嬉しいというか。
なのでそういった人を増やしたいなというような感じですかね。睡育しているのも何か自分が老後になったときに、周りの若者が健康的な方が、自分も楽しそうだなみたいないうところが大きいかもしれない。

のどか:一番最新の活動って何になりましたかね。それが睡眠の活動でしたかね。

しもん:
お仕事上でっていうことですよね。睡育が多分最新なのかなとは思います。

のどか:
その睡育ってどんなものなんでしょうか。

しもん:
眠りで育てるという漢字を書くんですけど、要は子供を睡眠で育てていくっていうふうな活動ですね。

のどか:
その言葉自体は元からあるものですか。

しもん:
そうです。多分、睡育を流行らせようとした一部の睡眠の人たちがいるような気はします。そこから生まれた言葉なので、でもここ10年20年ぐらいは存在する言葉なのかなと思います。

のどか:
ちなみに睡育って具体的にどんなことをアドバイスされるんですか。

しもん:
僕がどうするかというところですね。

のどか:
そうですね。内容としてどういったことを提供されているのかっていう。

しもん:
なるほど。基本的にセミナーをするんですけど、子供の本当の睡眠時間ってどれぐらい必要なんだろうなっていうところがあって。
例えば、何だろう。よく睡眠って8時間あったら足りるよねっていうふうな考えを持っている方って多くて、子供の場合であれば、小学生であれば、推奨時間って9時間から11時間だったりだとか。
っていう風に意外に大人よりも多いよねってなったら、今度は大人と子供だと睡眠の生活生活リズムを一緒にしてしまったら、子供が割を食ってしまう。だからここはある程度分離は考えないといけないよねっていうところと、そこで親が犠牲になっても子供が悲しむだろうし、親も楽しんできた方がいいよね。っていうところを伝えていく。
っていうので、手軽に睡眠を整える朝食であったりだとか、あと先ほどの睡眠時間で朝どのようにすっきり目覚めるかであるとか、夜どのようにすっきり眠れるようになるかとか。
最近やってるテーマとしては早寝早起きではなくて、早起き早寝が大切だっていうことで。早起きからスタートする。睡眠っていうのは眠りというのは、自分ではコントロールができないけど、起きるっていうところはコントロールができるので、まずスタートからコントロールしてきて、自然と夜眠くなって眠れるようなリズムをとりましょうねっていうふうな話をすることが多いです。

のどか:
ありがとうございます。
もしもの未来の質問っていうのをしてるんですけど、そうですもし今やってらっしゃるカウンセラーとか睡眠健康指導士でをやってないとしたら、どういうことをされてると思いますか。

しもん:
そうですね。運動してるような気がします。ランニングをすごいもっと力入れてるような気がします。

のどか:
それはどうしてですか。

しもん:
体を動かすのが今すごく楽しいなというところがあるからです。

のどか:
それはお仕事としてもですかね。

しもん:
今は睡眠などやっているので仕事としてはちょっとできないんですけど、ただこういった体を動かす仕事をしたいなとか、していたんだろうなっていう感覚は強いですね。

のどか:
先ほどうつ病の直後は、多分体を体力がなくてっていうお話があったと思うんですけど、そこからどういう風に、ランニングをするところまで持っていかれたんですか。

しもん:
そうですね。僕のやり方ってすごく何かこまめなやり方になってしまうんですけど、始めは座る時間を3時間から4時間、4時間から5時間、6時間ぐらいまで座れるっていう時間を増やして。
今度は家の中でテレビとか、それこそYouTube見たりだとか。ってするときに座って見るのではなくて立って見る時間をちょっとずつ増やしていって。立てる時間が増えてきたら、最初ちょっと外に出る恐怖心があったので、玄関に出て深呼吸をするっていう癖をつけて。これで外に出るっていうのに慣れて、家の中でもちょっと歩ける。小さな子みたいな感じでやってて、ちょっと散歩ってやってきて。
それで徐々に体力を上げていく中で、具体的な言葉としては何かHITって言われる高強度の有酸素運動っていうのがあったりとか。あるいはジム行って筋トレして筋肉を鍛えるであるとか。っていうのをそうやって一歩ずつやって、マラソンやったりだとか、今に至ってくる。っていう感じですか。

のどか:
結構長い道のりではあるんですね。

しもん:
そうですね。長い道のりだったと思います。

のどか:
時間としてはどれぐらいかけて今の流れをやられたんですか。

しもん:
今話した流れでいくと、結構治る半年前ぐらいなので34歳から、今が40歳なので、6年ぐらいかけてですね。マラソンを初完走したのが一昨年なので、5年ぐらいですね。39歳で完走してるので、5年ぐらいかけてそこまで来ているというところでしょうか。

のどか:
ありがとうございます。何か死ぬまでにこれは絶対やってみたいであるとか、そういったものってありますか。

しもん:
死ぬまでにやってみたいことですか。

のどか:
どんなものでも。

しもん:
なんだろうな。結構難しいんですけど特に何かこれというのがなくて。積み上げていったら自分ってどこまで育てられるのかなっていうのをすごいやってみたくて。
なんかこれから50、60ってなってくると体力も衰えていくんですけど、おそらく。
その中で何か知識と組み合わせながらやったら、50歳60歳になったときに今の運動能力だったり、見た目の健康度だったり、あと知識力とか脳の回転であるとか。どこまで保てるんだろうなというのを、ちょっとゲーム感覚で楽しみたいなぐらい。

のどか:
さっきおっしゃってたその若々しくありたいみたいなところも、そこと繋がってくるんでしょうか。

しもん:
そうですね。若々しくありたいっていうのは別に年齢が高いからマイナスとかっていう考えはそんなにないんですけど。
なんだろう、見た目の若々しさって健康レベルとすごい相関性が高くて、なので自分の一つの物差しとして若々しさっていうのが大切だなっていうところと、僕はいろんな人の相談に乗っているので、なんか僕がちゃんと実践してないと、僕だったらその人に相談したくないなと思ってしまうので。
そういった意味で何かこう、体も心も健康的でその中ではやっぱ若々しさが一つのテーマなのかなっていうふうに繋がるっていうところですね。

のどか:
何か今直近で楽しみなこととかってありますか。

しもん:
直近で楽しみなことですか。
そうですねマスターズ陸上というのがあって、大人の方の陸上大会みたいな。県大会とか全国大会とかあるんですけど、それに出てみたいなという感覚があったり、やはりバンジージャンプとかスカイダイビングやってみたいなという考えがあったり、あとなんかもっとセミナーを広げていきたい。今岡山でしかやっていないので、何か全国でやっていけたらなという思いがあったりだとか。あとその中で自分と価値観の合う人と出会えたら楽しいなであるとか。
あと次の日曜日ボクシングちょっとやってくるんですけど、そう言った何か、ボクシング子供の頃好きだったので、何か子供の頃好きだったことをちょっとやってみようかなとか、何かそういうとこが楽しみですかね。

のどか:
ありがとうございます。質問は以上で、何か伝えておきたいことがあればお伺いしたいんですが、どうでしょうか。

しもん:
そうですね。ここまで話してみて、まとまった文章になるのかどうかがちょっと心配してるんですけど(笑)
なんか僕がすごく、伝えたいなっていうのもちょっとおこがましいかもしれないですけどちょっとそういった思いがあるというのが、楽しいっていうもの、要は人生が充実するっていうことっていうのは、決して楽しいの連続ではない。
ネガティブ的な要素があって、楽しいところがある。この振り幅が充実感。っていうことだから、何かその何だろう、恐怖とか悲しみとか、そういったネガティブなもの。っていうのは確かにそのときしんどい。そのときはしんどいっていう体験をしてもOKなので。それに怖がり過ぎてしまうと本当の自分の楽しいにはたどり着けないっていうのが、僕はあると思っているので。
そのときに無理して頑張るのではなくて、人の力だったり、知識の力を借りて、一気にやるんではなくてちょっとずつやっていけば、いろんなものが攻略できて。その乗り越えた先の充実感っていうのはすごいウワッていうものがあるので、それをいろんな人に味わってほしいなという思いがあります。

あとがき

冒頭のYoutube動画をご覧いただいた方にはお分かりいただけると思うのですが、野上さんは、決して明るいとは言えないエピソードについても終始柔らかいトーンでインタビューを受けてくださっています。
そのため、インタビューをしながら、まるで別の方から野上さんのエピソードを聞いているような、そんな不思議な気持ちになることもありました。
しかし、それは野上さんが今に目を向けて、ご自身の人生を大切にされているからこそなのではないでしょうか。そんな野上さんとお話をしていると、私自身ももっと今を、そこにある自分の感情を大切にして生きていきたいなと思うことができました。

野上さん、ありがとうございました。
【インタビュー・編集・あとがき:のどか】

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