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思考の枠を超える tiny.cc/cl7kuz ひらめかない人のためのイノベーションの技法 tiny.cc/bl7kuz 子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法 tiny.cc/al7kuz 自分の頭で考えて動く部下の育て方 tiny.cc/8l7kuz

最近の記事

優しさ、親切という名の「能動性の強奪」

「自他の区別ができない、入れ込みすぎる」と指摘された、という人から相談を受けた。それを聞いて思い出したのが、2人のメディカルソーシャルワーカー。 一人は、自分の担当することになった患者に同情しすぎ、プランを提案した後も「もっとどうにかできなかったのか」と悔やみ、悩んでついに退職。 もう一人はサバサバしていて、患者に合っているであろうプランを複数提示し、それぞれのメリットとデメリットを説明し、本人に選ばせる。それが済んだら次の患者に意識をシフトし、過去の仕事を振り返らない。そ

    • アプリ「乗換案内」に匹敵する鉄道会社の別を超えた自動券売機を、発券機能のあるアプリの開発を!

      みどりの窓口の職員を減らしてることが話題になったりするけど、自動券売機の機能が低いのどうにかしてほしい。名古屋から富山に行くの買おうと思ったけど、画面が固まって動かなくなった。新幹線乗り継ぐ形だとそもそも敦賀までしか案内しない。自動券売機の能力高めないと結局窓口に行くしかない。 「乗換案内」のアプリみたいに、出発駅と目的の駅だけ入力したらいくつかのルート候補を示して、それを選択するだけの方式に自動券売機を改良してほしい。自動券売機は不便。能力低い。結局、人間がやるみどりの窓

      • 「~してあげる」考

        「〜してあげる」に本来、上から目線の意味はない、というご指摘があった。それはそうだと思う。「あげる」はもともと「差し上げる」から来ていて、目上の人に自分がへりくだって言う時の言葉だったのだと思う。しかし現代の意味は、やはり上から目線の言葉のように思う。「貴様」に近い変化かも。 「貴様」も本来、相手を高貴な人間とみなして自分はへりくだる呼称だったはずだけど、軍部の人間が「貴様!」呼ばわりするようになってから、人を攻撃する際に使う呼称になってしまった。使用するシチュエーションが

        • 「~してあげる」から「~してもらう」へ

          (子どもに「~してあげる」という言葉遣いをしておられる方を目にして) 言挙げするようで恐縮なんですが、「~してあげる」という言葉、私はなるべく使わないように気を付けています。上から目線の言葉なんですよね、これ。それに、こちらが「与える」側、相手は「ありがたく受け取る側」ということを想定している言葉です。 人間は案外、こうした言葉の背景にある姿勢に支配されやすいので、言葉には注意しています。私は代わりに「~してもらう」を使っています。私の側から働きかけるんですけど、それは「~

        優しさ、親切という名の「能動性の強奪」

          相手を劣位に置かず、相手に委ねる

          (公園でタバコを吸ってる若者に注意しても聞いてもらえなかったという意見に対し) 言葉かけのときに重要なのは「相手を劣位に置かない」ことだと思います。相手は劣位に置かれた、と感じてしまったのかも。あくまで対等になるように持っていく必要があるんですよね。 加えて、こちらの言うことを聞かない自由も相手に預ける必要があります。これがないと強制になるから。 以前、電車で大騒ぎしてる5歳くらいの子どもがいました。母親が必死に「静かにして」と言い聞かせてるんですけど、聞いちゃいない。こ

          相手を劣位に置かず、相手に委ねる

          この世に正義はない、あるのはあなたと私の関係性だけ

          (若者を注意しようとしたら返り討ちにあい、暴力を振るわれたという意見に対し) 「注意」するからアカンのやと思いますよ。私が実家に寄ったとき、近所で若者が花火で騒いでいました。私も父も夜10時くらいまでは許容すべきだろう、と放置していたら、近所の方が若者を怒鳴りつけていました。しばらくすると騒ぎは一層エスカレート。 10時近くなって、次は父が。 すると、すぐに静かになりました。戻ってきた父に「どう伝えたの?」と聞くと、「お楽しみのところ悪いな、あそこに病院あるの見えるやろ

          この世に正義はない、あるのはあなたと私の関係性だけ

          八方美人でもえこひいきでもない、「公平な偏愛」

          (患者と親しくなったら、その患者だけ特別扱いしていると批判され、それ以来寄り添った医療ができなくなったという意見に対し) お役に立つかわかりませんが。私はある職員から、泣きながら相談されたことがあります。「八方美人だと悪口言われた。私にはそんなつもりはなく、誰とでも仲良くしたいだけなのに。」 他方、えこひいきが過ぎると批判されていた人からも相談を受けていました。 どうしたらよいのか、私も悩みました。 NHK教育の番組をなんとなく見ていたとき、「公平な偏愛」という言葉に出会い

          八方美人でもえこひいきでもない、「公平な偏愛」

          『「ユマニチュード」という革命』抜粋

          私は攻撃的な認知症の人をひとりたりとも見たことがありません。もちろん噛まれたり、ひっかかれたことはあります。けれども、それは私が過ちを犯したからであって、認知症の人が意地悪で攻撃的だからではありません。 『「ユマニチュード」という革命』p.47 馬にいきなり後ろから近づけば蹴られます。馬が意地悪なのではありません。私のこと肉食動物だと思って、怖がって自分を守ろうとしただけです。後ろから近づかなければいいのです。 『「ユマニチュード」という革命』p.47 ケアする人に感情を

          『「ユマニチュード」という革命』抜粋

          「森を見る」のは容易、「木を見る」のが超困難な時代

          私の書き込みを見て「木を見て森を見ず、はいけませんね、森を見なければなりませんね、視野を広く持たなければ」というご意見が複数。私は逆だと思う。森ばかり見て木を見ないから木が荒れ、結果的に森も台無しにしてしまうのだと思う。もっと一本一本の木を丁寧に観察したほうがよい。 昔々は飛行機なんてなかった。遠くまで行ける自動車もなかった。ましてやインターネットもなかった。だから、広い視野でみること、俯瞰(ふかん)、鳥瞰(ちょうかん)することが困難だった。そんな時代だと「木を見て森を見ず

          「森を見る」のは容易、「木を見る」のが超困難な時代

          具体的些末的な問題から「普遍」を見出す

          以前、哲学をやっているという人から「篠原さんももっと高尚で難解な形而上の問題に取り組めばいいのに」と勧められたことがある。あいにく私はそうしたことに関心がない。もちろん、そうしたところに突入していく人には敬意を持っている。私にはできない芸当だと認めている。他方。 私はそうした難しいことを考えるのが苦手。そもそも興味も湧かない。ほかの人が達成したことに「へえ!」と驚き、感心はする。面白いとも思う。でも自分がそれをしたいとは思わない。興味関心もないし、私はそうしたことが苦手だと

          具体的些末的な問題から「普遍」を見出す

          湯婆婆的自己犠牲

          「自己犠牲」考。 誰かのために損得勘定を抜きにして、いや、損ばかりであっても献身的に他人のために尽くす。これはとても美しい行為とみなされがち。しかし、とても利己的な「自己犠牲」もある。表面上では何の得もないけれど、明らかに自分のためにしている自己犠牲。それはどんなものか。 その人が自分で生きていく力を奪うような自己犠牲。しばしば、こうした事例を見ることがある。 「千と千尋の神隠し」では、湯婆婆が、我が子の「坊」が大きくなっても赤ちゃんのまま、自分に依存しないと生きていけない

          湯婆婆的自己犠牲

          その「食品ロス」は本当に食品ロスなのか?

          食品ロス削減に熱心な学生が演壇に上り、「農家の現場ではまだ十分食べられる野菜が大量に捨てられているのを見てショックだった、これを売って食べれば食品ロスは減らせる。規格に合った野菜だけを売るのはおかしい」と訴えていた。会場にいる人達もウンウンとうなづいていた。 そんな中、私に話が振られた。「実は規格外の野菜を出荷しようとすると食品ロスが増える」という話を始めた。 「曲がったキュウリは箱の中にうまく収納できず、輸送中にガサゴソ動く。するとスーパーに届く頃には傷だらけになる。かた

          その「食品ロス」は本当に食品ロスなのか?

          「FIRE人」考

          「FIRE」という生き方に憧れる人が増えているらしい。投資でお金を増やし、働かずに生きていくという生き方。これについてはいろんな人がすでに議論しているし、クロ現でも特集を組んでるくらいだからすでに意を尽くしているかもしれないけど、私なりに言語化してみる。 まず思うのは、FIRE人が増えると社会としては困ったことになるのだろうな、ということ。FIRE人はお金を払うけど、働かない。ということは、労働者が減るということ。労働者が減ると、お金を払うと言っても労働を提供してもらえない

          「FIRE人」考

          「ユマニチュード入門」抜粋

          人間の、動物の部分である基本的欲求に関してのみケアを行う人は「人間を専門とする獣医」 です。 「ユマニチュード入門」p.32 脆弱な状態にある高齢者や疾患をもつ人も、他者との関係に着目すると、赤ちゃんと同じ状況にあるといえます。 ユマニチュードは、この「人と人との関係性」に着目したケアの技法です。 「ユマニチュード入門」p.33 ユマニチュードの理念は絆です。 人間は相手がいなければ存在できません。 あなたがわたしに対して人として尊重した態度をとり、人として尊重して話しか

          「ユマニチュード入門」抜粋

          庶民のお金がお金持ちと外国人に捧げ物にされる構図

          新NISAは、外国人投資家に売り抜けで儲けさせるだけなのでは?と感じる。バブルの頃、優良顧客を儲けさすため、零細投資家に株を買わせ、優良顧客に売り抜けさせるということを証券会社がやっていたのを聞いてる。もちろん零細投資家は大損。これと同じ構図が、国民全体で行われてるとすると・・・。 バブルの頃、土地ころがしという手法が行われていた。土地がどんどん値上がりしながら取引されてるように仲間うちで見せかける。すると素人は「今買わないともっと値上がりするかも!」と焦って高値づかみさせ

          庶民のお金がお金持ちと外国人に捧げ物にされる構図

          赤ちゃんを「赤ちゃん扱い」することはできない

          今、「ユマニチュード入門」を読んでる最中。クロ現でジネストさんの映像を見て衝撃を受けてからユマニチュードには強い関心を持っていたのだけど、ようやく本を読み始めることに。そして「ごっつ面白い」。まだ読んでる最中だけど、書かずにいられないのでちょっと書く。 高齢者介護を考えるこの本では、「赤ちゃんと接するとき」に自然にしてしまう動作・しぐさを見習っている。これ、拙著と奇妙にも強く符号している。 拙著では、赤ちゃんへの親の接し方は理想的だと指摘し、そこから部下の育て方や子育ての方

          赤ちゃんを「赤ちゃん扱い」することはできない