聡太は概ね満足していた。 遼圭を追い込むことで、彼との共同執筆にこぎつけることができた。いろいろと区切りがついたところで、心や体が整った。 久しぶりの登校となる朝、聡太はあれこれ思案する。進路希望調査票を、提出しなければいけない。目下、注力したいのは、遼圭との創作活動だった。 進路という枠組みで考えれば、それを一言で表現することは難しい。しかし、その創作活動には、時間や労力を費やす価値が大いにあると聡太は見込んでいる。それは、いずれ実を結ぶ。だから、今は進学を選ぶ気に
――顔のない男の子は、どこに行くことも自由だ。世界を作ることができるのだから、行けないところなどない道理だ。 真実を映す鏡の市場で、顔のない男の子は、醜い顔の女の子と出会う。女の子には病気のボーイフレンドがいる。ボーイフレンドは目が見えない。 女の子は、顔のない男の子に、ボーイフレンドの目を治してほしいと願う。その世界の創造主である顔のない男の子には、それができる。 もし目が治れば、ボーイフレンドは女の子の顔の醜さに驚き、彼女のもとを去るだろうか―― 学校からの帰
ソータの場合 「二度とあんな嘘をつくなってさ」 遼圭は、納得できないとばかりに言った。 そのとき、君はどんな顔、どんな表情をしていただろうか。聡太は懸命に思い出そうとしてみたが、それはかなわなかった。 小学校三年生のときの授業参観で、家族を紹介する作文を読んだ。端から順番に指名され、作文を読み上げていく。どれも退屈で、つまらないものばかりだった。 そもそも、聡太はクラスメイトの顔を認識することができない。誰だか分からない人物の、さらに誰だか分からない家族を紹介された
「一緒に作品を作ろう」 そう、聡太から提案され、遼圭は面食らった。 花凛が取り持ち、ラインの通話でお互いの意見を交換することになった。 「え、どうして」 遼圭は自分の行為を正当化していたが、聡太と話すことには乗り気ではなかった。それは、多少なりとも後ろめたさを感じていたからだ。 それなのに、非難するどころか、協力を求めてくるなんて。 「遼圭は人を惹きつける物語を作る才能があるよ。僕は、ずっと思ってたんだ。覚えてる? 小学生のとき、授業参観で読んだあの作文。遼圭のあれは
この作品のあそこと似ているとか、あの作品のここと似ているとか、それは作者が一番言われたくないことだろう。 しかし、創作の世界は、そんな言葉で溢れている。例えば楽曲。誰かの新曲が、どこかで聴いたことがあるように思えるのは、それがどのように作られているかを考えれば腑に落ちる。 走る芸術品と呼ばれるサラブレッドは、親を辿れば必ず三大始祖に行き当たる。それと同じように、この世の無数にある楽曲は、先人の作品を捏ねて再構築したものだ。音楽を全く聴いたことがない人が、己の内側から生ま
「おはよう。今日は、ちゃんと来たんだね」花凛は、遼圭の目を見て言った。 「あ、うん。おはよう……」 昨日はごめん。そう言おうとして、やめた。謝るのは違うような気がする。ありがとう? もっと違う。 聡太は、今日も休みのようだ。遼圭はホッとした。 「今日も休みみたいだね。私、ちょっと様子見てこようかな。学校の帰りに遼圭も一緒に行かない?」 「ごめん、俺は……」遼圭は目を逸らした。逸らした先が、たまたま花凛の胸だった。昨日、その服の下を見た。ハッとして、また別の場所に視線を移す
次の日、遼圭は学校を休んだ。 体の調子は悪くない。ただ、気分がのらなかった。どんな顔をして聡太と話せばいいか分からなかった。 改めて昨日の自分の投稿を読み返してみると、空虚で薄ら寒いとさえ感じた。大事なものが抜けている。原因は分かりきっている。やはり、その世界は『シンゲキ』の模倣により成り立っていて、意図的に遠ざけたことで、抜け殻のようになった。作品の熱とは、外から与えるものではなく、内側から発せられるものなんだ、と遼圭は思った。 それでも、スキはついた。分かっている
遼圭の隣に聡太と花凛が座る。放課後、三人は電車に揺られていた。 三人は、幼馴染で付き合いが長いが、こうして同じ電車で帰るのは久しぶりだ。それは、部活動や花凛のアルバイトが影響していた。 遼圭は、以前サッカー部に所属していた。レギュラーだったが、冬休み前に辞めた。合宿やらで、執筆の時間をとられるのが、どうにも耐えられなかった。 「聡太は、今日はパソコン部どうしたんだよ」遼圭が言った。 「大会があるわけでもないし、三年生はもう帰って勉強しろって」 「ふーん。聡太は、もちろん
リークの場合 「あんな嘘は、二度とつかないで」 柏木遼圭は、小学校三年生のとき、母親から言われたその言葉と顔は忘れられないものとなった。 授業参観で、家族を紹介する作文を読んだ。 その内容は、遼圭の家族は毎年海外旅行に行っていて、いかに冒険的かということを詳細に描写するものだった。 有名なランドマークやエキゾチックな場所を訪れ、それぞれの国で現地の人々と交流し、多くの新しい体験をすると紹介した。 しかし、現実はまったく異なり、家族は海外旅行どころか、国内旅行さえろ
残り、頭・胴体・右肩・右肘・右前腕・右手・左肩・左肘・左前腕・腰・右大腿部・左大腿部・左膝・内臓少々 暗い部屋。あまりに暗い。 小さな白熱灯がひとつ。 きっと、スプラウトすら育たない。 男が一人と、半分の男が一人。 瓶の中の液体に浮かぶ臓器。 それを持つ男が、その瓶に入った臓器を、半分の男の顔の前で左右に揺らす。半分の男の濁った目は、その臓器を追って左右に動いた。 かつて、半分の男の一部だった大切なもの。 半分の男の乾いた唇が、微かに動く。 縦にパクパク
吹き出る汗で枕を濡らしていた。 なんだ、この吐き気をもよおすイメージは。夢のような、いや、それよりもずっと生々しい。 粘膜から直接血中に溶け込むように、それは強引に私の中に吸収されていく。 「目覚めたな。どうだね、少しは何か思い出したかね?」 コーダと名乗った男は、ベッドに横たわる私のすぐ近くにいた。 「おも、思い出す? なんだ、あれは。気味の悪い。梅毒を意図的に感染すとか、それに、肉親を標本にするとか」 「そうだろう。だが、それは君の記憶だ」 「私の? そんな、まさ
ツダコウシ物語、黄昏編 大学を受験する頃になると、私の中で、ある変化が起きていた。それは、ふつふつと湧き上がり、私の心をざわつかせた。 飾らずに、そのときの気持ちを表現するならば、「セックスがしたい」その一言に尽きる。 自分の中で、今更こんな感情が生まれるなんて。その原因については全く身に覚えがない。……わけではない。 さて、寄生菌の中には宿主を乗っ取って、その精神や行動を操るものがあるらしい。にわかには信じがたいが、しかし、その説に寄り添って、私に起こった変化を
ツダコウシ物語、黎明編 思春期を迎える男子の頭の中は、色欲にまみれているそうだ。 たとえば、ナカタニ君なんか、股間を擦りすぎて、最終的に血が出たそうだ。 「はぁ。ツダさん、知ってます? これ赤玉っていうらしいですよ」 一人で打ち止めまで達していたら世話がないと思うが、そんな悩みがあるだけマシだ。 私など、異性への好奇心や性に対する興味が全く湧かず、体だけが成長して中身が置いていかれる気分だった。成長期にあたり、特に内外の不一致を感じていた。 この頃、家ではコテツ
ツダコウシ物語、暁編 私の父は警察官だった。 父は口癖のように、「ルールは守らないといけない」と言っていた。 しかし、父は死んだ。ルールを遵守しようとして殺された。私が小学三年生のときだ。 迫り来る犯罪者相手に、正当な手順での拳銃の使用を試み、凶刃に遅れをとってしまったらしい。 父の上司にこっそり教えてもらったことだったが、なぜかそれは周知のことだった。 道徳の授業で、私の父の行動は正しかったのかどうか、是非を問う一幕があった。 「教科書を閉じなさい」先生はそ
「……の……は、そのぜ、Zは、どう、どうなった? わた、私は……だ、れな、んだ?」 どうにかして、情報をかき集めなくては。 私は、一体何者なのか。そして、この男の目的は? 「もう、話せるようになったな。そうでなければ困る」 視界の端で白衣の男の体が沈むと、ギシッと金属の軋む音がした。おそらく椅子に腰を下ろしたのだろう。 「質問に答えよう。とはいえ、何事も順序が重要だ。さきほどの話、アマダやZの話だ。あれは、君に大いに関係のある話だ」 登場人物が、加害者か被害者しかいな
また、夢をみていた。 今度は覚えている。半分の男の夢。 ゆっくり、少しずつ頭がクリアになっていく。頭にかかった靄が晴れるにつれて、脳裏に浮かぶのは、得体の知れない不安ばかりだ。 ゴゴゴゴ。 これは、空調の音。 天井から落ちる、ぼんやりとした光。 これは、白熱灯。 空っぽの頭に残っている、なけなしの情報は、今の私の全てで、大事にしなければいけない。 気味の悪い、標本の男の話を思い出す。なぜか、胸がざわつく。 それに、半分の男の夢。これは、ただの夢だろうか。