『清史稿』「劉藻伝」①

【原文】
劉藻、字素存。山東菏沢人。初名玉麟、以挙人授観城教諭。乾隆元年、薦挙博学鴻詞。試一等、授検討、更名。累遷左僉都御史。円明園工興、疎言「園工不過少加補葺、視前代飾臺榭之観者度越、何啻万万?臣愚以為奢靡之漸、不可稍開。乞皇上慎始慮終、為天地惜物力、為国家培元気、来歳諸工酌量停減。」上嘉納、遷通政使、六年、擢内閣学士。督江蘇学政。

【書き下し】
劉藻、字は素存。山東菏沢の人なり。初名は玉麟、挙人を以て観城教諭を授く。乾隆元年、博学鴻詞に薦挙され、一等を試(もち)い、検討を授けられ、名を更む。左僉都御史に累遷す。円明園の工興こり、疎言していわく「園工少しく補葺を加えるに過ぎず、前代を視るに臺榭の観を飾るは度越し、何んぞ啻だ万万たるのみにあらんや?臣愚かにも以て奢靡の漸と為し、稍も開すべからず。乞うらくは皇上慎みて始め慮して終わり、天地物力を惜しむを為し、国家元気を培うことを為し、来歳諸工停減を酌量せんことを。」と。上嘉んで納め、通政使に遷し。六年、内閣学士に擢す。江蘇学政を督す。

【語釈】
・菏沢 現在の山東省南西部
・挙人 明清代、科挙の郷試の合格者。
・観城 現在の山東省聊城市莘県の南西部に置かれた鎮。
・教諭 正八品。宋代以降に置かれた県の学校の長官。
・博学鴻詞(科)清代、官吏登用制度の一つ。天子が大臣に人物を推挙させ、試験後に特別に任用した。
・検討 正七品。官名。宋代以降、史書の編纂を司った。
・左僉都御史 従一品。都察院(諸官の政務を監察するために置かれた官署 )の長官
・補葺 建物を修繕する。
・台榭 高い土台の上に建てた建物。うてな。
・観 宮殿の門前にある高い台。
・度越 優れる。まさる。
・万万 ①きわめて数が多いさま。②抜きんでて優れたさま。③決して。絶対に。ここでは②。
・奢靡 はでで、贅沢。
・酌量 事情を酌んで加減する。
・通政使 正三品。上奏文を監査する官庁。
・内閣学士 従二品。内閣の役人。満州族6名、漢族4名からなる。
・学政 官名。清代「提督学政」の略称。中央から省に派遣され生員の試験を司った。進士(会試、殿試の合格者)出身者より選ばれ、任期中は地方長官の(総督、巡撫)と対等であった。

【現代語訳】
劉藻、字は素存という。山東省の菏沢の人である。年少の頃の名は玉麟であり、挙人になったことで観城教諭に任命された。乾隆元年に、博学鴻詞に推薦され、一等になり、検討の職を授けられ、名前を改めた。左僉都御史に累進した。円明園の工事が始まり、劉藻は上奏して言った。「園の工事は少しだけ建物に修繕を加えただけに過ぎず、前代(雍正朝)を参考にすると高台にある楼台を飾ることが優れており、どうしてただ抜きんでて優れているだけでありましょうか?いやそれだけではありません。臣は愚かにも奢侈の始まりとなることを理由に、少しでも工事すべきではありません。皇帝陛下が慎んで工事を始め配慮して工事を終え、天地の物資と人力を惜しみ、国家が気を養い、来年は諸の工部の官が工事を停止し減らすことを酌量することを請います。」乾隆帝は喜んで受け入れ、劉藻を通政使に移籍させ、六年に、内閣学士に抜擢した。劉藻は江蘇の学政を監督した。

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