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THE FIRST SLAM DUNK

NETFLIXで配信が始まりました。

映画館で一度観てはいたんですが、配信初日から夜更かしして観てしまいました。月曜の夜にも関わらずです。原作が連載されていた時はそこまでのめり込んでいたわけでもなかったのに。

もう、何もかもが美しい。今作はその一言に尽きます。

だけど、今作に限らずSLUM DUNKには何度観ても、何度読んでも、許せないことがあります。原作の連載当時からずっと。

安西先生、あなたの罪は深すぎます。
美しいからこそ、そこが際立ちます。
当時SLAM DUNKを手放しで賞賛できない唯一の理由でした。

山王戦に触れると、どうしても横綱貴乃花のことが頭をよぎります。
膝の大怪我を負いながら出場し続け優勝を遂げ小泉首相から記憶に残るメッセージと共に賜杯を受けたのが2001年。勝利後に見せた鬼の形相と合わせ、とても印象的なシーンでした。
そして彼はその無理が影響しその後1年以上休場、復帰後数場所で引退することになります。

花道も貴乃花も、覚悟を決めた男の、人間の姿はただただ感動的です。
ただ、その感動のために彼らが消費された。その感覚が拭えませんでした。

桜の花を愛でているのではないんです。彼らにはその先にも人生があるんです。儚さを彼らに投影するだけで済ませ熱く語るなんてことは、僕にはできませんでした。

勝利、責任、成長、あるいは輝きのためにそこまで犠牲にする。させる。
確かに美しいんですが、それだけでは済まないものをこれらは突きつけてきます。

連載時から四半世紀が経ちました。社会はかつてほど過度な自己犠牲を持ち上げなくなったように思います。今作で花道の最後の姿が描かれずよかったし、描くべきでなかったとも思います。
きっと作者は今作でリョータを描きたかっただけなのでしょうが。

僕にとって原作の中で一番印象的なのは、花道の父が描かれるシーンです。多く語られる場面ではありませんでした。しかし、このシーンも花道の行く末も、勧善懲悪物語やサクセスストーリーでは見られないような複雑極まりない、言葉にしたくない感情に導きます。
今回のリョータと母の成長過程もそうでした。そこに惹かれてまた触れてしまうんです。

名作です。
井上雄彦さん、ありがとう。

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