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将来の夢についての話


あのーあれなんすよ。自分よくポッドキャストよく聞くんすよ。

―はいはい。

それで「働くことの人類学」ってポッドキャストよく聞いてて、これめちゃくちゃおもしろいんだわ、


ー気になります。

人類学っていうのは世界の人間と社会について考えるやつだと思うんだけど、例えばOO地域にいる先住民のハナシ、とか古来の伝統を守っている民族とか。そういうたぐいのはなしで。

―世界ふしぎ発見みたいな感じですか?

あれはミステリーハンターっしょ?あれは主に歴史をみているけど、なんかこっちは今をみている感じかなーって思っている。んでそこから私たちの社会について考えてみるって感じかな。

ーなーるなる。

例えばさあブッシュマンとか聞いたことない?アフリカ?のどこかの先住民なんだけど、その人たちの暮らしぶりとかって当たり前だけど日本と全く違っているじゃん?

―ブッシュマン、、聞いたことありそうでなさそうな、、確かに絶対違うでしょうね。

そういう人たちの話を聞くと、今日本で生きている自分達の生き方って一体どういうものなのだろうか、って考えたくなるじゃん?

―うーん、なるかもしれないし、ならないかもしれない。聞いてみないとよくわからないかもですね。

んでそういう人たちの話って結構芯に刺さるというか、心にグサッと刺さるんだよ。「なんで仕事しているんだ?」「何のために生きているんだ?」


―なぜ仕事をするのか、それは結構難しいですね。

そうそうなんだか日本で生きてたらそんなこと考えもしないじゃん。働くこと、仕事をすることはさも当然というか、義務というか、「みんなやってるし」。

―なぜ仕事をするのか「みんなやってるから」かもしれないですね。

もちろん、「生きるため」「お金を稼ぐため」ということはもちろんだとは思うんだが、それらの手段としての「仕事」はとりあえず「みんなやっている」やつから選ぶって感じだと思うんすよ。仕事カタログから自分に「合っていそう」なやつを選ぶ感じ?ユーキャンみたいな?

―確かに今の仕事は自分がやりたいから、というか、「選んだ」って感じかもしれないですね。

それが良いのか、悪いのかはわからないし、そもそも善悪な問題ではないとは思うが、ブッシュマンとかの話を聞いているとき基本的に大事なことは「自分がやりたいかどうか」が中心にあって、日本と順序が異なるんだよね。

―なるほど、確かにそっちの方が本当は良いと思いますね。

やりたいことやりたいじゃん?そう考えると今の日本の人って「やりたいことがない」ことが問題かもしれないと思うよね。やりたいことがないから企業の提案されたたぐいを「選ぶ」。例えば休日なにしようかと思ったとき、とりあえず「休日 趣味」みたいな感じで調べる。そしてその中からよさげやつを「選ぶ」。よくニーズを把握する、とか市場調査するとか聞くけど、そもそも最初からそのニーズなんてないと思うんだよな。その価値が提供されて、これがあなたの「趣味」です。みたいな感じ?

―もう少し具体的に言ってもらっていいですか?

例えばこの文章は近所のマックで書いているんだけど、少し前に「ごはんバーガー」って発売してたじゃん。賛否両論あったのか?わからないけど。それってさあそもそも私たちは「ごはんバーガー」を食べたかったから出てきた訳ではないじゃん。「ごはんバーガー」なんて概念も知らなかったし。つまり新たに「ごはんバーガー」が登場して、それがさも皆さん待望の、米が好きな日本人像として新たなニーズを生み出している訳じゃん。これがあなたの「好きなもの」です。のような感じ。私たちは何も思わずごはんバーガーを買ったり、買わなかったりしているが、その選択自体が知らずのうちにそのような社会(企業にニーズを支配されている)を構成している気がしていて。そう考えると私たちの生き方は全て企業の手のひらの上で転がされているだけな気がしているんだよね。

―なんだか暗い感じになってきましたね。(笑)

うっ(笑)、なんだかポッドキャストでそういう民族の話を聞いているとこんなことをグルグル考え始めてしまうんですよね。

―はいはい。

ある時リスナーが「企業の持続的成長にはどうすればいいですか」という質問をしていて、それに対して人類学の専門家の返答が「持続しなきゃいいんじゃないですか?」
マジかって驚愕してしまったんすけど、確かに「持続」とはそもそもなんなんだっていう。「持続」という概念は過去、現在、未来が一直線でかつ未来に向かって正比例している像をイメージしたうえで「持続」ということばがあるんだろうとも言っていて。つまり未来は今の積み重ねであるって感じ。これは普通にそうだと思っているよね。

―未来のため、いま頑張るって感じですよね。

そうそう、ただいろいろな民族の話を聞いていると、例えば少数民族とかってさあ、正直未来なんて考えていないわけだよね。環境が変わるかもしれない。何か攪乱が起きて淘汰されるかもしれない。その中で未来について考えることは意味はないというか、そんなこと考えてもどうなるかはわからんだろって感じ。

―未来がどうなるかは未来に聞けって感じですかね。未来のミライてきな。

未来のミライ見たことないからわからんけどさ(笑)。過去現在未来が一直線でそれが正比例しており、「持続する」という文化は確実に西洋起源っぽいよな。そもそもSDGsとかって持続可能な開発とか言っているけどもあれって先進国が言いたいだけな風もしてるんだよね。未来ってそもそも誰にもわからないじゃん。だったら今自分達がどう生きるかが大事であって、今やりたいこと、生きたい方法で生きていたらそれでいいんじゃないかとも思うんだよね。だって未来ってずっとやってこないじゃん。

―未来ってずっと来ない?

だって今の時点での未来は例えば2040年とかだとしたら、2040年になったとしたらその時点の未来は2060年とかになってくる訳っしょ?人間は今現在を生きているからさ、「未来」は感じることなんて普通に不可能でしょ?ただ過去との対比で「これが未来か」って感じることはあるかもしれないけども。

―なんだかよくわかりません。

あとでまた聞くわ。話を続けると、そう考えると「将来の夢」って一体なんだって思ってくるわけ。今の時点での「将来」について考えることの意義って、その「将来のために」これから頑張ろうっていうことだと思うんだけど、そこにおける「将来」というものは確固たるもので英語で言うとステイブルとかソリッドみたいなイメージだと思うんだけど。そういうものを考える前提として過去から未来に向かって一直線で正比例しているものとしての「将来」はあるんだろうなって。将来の夢って何かあった?

―自分は、なんだったかなーサッカー選手とかだったかもしれないですね。

いいっすね。別に将来の夢にケチつけるつもりは全くないんだけども、「未来におけるOOのために」という前提にたつと今現在がその未来に近づくための「手段」に成り下がってしまうわけですよね。「OOのためにこれをやる」みたいな。未来より良く生きるために「今がんばる」。つまり価値を「未来」に置くと今現在の生き方ってただの「手段」になってしまうわけですよね。でも人間って今現在を生きている動物なんだけどなって思うんですよ。

―老後のために貯金をする、、みたいな感じですかね?

そうそう今老後は2000万?必要なんだっけ?だから今から貯蓄しなくてはいけない。さもなくば生きていけなくなってしまうみたいな感じ?「全ては老後のため」今は我慢のときって感じ?

―よくそれ聞きますよね。

人間は今を生きているのに、生きる価値は「未来」に置いている。「未来」は正直どうなるかはわからない。予想なんかできんだろ。ただよりよい(であろう)「未来」に期待なくして生きることができなくなりつつある世の中って結構やばいよなと思うんすよね。

―そう考えると、べつにみんな「未来」を見たくて見ているわけではないかもしれないですね。

今の世の中のどこを切っても希望が見えない。せめて「未来」はそうあって欲しい。そんな願いから来ているのかもしれないなあって思うわけです。

―なんだかでかい話になってきましたね。(笑)

あれっすよ、自分意外に博愛なんすよ(笑)。

―博愛ってなんですか?