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パンケーキを毒見した

パンケーキを毒見した。


パンケーキを毒見してきました(笑)。あのーあれです。映画です。菅内閣総理大臣の半生を描いたドキュメンタリーで。いかにして現政権率いる菅総理が生まれたか。なるほど、これがとてもとても強烈で。。

いや、そもそも期待なんてしてはなかったですよ。まあ恐らく結構闇深いというか「真っ暗」だろうなーと思いながら。ただその闇深さを見てみたくて、怖いもの見たさとでもいうんでしょうか。

でも実際見てみたら、まあ想像通り闇はめちゃくちゃ深かった、というか。想像しているよりもはるかに深いし、根深いし。これは、、と思ってしまった(笑)。もうなんか悲壮感も、反対に高揚感も生まれず、もう全てを通り越して「無」って感じで。

主権とは、みたいなことを考えてしまうような。そもそも主権は国民にあるはずだよなーと。国民主権とかもはや名ばかりで。てか国民主権ってなんだったっけという。

確かに国会の答弁見てたらこいつらマジかってなったし。自分達に不都合があることは絶対言わない、というか。それはーOOO保護の観点からーみたいな前置きで全てうやむやにされる。だからといって野党も引き下がれば、それは権力の思うつぼだよな。不都合なものは言わない、調子良いことだけ言うことがまかり通ってしまうことは、自分たちの思い通りの政治にしてしまうし。ただそれでも一貫して「建て前だけ言い続ける」内閣、与党、逆にすげーメンタルだなと思ってしまうが(笑)。

これを腐敗しているというのかはわかりませんが、今の政権に希望を持っている人っているんでしょうか、って疑問を抱いてしまうんすよ(笑)。いやでも「希望を持つ」ということが正しい問なのかって感じもするが。希望を持つ、というか。希望を持てるような国であること、それは望ましいし、そうなるべきだとは思うが、そもそも主権は国民にあるんすよね、一応ね、建前上。換言すると「希望を持つ」含意って希望が天から降ってくるものだと思っているニュアンスがあるような気がしていて。希望をアウトソーシングしている感じ。ただ主権は、責任は国民にあるんですよね。つまり希望というものは自分達で作らない限り現れないと思うんですよ。

希望は自分達で取りにいかないといけないし、つくっていかないといけない。天からは降ってこないんすよね。

そのためにもまず政治に関してもっと知らなければいけないと、自分も含めて思いましたね。もうさ、生きているだけで精一杯とかで、ニュースをたまに見るくらいだと、政治なんか関心起きないとは思うが。そのたまに見るニュースとかのみで政治の良い悪い、とか言いがちであって。

ただもう世の中は資本が命ですから(笑)。資本がないと、お金がないとみんな生きていけないので、国からお金をもらっているメディアは、もちろん国の政策に賛成になりがちであって。その見ているものはほんの一部分を切り取ってうまいことナレーションつけて、どうとでも伝えることができるわけで。

権力を監視する役割であるメディアが権力に絡めとられているっていうのは言葉で言えば滑稽だが、資本主義社会ではよく見られる構図ではあるよな。

国民主権で法治国家である、不都合なことは「法律だから・・・」と言い逃れをする、だってそれは国民が望んで定めた法律だから従わなければいけないじゃん、法治国家なんだから。そして私たち国民の代表である。なんの落ち度もありません、なんたってここは法治国家ですから、、、

そんな感じで鑑賞後、ちょっと人権についてもう少し見てみようと思ったので、東京クルドを見てきました。トルコから来た人たち、難民申請をしているが認定されない、なんなら入管の対応の非人道さがやばすぎるって映画ですね。

トルコのクルド人は西欧近代化の流れで中東も国民国家として再出発を果たしていく中で、クルド人という民族はちょうどどの国でも少数民族になっており、民族としての国家建設が実現できなかった。国をもたない世界最大の民族で3000万人のクルド人がいると言われている。各国で少数民族となる中で、迫害を逃れ日本にやってきた。難民認定されない。

難民認定率1%にも満たないようです。というか難民としてやってくる人たちは、難民として認定される公的な書類等を持っているはずがないというのは自明だと思うんですよね。正直難民かどうかっていうのは、「自分が難民であると感じているか」の一点だと思うし、これはいじめとかと同じ原理だと思うんだけど、いじまられているかどうかは「自分がいじめられていると感じているか」の一点で、そこに証拠とか、認定とかそういう類の話ではないですよね。こういう話さえも法治でとりあえず対処しようとしているのがなんか的外れだと思うんすよ。

もうそこは感情じゃん。人と人じゃん。命がけで日本に来たんだからさ。

映画のワンシーンで入管の職員が「国かえれ」って言っていたんだけど、つまりそれはその職員は決して難民申請しにきた人達を悪く思っているというわけではなくて、おそらく「仕事/法律の決まり」だからそういう対応をとっているだけ、だと思うんですよ。基本的にみんな仕事やるとき、決まり、法律は守らなければいけないものと思っているじゃん。だからそれに従う。入管の職員もただ法律に従っているだけ、だと思うすよ。つまるところ法律とかそのルールがクソすぎるというのが問題で。

したら法改正せなって感じですが

たださらに問題なのがこういった難民の人たちに向けた法改正をやるモチベーションが生まれにくいと思うんすよね。なんでやらないかといったら、いやおそらくやりたい気持ちは少しはある人たちもいるかもしれないが、そもそも難民のひとたちは有権者、国民ではないんすよね。政治家は国民の代表であり、国民主権な国家である以上、国民優先な政策を行うのは当然の話で。つまり仮に政治家が難民申請に関する法改正を進めるとしても、有権者、国民に訴えかけにくい。難民申請をマニュフェストにするより、実生活の改善をマニュフェストに掲げている方が伝えやすいし。有権者の評価もパッと見上げやすい

しかもなんか日本って「日本人といえばOO」みたいな固定概念あるじゃん。それは外見でもそうだし、性格とかも。つまり仮に難民申請承認されて、晴れて日本国民となる。ただその人たちは中東系の外見で、日本語話せない。でも日本人。どういうこと?ってなりそうで。自分たちは知らずのうちの日本人はアジア人で黄色人種で日本語喋って。でもそういう人達以外に「日本人」が現れてくる、のは。今までの日本人観で慣れてきた人からすると、ウワ、となるかもしれないよな。

外国人の日本人化。というか日本とか日本人って外国から来た人に褒められがちであるよね。OOすごい!!コンビニすごい!!自販機すごい!!とか。まあ褒められることは悪いことではないと思うが、褒められるということは「変化するモチベーションが起こりにくい」とも思うんです。今のままでいいよって。

え、今のままでいいんでしたっけ?