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自分が自分として輝ける場に行く

わたしが自分自身を取り戻せたのはおじぎ草とナオチャンのおかげだと思う。彼らはわたしのことを変に理想化せず見下さず、対等に接してくれた。時期にもよるけどw そこそこずっと仲良くしてくれてるからありがたい。

わたしは荷物が多い時どこに何があるかわからずガチャガチャしてしまう。ほとんど毎回忘れ物もする。「一回家に取り行っていい?」って1000000回言った気がする。おじぎ草はわたしがマスクを失くしたり忘れるの前提で多めに持っててくれたりする。ティッシュも。これはマジでかたじけねぇ。。

ナオチャンは年齢が一回り違う若い女の人なのだが、わたしの実年齢発覚後もフラットに接してくれた。くだらねー話も聞いてくれて、話題はわりと社会派で、身近なこともさまざまな知識や情報をもとに深掘りして話せる稀有な存在だった。これは、社会ってやつにはまともな会話できるやつほとんどいねーのか……という絶望状態を長年生きてきたわたしには本当にありがたかった。。あと、わたしがクソヤバ状態の時よくごはんくれたw マジでかたじけねぇ。。出会った時期から少しあと、どんどん体調が悪くなってた時期で、たくさん迷惑かけたなぁ。


地元では歳上の友人が多かったから常に会話に気を遣っていたし(大変可愛がられて恩恵は受けたが)、こっちに来てからは年齢の近い人とも知り合ったが、個人間で話したことが広まったりクソなことが続いて自分のことを話さなくなっていた。元々なにかと外にいるけど人と関わらない自閉傾向の人間なので、自分の考えを押し込めたまま生きてきたようなものだった。だからこそ絵を描いたりしてるのもあるけど。
この2人と出会って話せる相手がいるのも悪くないと思った。話せる人間がいるってことで、わたしはわたしのまま明るくなれたんだと思う。それまでは自分を見せるのがすごく怖かった。

数年前まではこんな風に生きられると思っていなかった。なんとなく周りがやっているようなやり方で人生を攻略しつつ、思ったことを言わず不満を抱えて死ぬまで生きるんだと思っていた。なんとなく結婚してなんとなく子供を産んで、こんなことしたかったわけじゃないなーって思いながらテキトーに厳しく子育てして子供が反抗したらボロカス言って叩いたりしたかもしれない。まぁなんとなく歳をとってなんとなく死ぬんだろう。別にそんなことしたくないししてないけど絶望しかねーな?でもそれが当たり前だからがんばってみんなの真似をしたかもしれない。思いの外絵でうまくいって外に出られたからレール外れてしまったんだけど。

自分を出せるようになると、いろんな人とフラットに話せるようになった。少し友達が増えた。ニメコさんやレモンさんと話してみて、まだ知らぬタイプの面白い人がいるものだなと思った。意地悪をしたり憶測や悪口を広めたりする変な人たちがいるのも知ってしまったから、まだ人のこと怖いは怖いんだけど。最初怖くても話してたら冗談で笑い合ったり出来るし、まだまだ生きてて楽しいことありそうだなって思う。

わたし自身、しょーもない人間なのは事実なんだが、それを知った上で関わってくれる人たちもいるんだな、と。遊びに行ったのにのぼせとめまいで気持ち悪くなったり、物失くしたりガサガサしたり慌てたり、すぐお腹壊したり、常に鼻水出てたり、いつもすみません。。
まぁその何人かしかいない友人たちもそれぞれ短所と長所があって、短所はたまにおいおいおい?ってなることもあるけど別にいいなと思うw 全員どうせ言っても直らんし知ったこっちゃねぇわお互いw

なんだっけ、前おじぎ草が言ったんだ「自分が輝ける場に行けばいい」っていう、なんとか理論。少しずつ場所を見つけたし作ったかなって思う。まだまだこれから。わたしはわたしが理想とする姿に近づけばいいだけなんだよな。

生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。