見出し画像

~闘争する音楽家達~vol.2 mmmインタビュー

12/22inochi「闘争」リリースツアー山形編の特集記事、題して「闘争する音楽家達」。二回目はもう1人のゲストであるmmm(ミーマイモー)さんのメールインタビューをお届けします。「ほーひ」「パヌー」「safe mode」などのアルバム、最近のエマーソン北村氏とのデュオでのLIVE等、精力的に活動されているアーティストの1人です。インタビューでは自身のルーツを物心付いた時から遡って答えて下さいました。また海外生活を経ての音楽的影響、エマーソン北村氏とのデュオでの活動のこと、今後の展開など興味深い内容となっております。inochiさんとの邂逅がとても楽しみです。なお、このインタビューとinochiさんmmmさんのCD紹介を載せたパンフレットを当日配布する予定ですので、フィジカルで欲しい方は是非お越しいただけたらと思います。

・まず、自己紹介をお願いします。

小文字のmが3つでミーマイモーです。
1987年千葉生まれ横浜経由、シンガポールとロサンゼルスの田舎を経ての東京在住です。歌ったり楽器を弾いたり、それと翻訳業を営んでいます。
mmmの他、ベースボーカルでハトというバンドに参加しています。

・自身のルーツ的な音楽経歴、音楽制作に至るきっかけを教えてください。

母親がピアノ好きなので、小さい頃から家に小型のグランドピアノがあり、姉や母が練習する時にはその下に寝っ転がるのが好きでした。絶対音感まではいきませんが耳が良いのはそのおかげだと思います。
8歳でシンガポールへ父親の転勤で移住して、11歳頃にはなぜかクリスマスにフルートをねだり買ってもらいました。中学で吹奏楽部、進学したアメリカの高校ではジャズバンドなどでフルートを吹いて、高校3年生の頃にはベースボーカルで3ピースバンドを組みました。そしてそれ以上フルートを追い続ける気持ちは持ちませんでした。
高校卒業後はボストンの大学への進学が決まっていましたがビザの関係で急遽日本での永住が決定しました。2005年夏の事です。
仲の良い友達とはまたすぐ会えると思って高校を卒業していましたので、別れも言えずにそのまま会えていない人たちも少なく有りません。日本の大学へは、初めて塾というものに通って漢字を猛特訓して、帰国子女枠でそこそこ良い学校に入れたのですが、いわゆる「お嬢」が多めな学校だったので多感な時期を色とりどりに染まった髪色のティーンに囲まれて過ごしていた私にはあまりにもモノクロでつまらなかった気持ちが自然と歌になってでてきたように感じます。
たぶん、日本に定住することが決まってすぐだと思うのですが、地元のフリマで3000円の真っ赤なダサいアコギを買いました。曲なんてものがあったかどうかも忘れていますが、七針というギャラリーが懐かしのmixiで演奏者募集していたのを見つけ吸い寄せられるように応募してました。無謀にも2006年の秋にはそこではじめて人前で演奏します。
当時の七針では店長セレクトのマイナーな映画をみんなで見て、その後ちょっとしたライブが催されていて、そのうちライブがメインになって、いつのまにか同じビルの理容師さんが魚や大人なツマミを差し入れてくれるようになって、みんなで鍋を囲んで、私の日本での居場所となった場所でした。アバンギャルドなノイズ、暗黒エスクなパフォーマンス、私のような弾き語りなど、パリやNYを経て東京で七針を始めた店長の感覚もとても面白く、お互い駆け出したばかりの時期にこの場を見つける事ができて日本の目立たないけれど重要な芸術史を目撃できたと思います。
そんな七針に魅了された他のミュージシャンや芸術家に囲まれて遊んでいるうちに、2009年 kitilabelというレーベルが宇波拓さんプロデュースのファーストアルバムをリリースしてくれて、経て、今に至っています。

・シンガポールとアメリカで10代を過ごしたとのことですが、音楽的影響についてどう思われますか?

やはり「英語脳」が作られたのは様々な面での考え方に影響を及ばしていると思いますが、特に音楽面では発声と発音に大きな影響があると思います。
血は純血の日本人だけど日本語をほぼ喋れないアメリカ人の顔は、日本で育った人じゃないなとなんとなく第一印象で気づくことができます。これは英語の腹式呼吸による発声や舌の使い方なんかが顔の形成にまで影響してるんじゃないかなと、以前ゲストハウスで夜勤対応している時に思いました。
私は良く声を褒めていただく事がありますが英語圏のほうが似たような歌声の人が多い気がします。
また高校時代アメリカでのジャズの先生はマイルス・デイビス・クインテットのロン・カーターの後を継いだベーシストだったのですが、彼指導のもと即興を楽しむ授業を受けコンサートで発表していた4年間では、音楽的な勘とか、飛び込んでいく度胸なんかを身につけられたと思います。なかなかな不真面目な生徒だったので理論をほとんど勉強しなかったことを今ではとても悔やんでいます。

・曲作りのコンセプトなどあれば教えてください。

コンセプトを持って曲を作ることがずっとできていないので、そうすることがひとつの憧れです。
曲作りにおけるコンセプトではないですが、歌を作るようになってすぐに「素直な曲を作ろう」と自分に言い聞かせた時があります。
自分のために歌っていたので曲だけはガードをおろして、英語で言うと"vulnerable”にーー日本語だと脆くて大事だとか、急所といった意味ですがーーそんな面を出すことが私にとって大事な気がします。

・今回ツアーで来られますが、東北や山形の印象はどうですか?

山形へは2013年にアニス&ラカンカ(mmm&見汐麻衣)で来たきりですが、その時はあまり外を出歩く時間もなく特に思い出らしい思い出がありません。その日の素敵な会場、蔵オビハチではフリマが行われていて、DEEPSLAUGHTERのTシャツとワンタン麺が美味しいらしいラーメン屋の手ぬぐいを買いました。タクシーの運ちゃんがなまっていた。以上です。すみません。今回も楽しみにしています。

・最近のお気に入りのアーティストや作品を教えてください。

Tara Jane O’Neil 、特に where shine new lightsというアルバム。
Ebo Taylor のいろいろ。Anderson .Paak, Yaeji.

・最近あった嬉しかったことを教えてください。

2018年はソロ製作期間と決めて、できるだけライブを控えていました。そんな中、mmmの曲を演奏する場合はすべてキーボーディストのエマーソン北村さんとのデュオ編成(mmm with エマーソン北村)でお願いしていました。エマさんのふわんと広がりのあるシンセの音と私の声の相性がとてもよく、2人で作った曲も奥行きがあって、ソロとはまたひと味違った音像のデュオです。このユニットで関東では月1回未満のライブ、それと北陸と関西へ二度ツアーにでたのですが、自分でも驚くほど良い時間が作れました。そしてお客さんにもとても好評でした。
実は「エマさんがいるから良いのであって、ソロはそんなに良くないんじゃないか」と疑心暗鬼になるような時期もあったのですが、今年の後半に数回ソロをやるようになりましたら、エマさんとのデュオを経てソロの強度もかなり上がったなと実感できたのが本当に嬉しかったです。エマさんと演奏することで、私の音楽がたどり着ける境地のような景色を見せてもらえて、そこへひとりだけでも行けるようになった気がします。

・今後の予定を教えてください。

前述の通り2018年上半期は、ライブを控えてずっと打ち込みをしていました。今まで私が作ってきた方法とは全く異なる作曲方法です。でも慣れないことへのもどかしさから下半期は打ち込みを放り投げてライブへ戻ってました。2019年上半期には、それを仕上げてリリースすることが目標です。発表できた暁にはまた山形でも演奏させてくださいね。よろしくお願いいたします。
10.18.2018 mmm

-mmm / ミーマイモー-
十代の殆どをシンガポール、アメリカで過ごし2005年に帰国。学校では主にジャズフルートを学ぶ。2006年から弾き語りを中心とした音楽活動を展開。宇波拓録音による2枚のスタジオ・アルバム、宅録による3枚のミニアルバムをリリース。ソロの他、メンバー/ゲストとして参加プロジェクト多数。約2年の「引退」期間を経てリリースしたミニアルバム「Safe Mode」(2014) は発表後しばらくして高円寺円盤によりアナログレコード化され、完売。目下新しい音源を製作中。
alias兼業翻訳家石居萌。
http://memymoe.tumblr.com/
https://cgcgpub.bandcamp.com/album/safe-mode

-EVENT INFO-
「だから、遊ぼ」

日時
2018年12月22日(土)
17時~21時

場所
Used Cd / Record & Cafe【RAF-REC】
〒990-0828
山形県山形市双葉町2-1-1-1F
tel/fax 023-645-5565
(山形駅西口より徒歩5分)

料金
予約 ¥1,500
当日 ¥2,000
+1ドリンク¥500

ライブ
mmm
inochi
んミィバンド
DJ
かれーらいす
hara-pon

予約、お問い合わせ
鈴木
giftwillsuddenly@gmail.com
RAF-REC
023-645-5565
info@rankandfilerec.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?