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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第3章(1920年代後半~30年代中頃まで・・・その5)


(5) 日本のジャズ・ソング(戦前編)

 日本の流行歌の話しをしてきましたが、番外編として戦前の日本のジャズ・ソングについて、もう少し深堀していきたいと思います。

 いわゆる日本の「ジャズ・ソング」と言う名前は、アメリカのポピュラー・ソング(時には世界中のポピュラー)を日本語の訳詩で歌ったもの全般を指す和製英語だと思われますが、この時代は、そもそもアメリカでも黒人ジャズ風リズムを取り入れたダンス音楽もポピュラー音楽も(日本では、ハワイアンやカントリーまでも)すべてジャズと呼んでいたので無理もないと思います。

 前項で話したとおり、日本のジャズ・ソング第1号は、昭和3年5月二村定一の「青空・・当時は、あほ空」と「アラビアの唄」のカップリングで、演奏は多少洋楽っぽいとは言え、ヴォーカルはジャズフィーリングとは程遠いものでしたが両面共大ヒットしました。

 二村定一は、翌年「洒落男」を歌い、この曲は榎本健一(エノケン)の18番にもなりました。しかしながらこの時代に演奏も、ヴォーカルも画期的だったのは、やはりディック・ミネの「ダイナ」です。世界中でカバーされた大ヒット曲に本人が訳詩も書き日本でも歌い継がれています。

 この時期のディック・ミネのジャズ・ソングを集めたアルバムは、太っちょのヴォードビリアンで人気が高かった岸井明のジャズ・ソングアルバムと共に知る人ぞ知る人気盤です。

 もう一人前項で触れた中野忠晴とリズム・ボーイズは、ミルス・ブラザースに影響された武蔵野音楽学校の生徒4人を迎い入れて結成したグループでヨーデルからジャズコーラスまで幅広く活躍しました。

 また1937年結成の伝説のボーイズ第1号「あきれたぼういず」のリーダー川田義雄とミルク・ブラザース(今、大ブレイク中の漫才のミルクボーイは関係ないと思いますが)の「地球の上に朝が来る」も流行しました。

 他にジャズ志向の強い歌手、演奏家では森山久(森山良子のお父さん)、淡谷のり子、笠置シヅ子、2世、3世歌手の川畑文子、ベティ稲田、宮川はるみ、日本のサッチモ南里文雄、作曲家の服部良一等が、活躍しました。

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画期的だった日本人ジャズヴォーカリスト。

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知る人ぞ知るボードビリアン。ディック・ミネと競合してます。

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俺は、村中で一番、モボだと言われた男、エノエン。

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今考えるとミュージック演芸の始祖ですね。

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2世ジャズ歌手、森山久ほかのジャズヴォーカル編

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服部良一、中野忠晴、淡谷のり子他による和製ジャズコーラス編

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美空ひばりは、笠置シズ子の物まねと言われた時期もあったようで。


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