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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第8章(1970年代全般・・・その2)

(2)            70年代前半のポップス(シングルヒット)
 
 アメリカ大衆音楽のレコードヒットは、1950年代までは、シングル盤のことを意味していたと思いますが、60年代中頃以降になると、シングルヒット以上にアルバム単位での評価が重要視(アルバム・オリエンテッド・ロック・・・日本特有のアダルト・オリエンテッド・ロックのAORとは違って、本来の意味でのAORですね)されるようになってきました。とは言え、シングルヒットと言うか、シングル盤への拘りが強いフアンも根強いですね。
 
ここで少し話が飛んでしまいますが。

 一般的にオールディーズ等と呼ばれる、アメリカン・ポップス黄金時代は、日本にあてはめると、テレビのザ・ヒットパレード(アメリカン・ポップスを日本語訳で歌って一世を風靡しました)がスタートした1959年~1963年頃です。
 1959年と言えば、ザ・ピーナッツがデビューした年で、1963年は、坂本九の「上を向いて歩こう」が、全米NO.1になった年ですが、ザ・ピーナッツも「エド・サリヴァン・ショー」にも出演する等、アメリカン・ポップスは、日本人と相性が良いみたいですね。
 
 全くの私見ですが、ここから10年後と約20年後の1969年~1973年頃までと、1970年代末~80年代前半にかけても第2、第3のポップス黄金時代と言えるのではないかと思っています。
 前章でも触れましたが、最初のアメリカン・ポップス黄金時代は、1950年代中頃から始まったロックン・ロール旋風が、1958年にエルヴィスが入隊で一線から退いたことに加え、人気ロックン・ローラーやアラン・フリードの事故や逮捕等が相次ぐなど、様々な理由で野性味あふれるロックン・ロールが、失速したことで、次世代のリーダーとなるビートルズのブレイクまでの間の時期です。
 同じように、次のポップス黄金時代も、愛と平和の象徴であるウッドストックが幻想に終わり、ビートルズの実質解散や60年代を象徴するロックミュージシャン等の不幸な死が重なった時期の1969年~1973年頃で(最初の黄金期と違うことと言えば、ヒット曲がアメリカだけでなくイギリスやヨーロッパ各国からも多く誕生したことですね)、やはり、この時期と前後してスティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、イーグルスがローカルな立位置から70年代を象徴する世界規模のポップスターになっていきました。
 そして、クラッシック・ロック終焉後の1970年代末~1980年代に入ると、アメリカ、イギリス、ヨーロッパに加え、オーストラリアからも大ヒットポップスが量産(小林克也のベストヒットUSAの時代)され、そして1982年に、あのモンスターアルバム「スリラー」がリリースされ、80年代の象徴であるキング・オブ・ポップスのマイケル・ジャクソン時代へと繋がっていきました。

 こうしてみると、これらの3時代の共通点としては、1つの時代を切り開いたアーティストから次の時代を象徴するアーティストが生まれるまでの間に、こうした現象が起きているのではないかと言うことです。
まさに、歴史は繰り返すでしょうか?
 すみません、長くなったので話を戻すと、こうした意味から70年代も、特に前半の3年間くらいまでは、第2のポップス黄金期として話を進めていきたいと思います。思い入れが強いので、結構マニアックになってしまいそうですが。
 
 70年代の上質なポップスと言えば、すぐに頭に浮かんでくるのが「バート・バカラック」です。チャートを調べてみると、1970年最初のビルボードNO.1ヒット曲は、B.J.トーマスの「雨にぬれても」で、映画「明日に向かって撃て」の主題歌でバート・バカラック作品です。
 60年代中盤から70年代にかけてディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリン、ダスティ・スプリングフィールド、ボサリオ等の「恋よさよなら、世界は愛を求めている、ウォーク・オン・バイ、サン・ホセへの道、小さな願い、恋の面影」、ハーブ・アルパートの「ディス・ガイ」、そして70年代を象徴するポップスグループであるカーペンターズの「遥かなる影」や前出の「雨にぬれても」、フィフス・ディメンションの「悲しみの鐘の音とともに」他、センスの良いポップスが並びますね。
 他にも、ポール・ウイリアムス、ジミー・ウェブ、ランディ・ニューマン、バリーマン、そしてローラ・ニーロやレオン・ラッセルは、自身のヒットと共に、他のアーティスト等にも素晴らしい曲を提供していました。
 
 他のアーティストの70年代前半(一部1969年リリースのものもありますが)に絞ったビルボードの大ヒットシングルを眺めてみると、カーペンターズ「遥かなる影、愛のプレリュード、雨の日と月曜日は、二人の誓い、スーパースター、ハーテイング・イーチ・アザー、トップ・オブ・ザワールド、シング、イエスタデイ・ワンスモア、草原の輝き、等々」、オズモンズ(ダニー・オズモンド)「ワン・バッド・アップル、ゴー・アウェイ・リトル・ガール」、パートリッジ・ファミリー「悲しき初恋」、ゲス・フー「ノータイム、アメリカン・ウーマン、シュアー・ザ・ランド」(ここから脱退したランディ・バックマンが作ったバッマン・ターナー・オーヴァードライヴもブレイクしました)、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル「ダウン・オン・ザ・コーナー、トラヴェリン・バンド、アップ・アラウンド・ザ・ベンド、雨を見たかい」、シカゴ「長い夜」、サンタナ「ブラック・マジック・ウーマン、僕のリズムをきいとくれ」、スリー・ドッグ・ナイト「ママ・トールド・ミー、ジョイ・トゥー・ザ・ワールド、オールド・ファンッションド・ラヴソング等々」、ブレッド「二人の架け橋、イフ」、ドーン「恋するキャンディダ、ノックは3回、幸せの黄色いリボン」、アメリカ「名前のない馬、ヴェンチェラ・ハイウェイ、金色の髪の少女」、ニール・ダイアモンド「クラックリン・ロージー、さすらいの青春」、ニルソン「ウィザウト・ユー」、ジェイムス・テイラー「君の友達」、ドン・マクリーン「アメリカン・パイ、ヴィンセント」、キャロル・キング「イッツ・トゥー・レイト」、リン・アンダーソン「ローズ・ガーデン」、カーリー・サイモン「うつろな愛」、バーバラ・ストレイザント「追憶」、ジム・クロウチ「ルロイブラウンは悪い奴、タイム・イン・ア・ボトル」、ジョン・デンヴァー「カントリー・ロード、太陽を背にうけて」、すっかりポップになったグランド・ファンク「アメリカン・バンド、ロコモーション」、キャプテン&テニール「愛ある限り」、サイモン&ガーファンクル「ザ・ボクサー、明日にかける橋、コンドルは飛んで行く」等々がすぐに頭に浮かびます。
 
 イギリスからは、元ビートルズの4人、ポール・マッカートニー&ウイングス「アナザー・デイ、マイ・ラヴ、007死ぬのは奴らだ」、ジョン・レノン「インスタント・カーマ、ラヴ、イマジン」、ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード、美しき人生、ギヴ・ミー・ラヴ」、リンゴ・スター「明日への願い、想い出のフォトグラフ、ユア・シックス・ティーン」、ローリング・ストーンズ「ホンキー・トンク・ウィメン、ブラウン・シュガー、悲しみのアンジー」、エルトン・ジョン「ユア・ソング、ロケット・マン、イエス・イッツ・ミー、クロコダイル・ロック、ダニエル、グッバイ・イエロー・ブリック・ロード等々」、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン、クレア、ゲット・ダウン」、キャット・スティーヴンス「ピース・トレイン、雨に濡れた朝」、オリビア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」、ロッド・スチュワート「マギー・メイ」等‥。
そして当時は、アメリカのビルボード誌以外に、イギリスのメロディ・メイカー誌のチャートが新聞の夕刊に記載されていて、マンゴ・ジェリー「イン・ザ・サマータイム」、フリー「オール・ライト・ナウ」、ブラック・サバス「パラノイド」そして、T・レックスが立て続けに「ホワイト・スワン、ゲット・イット・オン、ホット・ラヴ」、等をイギリスNO.1に送り込んでいたのも思い出しました。
 そして後述するブラック系NO.1ヒットでは、ジャクソン5(マイケル・ジャクソン)「帰ってほしいの、ABC、小さな経験、アイル・ビー・ゼア、ベン」、アイザック・ヘイズ「黒いジャガーのテーマ」、エドウィン・スター「ウォー」、スティーヴィー・ワンダー「迷信、サンシャイン」、テンプテイションズ「はかない想い、パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン」、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ「涙のクラウン」、ダイアナ・ロス「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ、タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」、とマーヴィン・ゲイとのデュエット「ユア・エヴリシング」、グラディス・ナイト&ザ・ピップス「夜汽車よジョージアヘ」、アル・グリーン「レッツ・ステイ・トゥゲザー」、ロバータ・フラック「愛は面影の中に、やさしく歌って」、等‥キラ星の如くですね。
 
 他、本国でも売れましたが、特に日本で人気があったアーティストと言えば、アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空、落ち葉のコンチェルト」、ロボ「僕と君のブー、片想いと僕」、オリジナル・キャスト「天使の兵隊、ミスター・マンディ」、ショッキング・ブルー「ヴィーナス、悲しき鉄道員」、1910フルーツガムカンパニー「トレイン」、アーチーズ「シュガー・シュガー」、ホリーズ「喪服の女」、レターメン「涙のくちづけ、ラヴ、つのる想い」、トミー・バロウズ(エジソン・ライトハウス「恋のほのお」やホワイト・プレインズ「恋に恋して」と言った方が通りが良いと思いますが)、モンキーズへの楽曲提供で知られているボイス&ハート「風にくちづけ」、ブリューワー&シップレイ「人生の道」、マイク・ネスミス「シルバー・ムーン」、フライング・マシーン「笑ってローズマリーちゃん、急いでベイビーちゃん」スチーム「ナナ・ヘイヘイ・キス・ヒム・グッドバイ」。
 ダンヒル・サウンドの雄グラス・ルーツ「恋はすばやく、恋は二人のハーモニー、ベイビー・ホールド・オン、ペイン(恋の傷跡)」、同じくダンヒル・サウンドのハミリトン・ジョー、フランク&レイノルズ「恋のかけひき」、クリステー「イエローリバー、想い出のサンバーナディーノ」、アース&ファイアー「シーズン」、マシュマカーン「霧の中の二人」、メッセンジャース「気になるあの子」、ジェリー・ウォーレス「男の世界」、ミッシェル・デルベッシュ「ワイト・イズ・ワイト、青春に乾杯」、ホセ・フェリシアーノ「雨のささやき」、ルー・クリスティ「魔法」、ミッシュル・ポルナレフ「シェリーに口づけ、愛の休日」、ジリオラ・チンクェッティ「雨、つばめのように」、オーシャン「サインはピース」、カフ・リンクス「トレイシー」、UFO「カモン・エヴリバディ」、フリジド・ピンク「朝日のあたる家」、マウンテン「ミッシシッピー・クイーン」等‥。
 
 そして、この時代は特に男性ソロアーティストブームとも言える時代でもありましたね。トム・ジョーンズ「ラヴ・ミー・トゥナイト、悲しき呼び声、シーズ・ア・レイディ」エンゲルベルト・フンパーディング「太陽は燃えている」、エルヴィス・プレスリー「この胸のときめきを、ポーク・サラダ・アニー」、アンディ・ウイリアムス「ある愛の詩、ゴッドファーザー愛のテーマ」、同じく大ベテランのペリー・コモ「イッツ・インポッシブル、アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」、グレン・キャンベル「トライ・ア・リトル・カインドネス、思わせぶり、ラインストーン・カウボーイ、サザン・ナイツ」、クリフ・リチャード「幸せの朝、燃ゆる乙女」、ニール・セダカ「雨に微笑みを、バッド・ブラッド」、ポール・アンカ「二人のきずな」、B.Jトーマス「雨にぬれても、君を信じたい、ロックン・ロール・ララバイ、心にひびく愛の歌」等、新旧のアーティストが入り乱れての大流行で、日本では、尾崎紀世彦が、和製トム・ジョーンズ等と呼ばれていました。


ジス・イズ・アメリカン極上ポップス
カレンの声と兄リチャードの音楽センスは、唯一無二
両面ヒット(当時はA・B面が別々にランク)が、当たり前のグループは、CCRとビートルズ位と言われていた彼らの、シングルレコードコレクションBOX
ランディ・バックマンの作曲センスとバート・ランカスターのヴォーカルがグッド
70年代、立て続けに大ヒット多し、個人的には「ママ・トールド・ミー」が大好き
デヴィッド・ゲイツのセンスが光る「二人の架け橋」が1位に
ラテンフレーバーの王道ポップス、実質トニー・オーランドのプロジェクト
アメリカでは大スター、日本での過小評価アーティストの筆頭クラスですね
不幸な飛行機事故が残念、「ルロイブラウンは悪い奴」は、NO.1ヒット
ワールドクラスの評価に比べれば日本での評価は物足りない。バーニー・トーピンの歌詞も本当に素晴らしい
タイトル曲の「バンド・オン・ザ・ラン」を初め、ポップスとして好きなアルバム
LPレコード3枚組は、当時高くて手が出なかったので、「マイ・スウィート・ロード」シングルで我慢した
「ユア・シックス・ティーン」のカバーが良くて、ポップスアルバムとして好きでした
ソロのジョンは、アルバムとしてはちょっと複雑なので、このカバーアルバムを
個人的に、解散後のジョンのシングルの中で最も印象深かった曲
60年代のシュープリームスと入れ違いで、70年代モータウン・ポップスの象徴に
70年代モータウン・ポップスの集大成オムニバス
黒人だけど白人に近い極上ポップス、ビートでジャンプ、輝く星座、そしてウェディング・ベル・ブルースもNO.1ヒット
アメリカで流行った天使の兵隊よりも、ミスター・マンディが日本で大ヒット
日本では、ヴィーナスと同じくらい悲しき鉄道員も大ヒットしましたね
60年代後半の、サイモン・セッズ、インディン・ギヴァーに続き、日本ではトレインが大ヒット
カバー曲の「涙の口づけ」が、大ヒット。実は、私が最初にLPを買ったグループ
エジソン・ライトハウス他、いろいろなグループ名で活動していた、トニー・バロウズのベスト
ヒット曲が多いわりに評価が低いが、特に「ベイビー・ホールド・オンとペイン」が大好き
ハートに灯をつけて、雨のささやき、ケ・セラ等、長谷川きよし「別れのサンバ」を思い出します
60年代後半の「何かいいことないか子猫ちゃん、よくあることさ、思い出のグリーン・グラス、デライラ、最後の恋」等、イギリスを中心に大ヒット
動のトム・ジョーンズ、静のエンゲルベルト・フンパーディング。トムと同様60年代後半「リリース・ミー、ラスト・ワルツ、愛の花咲くとき」等、大ヒット
1930年代から活躍していたが、映画主題歌の「ムーン・リバー、いそしぎ、酒とバラの日々、ある愛の詩、ゴッドファーザー愛のテーマ」等が特に有名
ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、トニー・ベネットと並ぶ大物エンターテイナー
12弦ギターの名手ながらカントリー・ポップスの第一人者、「ジェントル・オン・マイ・マインド、恋のフェニックス、ウイテタ・ラインマン」そして70年代には
本編記載の2曲がNO.1ヒット
この人も日本では、評価が低いが、「雨にぬれても」の他にも「心にひびく愛の歌」もNO.1ヒット


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