アメリカン・ミュージック・ヒストリー第3章(1920年代後半~30年代中頃まで・・・その2)
*ニューヨークとシカゴとカンザス・シティ(ジャズ)
前回は、白人のニューヨークジャズの話しでしたが、1920年代後半の黒人系ニューヨークジャズと言えば、フレッチャー・ヘンダーソンやハーレムの「コットン・クラブ」で一世を風靡したデューク・エリントンをあげない訳にはいきません。「私の楽器は、この楽団だ」というデューク・エリントンの言葉が、その音楽性を象徴しているようですね。
そしてルイ・アームストロングもシカゴやニューヨークで活躍し、シカゴ時代に「ホットファイヴ」を結成し全盛時代を迎えました。この頃のシカゴジャズは、サウスサイドのルイ・アームストロングとノースサイドの白人天才コルネット奏者のビックス・バイダーベック(ライ・クーダーのJAZZというアルバムでも、とりあげられています)とで人気を2分していた、との逸話が残っています。
前項で話したニューヨークのジャズピアニスト、ジェイムス・P・ジョンソンのスライドピアノは、デューク・エリントンやファッツ・ウォーラー(エンター・ティナーとしても最高ですね)等にも影響を与えました。また、シカゴでは、ジミー・ヤンシー、カウカウ・ダペンボード、パイントップ・スミス、ミード・ルクス・ルイス、アルバート・アモンズのヴギウギピアノ、カンザスでは、ベニー・モーテン楽団や「クイーン・オブ・ピアノ」と呼ばれたメアリー・ルー・ウイリアムス、ピート・ジョンソン等のブルース&ジャズピアノが人気を博しました。
*ジャズヴォーカル&コーラスの元祖
ルイ・アームストロングと言えば、最高のトランペッターであると同時に味わい深いヴォーカリストでもありました。また独特なスキャットヴォーカルも有名で、「Heebie Jeebies」は、初めてのジャズスキャット曲として知られています(後述するボズウェル・シスターズ盤も最高です)。
ソロヴォーカルも良いですが、コーラスも本当に楽しいですね。アメ
リカのコーラスの歴史を紐解いていくと、やはり最初は南部黒人による「バーバー・ショップ」と言うことになりそうです。バーバー・ショップとは、文字どおり床屋の待ち時間にアカペラコーラスで歌うようになったのが始まりだったようですが、30年代以降は白人バーバー・ショップが流行しました。でも、やはりバーバー・ショップ・コーラスの元祖と言えば「ミルス・ブラザース」に尽きますね。うまいのはもちろんですが、ノリが違うというか唯一無二のハーモニーで、彼らのコーラスは、普通のバーバー・ショップ・コーラスではなく「バーバーショップ・スウィング」なのだそうです。
女性コーラスに目を向けてみると、先ほど触れたニューオリンズ出身の白人3姉妹「ボズウェル・シスターズ」がほぼ最初にして最高のハーモニーを聴かせてくれたグループだと思っています。白人、黒人を問わず兄弟姉妹の名グループは多いですが、ボズウェル・シスターズの後もアンドリュー・シスターズ、マクガイア・シスターズ、ディニング・シスターズと有名な姉妹グループが続きます。
因みに、この頃の女性ソロ歌手(ジャズとブルースの区分けは微妙ですが)は、黒人ではエセル・ウォーターズや前項でも出た女帝ベッシー・スミスの全盛期でしたが、ベッシー・スミスは、交通事故(悲しい逸話があります)で早逝してしまいます。白人では、ミルドレッド・ベイリー、コニー・ボズウェル、アンドリュー・シスターズ、映画「ファニー・ガール」で有名なファニー・ブライスやミュージカル「ショーボート」で知られているヘレン・モーガン、ルース・エッティング等のトーチシンガーも活躍しました。
ハーレム・ジャズ黄金時代ですね。
1920年代後半の全盛期のホットファイヴ&セヴン時代
ライ・クーダーのアルバムで知り、それから好きになりました。
ルイ・アームストロングと並ぶ最高のエンターテイナーだと思います。もっと長生きしてほしかったですね。
ブギウギピアノのオムニバス。
ベニー・モーテン楽団を引き継ぎ、カンザスシティ・ジャズのカウント・ベイシー時代に入ります。
ジャズは、決して詳しくはないですが、メリー・ルーは、セルニアス・モンクやチャーリー・パーカーのメンターだったと言われているようですね。
ミルス・ブラザースは、長男が早逝してしまいますが、父親が入って支えました。
完璧なハーモニー。30年代半ばで結婚などで解散していまいますが、個人的に一番好きな女性コーラスグループ。楽器も弾けます。
ボズウェル・シスターズの後を引き継ぎ大人気グループになりました。