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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第2章(1890年~1920年代中頃まで・・・その2)


*白人ダンス音楽

 最初のジャズ録音は、白人であったもののオリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンドは、ニューオリンズ出身なので黒人ジャズの真似とは言え、基本的にはニューオリンズ・ジャズでしたが、1910年代前後からニューヨークでは、もともとある社交ダンス音楽に黒人ジャズ風味を加えた白人ダンス音楽が大流行しました。1920年1月に「ベン・セルヴィン楽団」の「ダーダネラ」がヒットしダンスバンドの最初のミリオンセラーを記録し、その流れを引き継いだ「ポール・ホワイトマン楽団」の「ホィスパリング(ささやき)」というレコードが200万枚売れ、ティン・パン・アリーのシート・ミュージック売り上げを上回る大ヒットとなりました。このダンスバンドのリーダー「ポール・ホワイトマン」が「キング・オヴ・ジャズ」と称されました。

 ホワイトマンは、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」を初演し、白人コルネット奏者の天才「ビックス・バイダーベック」や映画5つの銅貨でも有名な「レッド・ニコルス」そして「ジミー&トミードーシー」「ビング・クロスビー」等らに活躍の場を与えた人でもありますが、キング・オヴ・ジャズと名乗ったもののコアなジャズファンからの評価はあまり高くありませんでした。

*ティン・パン・アリーの隆盛と白人ポピュラー歌手

 アメリカにおける最初の国民的ヴォーカリストと言えば、ほとんどの方は先ほど触れた「ビング・クロスビー」と答えるのではないでしょうか。

 しかしながら今では殆ど知られていませんが、楽譜からレコードの普及に伴い、ビング・クロスビー登場前の1900年前後には、ティン・パン・アリーの隆盛と比例して全国的な人気ポピュラー歌手が相次いで出現していました。最初のレコーディングスターと言われるレン・スペンサーを初め、ビリー・マレー、ヘンリー・バーや初めてのトーキー映画「ジャズシンガー」で主演し、名曲「スワニー」を歌ったアル・ジョルスン等の男性ソロ歌手や白人コーラスグループが多くのヒット曲を飛ばしました。

 一方、女性白人歌手は、初めての女性スターのエイダ・ジョーンズやソフィー・タッカー等が有名で、ソフィーはヴォードヴィルの女王と呼ばれるほどの別格的存在で、彼女の「サム・オブ・ジーズ・デイズ」は1911年の特大ヒットだったようです。私がこの曲に最初に出会ったのは、オリジナルバージョンではなくて、アサイラム・ストリート・スパンカーズのカバー・バージョンだったのですが、1910年代~30年代にかけての音楽の虜になったきっかけの1曲でもあります。

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初めてのトーキー映画。ジャズと言っても今のジャズではなく、世俗的な音楽のことは何でもジャズと呼んだみたいですね。

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「5つの銅貨」ルイ・アームストロングとダニー・ケイによる心温まる映画ですね。

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