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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第3章(1920年代後半~30年代中頃まで・・・その1)


1. グッドタイム・ミュージック(1920年代後半~30年代中頃)

 この時代は、1920年~1933年の禁酒法や1929年の大恐慌で経済的には暗い時代を挟みますが、レコーディング技術の向上によりジャズやレイス&ヒルビリー音楽を初め、様々なグッドミュージックが普及します。

 例えば、以前まではヒルビリー(カントリー)系アーティストがレコーディングするには、ニューヨークまで出向かわなければならなかったものが、機材の持ち運びができるようになり、電気録音による出張録音が可能になりました。特に1927年ヴァージニア州とテネシー州の境にある南部ブリストルでの歴史的録音は、画期的な出来事でした。

 そして、ラジオ、トーキー映画の目覚ましい発展もあり、現代に至るほとんどの(広義の意味での)ポピュラー音楽のルーツは、この時代に形作られたのだと思います。


(1) ポピュラー黄金時代と黒人ジャズ

  前項で少し触れましたが、引き続きニューヨークを中心とした白人ダンス(ジャズ風味のポピュラーミュージック)音楽(ポール・ホワイトマン、ガイ・ロンバート&ロイヤル・カナディアン等)やミュージカル、映画等が活況を呈し、アーヴィング・バーリン、コール・ポーター、ガーシュウィン兄弟、ジェローム・カーン、ホーギー・カーマイケル等々の作曲家から今日スタンダードとなっている数々の名作ポピュラーミュージックが生まれました。

 それらの名曲の普及に欠かすことができなかったのが、マイクロフォンの発明です。それまではオペラのように大声で歌う歌手が一般的でしたが、マイクロフォンにより、ラジオでもささやくように歌うクルーナー歌手の時代になりました。

 クルーナー歌手の第一人者と言えば「ビング・クロスビー」ですね。マイクロフォンの普及に伴いクルーナー唱法で現代のスタイルを確立し、アメリカポピュラー音楽の父と呼ばれるほど有名になりましたが、少し先輩格の「ジーン・オースティン」も忘れられない歌手です。

 この人は、日本でも大変有名は「My Blue Heaven」(ファッツ・ドミノでも有名)「Ramona」(細野晴臣もカバーしました)「砂に書いたラブレター」(パット・ブーンがカバーして大ヒット)等のヒットを持つ人で、特にMy Blue Heavenは、昭和3年位から本格化した日本のレコード産業の黎明期に「二村定一」「ディック・ミネ」「エノケン」そして私たち世代では「高田渡」や上海バンスキングで「吉田日出子」もカバーした忘れられない曲ですね。


 

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MY BLUE HEAVEN 吉田日出子バージョン

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MY BLUE HEAVEN が入っている高田渡のアルバム

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