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暁晨と馬

暁晨の郷里は河北省張家口
冬季オリンピックの開催地として記憶に新しい
主な産業は牧畜。

幼い頃に過ごした町ではこのようなロバや農耕馬をまだ使用していた(写真は暁晨の叔母と叔父)

水滸伝(2009)

暁晨が初めてドラマで馬に乗ったのは、『新水滸伝』の時だと思われる。

礫の名手張清役。初めての騎馬でも、全てのシーンは自身でこなした。

武器は礫と槍。

隋唐英雄(2010)

『隋唐英雄』宇文成都。大変に烈しい若き将軍だ。再び武器は槍。

颯爽と現れるここのシーンは白眉。
こちらは雨に打たれての弓
フル装備

新西廂記(2011)

初主演作『新西廂記』。張生。

まだまだ若さみなぎる。
しかしこのロバは主に運搬用員で背に乗ることはない
『海上牧雲記』で再び共演することになる孫堅、ここでは恋敵でありながら張清を慕う役。

隋唐英雄3、4(2013)

『隋唐英雄』、楊藩。
西凉の猛将軍。武器は鉾。

宇文成都に負けず劣らずの烈しい武人。
恋しい人を主人公に奪われ憎しみを募らせる。

隋唐英雄5(2014)

ほとんどライフワークのように出演した『隋唐英雄』最後のシリーズ。
今度は隋の武則天の甥にあたる、歴史に残る問題児武三思。とはいえこの作品の中では悪の限りを尽くした面は描かれず、誇り高い武将という役柄、彼もまた烈しい。
武器は大ぶりの鉾。

初めての海報

三国志趙雲伝(2014)

緑と赤のクリスマスカラー、『三国志趙雲伝』(原題『武神趙子龍』)の馬超。こちらも楊藩のような異国風の造型。

鐙に脚をかけ鞍に跨り手綱を引き寄せるまでのこの一連の動き!手綱を取るさいの指先までもが美しい
鐙を蹴り片手で手綱を操りながら駆け抜ける、痺れるシーン

吹き替え(本人と同じ衣装や鬘をつけ代わりに演じるスタントマン)無しでの駆け抜けるショット。
遠目であろうとたしかに暁晨だとわかる、私のお気に入りのシーン。

趙子龍との決闘シーンから。
棹立ちになるのはお約束。

このシーンの冒頭を探したが、今ではもう動画がなくなってしまっていた。馬からはもう降りているが、当時、否、ここまで暁晨がいかにワイヤーアクションを駆使した激しいシーンばかりを演じていたか、感じていただけたらと思い載せた。

平服時もクリスマスカラーな馬超
閧の声を上げる最終シーン

海上牧雲記(2016)

『海上牧雲記』牧雲徳

皇帝の甥の身でありながら国庫の半分と同じ富を擁する大商人。風流を嗜み静かに縁側で帳簿に目を通している役柄だが唯一馬に乗って主人公に逢いにゆくシーンがある
肝心の馬上のカットはぼけているが、今までにない豪奢な装いでの騎乗がうれしい。

漸く表舞台に。今までにない豪華な"本物の"衣装

鳳凰の飛翔(2017)

豪放磊落な好男子

『鳳凰の飛翔』(原題『天盛長歌』)赫連錚
またもや"隣国の王子→王"という身分での異国情緒溢れる扮装。
登場シーンは馬で市中を漫ろ歩くところから。
母国へ戻るさいの描写のときはセット近郊の野原で。

草原を駆ける姿が似合いすぎる
堂々たる金獅国の王子

シャングリラにて

こちらは事務所の仕事でシャングリラに赴き撮られたもの。
雪原のなか、ワイルドに鷹を放ち
山の斜面を駆ける、暁晨のポートレートのなかで最も彼らしく私が愛している写真。

これ一枚で張暁晨という人間を理解できる気がする
馬への愛情もーーー

ウランチャブ(2021)

主演映画『烏蘭察布』
内モンゴル自治区のウランチャブを舞台に、四季を通じて描かれる男女の物語。
とはいえいきなり撮影されたのは
極寒マイナス30℃の冬のシーンから

大雪原のなか白馬を手懐け疾走シーンを撮る
ハンパない寒さのなか辛抱強く白馬ちゃんに愛情を手向け、"よっしゃ行くぞ!"
痺れまくる

白馬ちゃんになりたい…

暁晨自身は大して変わらない気候の隣の河北省出身のため寒さにはヘイチャラ

万里の長城を挟み
もしか長城の壁の向こうの血もそのからだに入っているのではと思わずにはいられないルックス
血で馬も駆っているにちがいないのでは
馬を愛するその心もDNAの成せる業なのではと思ってしまう

暁晨に馬は非常に似合う
惚れ惚れするすがた
加えて元々備えている優雅な佇まいと美しい姿勢と所作
さながら高貴な騎士のようにーーー

『盛装舞歩(Dressage)』

これは2017年11月に発信された暁晨の所属事務所《東申未来》によって制作されたインタビュー。
暁晨の造型を見ると『凉生』を撮影するころだ。
この後『鳳凰の飛翔』を撮影する。
"盛装舞歩"とは馬場馬術のことだ。

"人間は御することに長ける
人生の戦場を駆ける
馬場馬術はぼくの姿勢
人生のリズムを優雅に刻む
野生味に富み臆病にならぬこと
荒々しく強情に抗う"ーーー

"特には従順でなくカッコイイやつ…(一頭の白馬に目を留めて)見て、これはかなりいい"
馬場馬術は習得しておかなくてはならないものですが、ひどくエレガントで専門性が高いため一定の時間がかかります。
僕たちが馬に乗れるようになるまでと同じような時間がね。
乗るだけでなく調教する、という要素が加わるのだから、普通よりスキルが高い"

"疎かにはせず、かと言って優しすぎては馬を制御できない。鍛錬で身につけた特別なスキルで馬を操らねばならない。
次に、馬と良い関係を築かねばならないということ、背に乗るまでに優しく触って、馬の気持ちを感じてあげなければならない"

"そうやってしてあげながら且つ、自分は善人で、力を持っており、君を虐げたりはせず、憎んだりしない、と語りかけわかってもらう。時にはりんごや人参などを与えたりする、そうして初めてその背に乗ることができる"

誠実さなら誰にも負けない

"演じる中で馬と馴染むことを覚えました。当時は上手くは乗り熟せなかったけど、僕に解放的な喜びを感じさせてくれた体験でした。
自分の内面から止めることのできない野生味が湧き出るのを覚えました"

『水滸伝』より
『隋唐英雄』より

"その瞬間が快感でした。初めて馬術を習得したときは色々上手くできませんでした。
自分の未熟さを知り、全て思い通りに馬を操つれるようになるまでには、人生のように長い道程が存在するのだと思いました。未だにそれは感じています"

『隋唐英雄3』より

"いくつかのアクション•シーンを撮影するときは、両手を手綱から放す必要がある場合があります。
基本的に片手で手綱を操り、右手に武器を持ちます。時には槍、時には剣というように。
両手共々手綱から離さなければならない時もあります。(槍を振り回したり、敵の攻撃を横持ちで受けたりする動作を交えながら)このような感じで。
その間馬はと言えば疾走しているわけです。
両腿でしっかりと馬の腹を挟んでいなければ、あっという間に振り飛ばされてしまいます"

"馬は非常に人並みに知能が高く、乗り手の気性や御する能力などをよく感じ取ります。
僕は馬を愛しています。けれど優しい気性のものより、奔放で反抗的な荒馬の方が好きです。
その荒馬をして、僕が勇敢で、屈強で、お互いの相性がとても良いことを解らせる。
つまり英雄と知られる関羽が馬を持ち帰ったように。関羽のその気持ちはとても素敵だと思います"

"何度も落馬を経験しましたが、落ちるほどに乗馬に興味を持ちました。何度も落ちながら、しかしゆっくりとですが僕は御し方や馬との心の通わせかたを学んでいき、自信をつけました。
馬と単に友だちのようにその背に跨り乗るだけなのではなく、騎乗しながら、動きの規律に合わせながらも人と馬とが戯れ、それぞれの気持ちを一つにし、そして一つになった時にそこに力強いパワーが生まれる。このパワーこそ、僕は"エレガンス"だと思います"

"デビューしてから今までの騎馬シーンは全て自分で熟しています。
僕の馬への造詣の深さから、役柄を解釈することもあります。
スピルバーグ監督の《戦火の馬》は僕がとても大好きな映画です。あの映画で僕は、初めて馬にも独自の主張があるのだと発見しました"

"馬は主のために自身の最善を尽くす。人と馬との間には、そのようなお互いを大切にする感情が本当にあるのです"

"馬場馬術には力と美が存在します。より芸術的で装飾的な緊張感とリズムの追求ーーー誰かが言いました。馬場馬術は人と馬のバレエだ、と"

"騎手は黒のシルクハットを被り乗馬用の長いブーツを履き、心地よいメロディに乗って馬を操り、さまざまな歩き方を操る。
馬場での、調教されたあとの馬は温和です。しかしそれでも、それぞれの体内に私と同じような未だ制御されていないものを持っています。
その身体の内には、幾つかの未知なるものが隠れている"

"野性と屈服しない意志。世の中で静かに何ごとにも動じずにいることは難しい。
僕は自分に言い聞かせるのです、お前が自由に楽しめば、人生のうちの全てのドラマを上手く演じることができるだろう、と。
時々僕は、演技に深く入り込みすぎる嫌いがあるんです。
古代の戦場を駆けていようと、世界がどのように変化しようと、自身の心の声に耳を傾けるのです"

"僕はそれほど遠くない未来、そんな変わらないものに包まれるのを楽しみにしています。
優雅な力はより個性的なものに変化し、独自のスタイルは最高レベルの馬術のようなもの
盛装した人、舞いながら歩く馬ーーー

いかがでしたでしょうか。
常に自己を客観的に見つめ、何度も何度も諦めることなく自身を鼓舞し前を向き進歩する。
物事が、世界がより良いものになってほしいと願いそれを信じて目の前の仕事に全身全霊をかけて臨む。
高きを目指すのではなく、驕らず、嫉まず、常に穏やかで朗らかでしかしながら狙ったものは狙いぬく。

それが、私の愛する張暁晨という人なのですーーー


注。私は中国語はできません。
これらの訳は3割を翻訳機に、2割を単なる日中辞典を頼りに大体このようなことを言ってるんではなかろうかという想像5割で書いたものです。
間違った解釈がぜったいあるはずで、ぜひまともな訳を教えていただければと思います。

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