見出し画像

張暁晨:職業、模特(モデル)。

暁晨は高校を卒業すると、河北省の石家庄鉄道大学会計科に入学し、毎日簿記などに精を出していた。
なぜ会計科かと言うと、母方の叔母が事務員だったからだとか。
北京で地下鉄に乗っていたときに《時尚(ヴォーグ)》誌の記者が友人らの輪の中にいたひときわ眉が濃い、顔も濃い暁晨を見出し、スカウトしたという。
学業のかたわら北京までどのくらいの頻度で通ったかわからないが、割の良いバイト先にありついた瞬間だった。

これらの画像が、辛うじて残っている。
有名誌もあれば、用途不明のかなり際どいものもある。
今から15年前、まだまだ何でもアリだった時代だ。

大学生の学業そっちのけ(本人が朗読した当時の日記内容より憶測)で北京に出てきては小遣い稼ぎに(本人が朗読した当時の日記より以下略)モデルの仕事をしているうちに
いつしか芽生えた出世欲
自身で思い立ったか誰かに唆されたか、暁晨はCCTV(中国中央電視台)主催の第6回CCTVモデルコンテストに出場する。
天下のCCTV!どんなハイレベルな選手たちが集ったのかと興味津津だったが…

………。
ハッ!
失礼しました。私が審査する資格がないのは重々承知しておりまして
時代でしょうか、どの選手も漢臭がむんむん漂ってきます。
で、我がエントリーNo.30、張暁晨はというと

スポーティ・スタイル

…ゴルフと野球の違いをわかっていないのか…

ビーチ・スタイル

ラジカセを手にクネクネフラフラ
この頃は張暁晨の代名詞的な優雅さ、匂い立つような美しい佇まいはまだない
ならいったいいつのまに身につけたのか

休日ラフ・スタイル
(ラフにもほどってものがあると思うが…)

キメキメスーツ・スタイル

ガバガバのスーツ
しかしポージングはさすが手慣れている
ひえー今でもできるのかしら
表情も堂に入っている

うた歌えたりするの部門
モデルのコンテストなのに歌う意味がわからないが
個人アピール・パートなのだ
バレエを踊った子もいた

このドヤ顔から一瞬で気のいい笑顔に変わる
このあたりも非常に良い印象を与えるらしい

ご覧下さい
暁晨は182㎝身長があるのですが(大会規約で参加資格は180㎝以上)
めちゃくちゃちびに見えます
隣の女性司会者も恐らくヒールを履いているでしょうが
私が5センチヒールを履いて彼女の隣に立ったとしても彼女の肩か首くらいでしょう
羨ましい限りです

さて結果は⁉︎

何と暁晨はこの大会で入賞というか
三強(冠・亜・季軍)にはならなかったものの
"最佳上鏡奨(賞)"を獲得!
えええッこのレベルで⁉︎
失礼しました
誇らしい

コレで堂々と"イカしたモデル"であると大手を振ってモデル街道を歩いてゆけると確信すると同時に
どんどん自分から挑戦するカイカンを知ってしまい

次に応募したのは
同じ中央電視台の《挑戦主持人》というこれもオーディション番組。
主持人とはMCのことなので
これに優勝するとどういうことになるのかいまいち分からないが
まず

兵馬俑コスチュームでダンスを披露。なぜ韓国の曲なのかがわからないが
当時は一大韓流ブームだったのだ
つぎに暁晨が紹介される。

"石家庄鉄道大学会計科にしてモデルの張暁晨です!"

満面の作り笑い
ちょっと待った!
"鉄道大学"と"会計科"と"モデル"
この3つには共通点が何も見出せないが
解説してくれ
とツッコまれ。
よくぞ聞いてくれました、ある日僕が地下鉄にいたところ
キミイカしてるじゃないか、いっちょうモデルをやってみないか、と誘われたのです、何と興奮したことでしょうか、で、この間このテレビ局のモデルコンテストにも出たのですが、何と入賞してしまったのです!

さて、モデルであろうとこの番組は司会者を選び出す番組、披露せねばならないスキルとして"伝える"
要素は必須
つぎは即興でアテレコをするというもの。

ここで暁晨は大胆にも、デッチ上げのトンデモシチュエーションを作り出した。
"タイタニック号の船長が遊びが元で解雇となり、新しい船長を募集!さあさあ急いで!"
というもの。
しかしぶっつけであるし、当然映像はどんどん進む。最後はやっつけで結んだものの、審査員からは
"終始がなり立てているだけで意味不明"
"滑舌もナットラン"
とひどいもの。

CM明け、暁晨は最下位。
"不服だろうけれど君はここで脱落だ"
と言われ、しかし暁晨は殊勝に
"今日のぼくのパフォーマンスは正直だめだった。
言いたかったこともあまり形にできませんでした"
とアッケラカンとしたもので、
何が言いたかったのよと思ったら藪から棒に
"こんなにたくさんの若い人たち(観客のこと)とこの場を共有できて嬉しいです。
だってぼくら若者には新しい未来が約束されてるんです"
と。
"キミらは祖国の希望だよ"
と司会者に調子を合わせてもらい、俄に英語で
"ぼくたちの未来はカラフル"と。
まだ何者にもなっていないし何者にだってなれる、と言いたかったのだろうか。
ここで落ちても、また違う未来が用意されている、と。

落ちた選手にはご褒美があり
暁晨は
"英語の専門家と英語で交流する機会がほしい"
と読み上げた。
番組が手配したのは、中央電視台で英語の語学番組を担当している人だった。
暁晨は余裕の態度で英語で話しかける。
その余裕ぶりに、講師の方がたじろぐほど。
"あなたは大学で会計士となるために学び、モデルでありコンテストで入賞するほどのルックスと物怖じしないハートがあり、また英語もこれだけ衒いなく話せる。すごいタレント性ね"
と大絶賛。

"それが、そうは見えないかもしれませんが、ぼくは内向的だったのです。
シカシ
英語がぼくを変えた!
話したくなり、コミュニケーションを取りたくなった!
英語のおかげです!"
とお得意の
"じつは内向的だったのです"
アピール。

"緊張してるようには見えないわ"
と講師の先生。
目の前の若者がフツーではない思考回路と心臓の強さを持っていることをうすうすと感じているのだ。

司会者もうすうすと
この若者にずっと喋らせていたら
いつまでもこの満面の作り笑いでとてつもなく前向きで恥ずかしい姿を曝け出し続けるにちがいないと危ぶみ
"この講師の先生と思う存分コミュニケーションを取ってくれたまえ"

幸運を願っているよ、ありがとう、大丈夫!
暁晨はこんなことで満足もせず
落ち着いて学業に専念せず
性懲りもなくまたこの半年後に
"あの"伝説のタレントオーディション番組に応募するのだった

一緒に出演した二人は、程なく全国を騒がせたあるオーディション番組において、暁晨を目にすることになる。


のちに北京に戻り
中央電視台の家屋でこの司会者に再会しただろうか
あのときの青年がすっかり役者として
中央電視台の作品で活躍しているのを
見てくれただろうかーーー

この番組に参加し、それが放映された日、暁晨はブログで所感を綴った。

"何ごともチャレンジしようっていう心構えがたいせつで、どんな風にしようとか、絶対優勝したいとかは考えないこと。たとえ上手く行かなかったとしても、それは必ずしもマイナスな面ばかりじゃない。
本当に自分が求めているものは手に入らないかもしれないけど、そこに至るまでの過程も楽しいものだよ。
前向きになっていれば、少し成長できたような気分になることは、経験を積んだ喜びでもあるから。
人生には出発点がたくさんある。
何度も出発して、一歩一歩進み、その足跡は残るんだ"ーーー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?