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上海国際映画祭〜俳優張暁晨回顧録

2023年6月9日
暁晨は上海にいた
上海国際映画祭に出席するためだ。

"この場はとても相応しい…何があって?"

暁晨はそう晴れの姿の写真に添えた。
上海ーーー彼にとって彼の地は、単なる"開催地"以上のものを含んでいるからだ。

今回暁晨が"何があって"ここに来たかーーー
それは、同日に発表された映画《盗火者》の助演俳優として、監督、スタッフ、主要俳優陣と共に参加することになったからだ。

おなじみの紅の看板ーーー
ただ暁晨にとって"俳優として"紅絨毯を歩くのは今回が初めてのことだ。
それゆえの感慨だったのである。

晴れ舞台に立った俳優にとっての感慨はもちろんそれぞれにあるに違いない。
しかし暁晨のそれは、エリート演劇専門大学を出て、即人気作品に出演し、当たり役でブレイクした所謂スターとは較べようもないものだったと思う。
勿論それは、較べるべきものではないかもしれない。
しかしこの機会を待ち侘びた私にとってーーー恐らく彼にとってもーーー多くの感慨を抱かざるを得ないものだったのである。

内向的な自身との葛藤

暁晨は河北省の張家口の、辺鄙な村で生まれた。幼い頃市の中心部に引っ越した頃までは、生来のまま、素直で明るい自分だったことを記憶している。
しかし長じるに従って、明るい面は奥へと潜ってゆき、引っ込み思案でパッとしない、自身から見て"意気地のない"性格になって行ってしまったという。

そんな"嫌いな自分"を変えるきっかけは、大学に通っている時スカウトされたことによって急に変わる。

ルックスを売るモデルとして

スカウトされた暁晨は地元の大学に通いながらモデルという仕事に挑戦した。
地元でもモテていたと思われるが、北京に出て、初めて自分のルックスが相当優れていることに気づいた。

"時尚先生"、"Men’sHealth"、"Esquire"ーーー
どれもメジャーな雑誌ばかりだ。

中には目的不明のものもあるがーーー、およそ二年、モデルの世界で過ごすうち、"挑戦"することで外からの評価を得、それにより自信をつけ、"挑戦"することで内面を磨きたい、という考えが生まれた。
2005年に中央電視台のチャレンジ系の番組に出演し、それを皮切りに、

同年、同じ中央電視台主催のモデルコンテストに応募する。

そこでなんと、入賞を果たしたのだ。

このことは自信に拍車をかけ、勢い、2006年、上海東方衛視の目玉企画、のちに伝説といわれるほどの評判をの残した番組、《加油!好男儿》に応募した。
暁晨は河北出身ーーー北京地区から出場すればよいものを、いち早く応募が始まる武漢まで赴く意気込みだった。

武漢地区、エントリーNo.903。
モデルコンテストとは異なり、出場者はほとんどが一般人、武漢地区の応募者は約5,000人。にも関わらず、暁晨が登壇するやそのルックスにどよめきが起こり、審査員もめろめろに絶賛するほど。

初戦で披露したのは楊坤の"我比从前更寂寞"だった。
夢を叶えてみたものの、心に寄る辺なく憂いと孤独に苦しむ歌だ。
これから夢を叶えにゆくというのに、こんな曲を初戦で選曲するところが暁晨らしい。
彼の心は、常により深いものを探索しているからだ。

その地区大会決勝で披露したのが、"Moonriver"だった。

暁晨はこの番組に応募したさい、優勝を狙っていた。優勝できると思っていたのだ。
"僕はモデルです。モデルはひとたびカメラの前に立てば、自分自身を表現できなければならない。
僕は常日頃から自己観察を怠りません"
ーーー
暁晨が今の自分を表現するのに最適なものとして選曲したのがこの曲だった。

他選手が若者向けのロック色の濃いものを選択するなか、暁晨のみ、マンシーニのオールイングリッシュのこの曲をしっとりと歌った。

本人も知らなかっただろうが、地区大会決勝でそれぞれが歌った曲は、暁晨のテーマソングのように全国大会で使用された。

前(さき)に入賞したモデルコンテストとは全く異なり、この番組は選手たちの内面の成長を、たった3ヶ月で急速に促した。
勝ち負けではない、真に素晴らしい男子とはいったいどんなものなのかーーー仲間と共に汗と涙と笑顔で過ごしたこの夏を、暁晨は
"人生で唯一の芸能学校だった。忘れられないし忘れる訳がない"
と振り返る。

アイドル歌手時代

思いがけず途中で敗退したにも関わらず、暁晨には試合中からその優れたルックスと振る舞いにより、目を付けていた業界関係者がたくさんいた。すぐに映画出演の話が舞い込み、番組のスポンサーであったSMGと契約、アイドル的な歌手として、本格的に芸能界入りした。

その年金鶏百花映画祭(第14回)に、ゲストで『好男儿』として招ばれ、憧れの黄暁明を初めて目の前で見た。この年の映画祭では、黄暁明が暁晨らと同じくゲストパフォーマーで、彼に憧れていた暁晨は感激したものだった。

この日、暁晨の運命に関わるもう一人の人物が同じ場所にいた。
黄暁明の北京電影学院同期、陳坤である。

暁晨は彼らと語らいながら、夢のようだと思った。
いつか自分も、夢ではなく現実に、こんな素晴らしい映画祭で賞に選ばれるような一廉の人間になれるだろうかーーー
憧れと羨望と、尊敬の想いで綴られた想いーーー

初のドラマ《青蛙王子》出演陣はみな『好男儿』
主演ミュージカル《再見、我的愛人》

暁晨は上海最大手の事務所の力もあり、本業の歌手だけでなく、舞台劇、ミュージカル、ドラマ、クイズ番組のパネラーなど、マルチタレント的に上海に暮らしながら、精力的にこなした。

舞台を3つ経験し、初めての古装劇など体験するうち、演技の愉しさーーー別人になりきることができ、別人の人生の悲喜交々を追体験するということーーーに目覚め、いつしか俳優として身を立てたいと思うようになった。

上海のアイドル時代は、彼にとって"恵まれすぎたほど幸運"だったという。

北京に拠点を移し、本格的に俳優業へ向かった暁晨。
ところがーーー、、、

俳優張暁晨

《水滸伝》

初の古装劇《美人心計》からルビー・リンの出演作で端役を幾つか務め、《水滸伝》《隋唐英雄》など、古装劇と現代劇織り交ぜて精力的に出演を重ねた暁晨。

《離愛》
《隋唐英雄III》
《成人記》

演技の指導を専門的に受けた経験は、舞台の時にベテラン俳優に教わった程度しかなかったものの、経験を重ねるうち、撮影の段取りや一応一通りの感情表現の仕方、緊張と羞恥心のやり過ごし方などノウハウが分かって来ると演技が楽しくて仕方なくなり、夢中になった。

初の主演作品《西廂記》ーーー
暁晨は演劇専門大学出身者が殆どの現場で何とか生き残るため、先達やスタッフ、監督を捕まえては
"自分が人より優れている点はどこか。そして足りない点は何か"を尋ねた。
そして、褒められた部分は更に伸びるよう、指摘を受けた部分は改善するよう、努力した。
それしか方法がなかったのである。

『好男儿』の暁晨の翌年の選手らは軒並みユニットを組んで成功し、そのまま鳴り物入りで俳優に転身、話題作に主演として出ていた。
初代の暁晨たちの仲間たちは、あっという間に忘れ去られてしまい、暁晨自身も持て囃されたのは上海の間だけ。

一人飛び出してみれば何も後ろ盾や技術はなく、来る仕事をひたすら熟すしかない。
絶賛されていた容姿も、男らしい姿よりも美しさ、可愛さが秀でた者が主流になり、頼みの武器は無くなったも同然。

そして来る仕事と言えば、冷血将校や当て馬の刺客など、魂をどんなにすり減らし、撮影所に籠りきりで体に鞭打ってアクションをこなしていたとしても、華やかな部分はみなエリート校出身の主役が持って行く。

いつも同じメンバーの、大部屋で過ごす日々に次第に苦痛が伴ってくるようになった。

自分の目指すもの、夢は何だったっけ…このまま続ければ何か変わるのか、それとも他の道を探せばよいのか?
自分は本当に俳優になりたいのか、どんな俳優に?
有名になって持て囃されることが願いなのか?
目指すのは賞賛なのか?名誉なのか?
いつかそれが手に入る保証は?

自問自答し迷う日々が続いたそのころーーー、
手に取って読んだ一冊の本が、二度目の転機となった。

陳坤

迷いの極致に達していたころ、暁晨は陳坤の著書にメンションをつけ読後の感激を綴った。
すると、陳坤本人から返信があったのである。
"君が望むなら、ぜひ一緒に切磋琢磨しようではないか"
と。

陳坤は幾多の名誉と実力を所有した稀有な俳優だ。
自身の立場に驕ることなく常に自己啓発と探求を怠らず、チャリティーを興し俳優養成所も創り後身の育成に力を注いでいる。
演ずることをとことん追求する、その姿勢と精神性が暁晨と完全にシンクロしていた。

東申未来。陳坤と周迅が社長を務める

暁晨は迷わず飛び込んだ。
もう一度、俳優としてやってみようと決意する。

デビュー以来暁晨が身に染みて悟ったことがある。
人気は一時的なもので、永遠に維持するなど到底不可能なこと。
容姿も次第に風潮が変わり、衰えるもので、頼みにはできないこと。
演技というものは結局肉体から出るものであり、優れた演技をするなら自身が優れた人間になるしか方法はないこと。

ならばそれをやってみせよう
目指すのは
"見てくれた人を幸せな気持ちにさせることができる(感動させることができる)"俳優
そのためには何だってしてみせる
先ずは優れた俳優になること
名誉や賞賛は後からついてくる
それらを目標にしないことーーー

陳坤は非常に暁晨を気に入り、可愛がってくれ、面倒をみてくれた
憧れの陳坤の傍で
演じることだけに集中して活動することができる日々を、暁晨は手に入れたのだ。

《三国志趙雲伝》

陳坤の所属事務所に移った瞬間
それまでとはうって変わり活動する場が華やかに。
海報があり発布会もある
所謂"日向"に出ることが適ったのだ
周りの俳優陣も一気に一流ベテラン勢、トップアイドル俳優に

《海上牧雲記》
《鳳凰の飛翔》

上質で格式も抜群の作品群ーーー
袖を通す衣装、被る鬘、美術セットも以前とは較べ物にならない
より世界観、より役柄にシンクロできる
演じたものは多くの人の目に触れ
評価してもらうことができる

そしてついに移籍五年目
映画《無名狂》に主演として出演し
この映画は第23回上海国際映画祭にて上映された

暁晨は監督、プロデューサーと共に上映見面会に参加。そのいでたちはあまりにもラフすぎるものだった
このスタイルとスタンスが張暁晨らしさでもあるのだが
ファンとしては張り合いが無さすぎ、へたり込む瞬間でもある
服もあろうに
よりにもよってジャージとは!

このときは
ようやく一つの映画で主役を果たせるようになった
いつかきっと出演作品が
受賞する日が来る
その時こそ
タキシードに身を包み
紅絨毯に颯爽と現れる彼を見られる
そう夢見ていた

実力派演員張暁晨

それからの4年間
暁晨は立て続けに映画に出演した
どれも主役である

《烏蘭察布》
《夢魔霊蛇録》
《奇門遁甲II》
《星環》

その間、ドラマでも
主役こそないが
話題作に立て続けに出演し
持ち前の引き出しの多さを惜しみなく発揮
同一人物が演じたとはとても思えない完全変貌ぶりに
今更彼を認知した視聴者の感嘆が相次いだ

《千古の愛天上の詩》
《雪中悍刀行》
《風起隴西》
《卿卿日常》


独りで歌手としてパフォーマンスし
臨機応変の対応が求められるバラエティ番組のパネラーや
生の舞台経験
報われることのない端役のループ
凡ゆるジャンルの凡ゆる役をし
どの仕事も真摯に向き合い努力を決して怠らなかったことが報われるかたちで還って来るようになったのだ

長い長い遠回りの先にあったもの

輝かしいわくわくしたものとの再会
それもこれも
全て自身の英断と努力に拠るものなのだーーー

回顧、上海

2022年は
上海の仕事で溢れた

ARMANIの品牌活動、

MichaelKorsの春夏コレクションへのゲストとチャリティー活動など。
久しぶりに訪れた懐かしい街を
暁晨は自転車やスケートボードで散策した。

晴れ舞台

そして、季節は巡り再びの6月
暁晨はまた上海にやって来た

今度はジャージ姿ではない
初めてのタキシードだ
デビューして今年で18年
本当に初めてのタキシード
紅絨毯も俳優という肩書きで歩くのは初めてのことである

タキシードなど
こんなイベントなど
中国の少し有名なスターなら日常茶飯事だ
けれど
暁晨には今まで機会はなかった
"無いなんて、そんなはず…断っているのでは?"
と揶揄い紛いにアイドルスターのファンから言われたこともある
しかしこの場に暁晨がこの姿で現れたことではっきりした
断ってなどいない
機会に恵まれなかったのだということが。

アイドル時代
何度も書いたボードへのサインも久しぶりのことだ

このボードは東方衛視が用意したものの方
紅階段
ズラリと並ぶ

火に因んで"火火火炎炎炎焱焱焱燚燚燚!"の字を見せて。

その同じ会場には

かつて憧れた黄暁明もいた。
あの日金鶏百花映画祭で初めて会った、今までテレビで見るだけの手の届かなかった黄暁明。この人と自分はこれから、同じ世界で生きるのだーーー胸熱くそう武者震いした。
陳坤の麾下で研鑽し、黄暁明と同じ場所で俳優として同席しているという、この奇跡のような状況は、万感込み上げるものがある。

仲間たちと共に。嬉しそう❤️


司会はかつて『好男儿』の司会もしてくれていた陳辰。

選手らとの距離はとても近かった。
選手が一人去る度に、彼女は泣いてしまうほどだった
デビュー後、一緒に雑誌の表紙を飾ったこともある
同じ事務所の大御所俳優、倪大紅のパフォーマンスを観ながら。

控室にて。

主演の王源の大サービス

憧れだったBAZAARの
映画毎の合照も
素敵極まる✨✨✨

その夜
誰もが寝静まったころ
暁晨は胸いっぱいであることを呟いた
しかしそれは
朝になりファンたちが起きたときには削除されていた

ファンのためのチャット掲示板。本人も現れることがある。主が微博を投稿すると報せが入る

あるファンが探し出し
それは確認することができた
その内容とはーーー

"僕は感情が希薄な人間だ。でも本来は違うんだ。……僕のせいなんだ……"

本来は違う、幼い頃はもっと素直に嬉しい時は自然に笑っていた。
それがいつしか、変わってしまった。
けれども
今夜は
そんな淡白を装っている普段の自分を忘れ
心から喜びを謳歌したい
"嬉しい夜"
俳優として
一廉の存在となれた

報われない日々の苦悩は無駄ではなかった
懐かしい第二の故郷でそれを享受できた喜びーーー
映画祭で堂々掲げられる作品に出演できるようになれたのだ

弛まず歩んできた芸能の世界の"道"
紅い絨毯を踏み締めるところまで来た
その深い感慨ーーー
"僕は感情が希薄な人間だけど、今夜だけは違う。
興奮して眠れないんだ
忘れていたこの"感じ"
嬉しいんだ"ーーー

暁晨はこう書きたかったのではないだろうか
削除したのは
"自分だけの感慨"に留めておきたかったから
喜びを全面に出すのは粋でない
そう思って消したとすれば
非常に彼らしい
真相は彼のみぞ知る

自分は間違ってなかったーーー
これからだってなってみせる
"良い俳優になり多くの人を感動させたい"
という夢を追いながらーーー

昨年の夏
上海の街を散策していた暁晨が上げた一つの動画
"MoonRiver"の曲と静かな雨のカフェ
彼にとってこの街は自分の俳優としての原点なのだ。

私:”MoonRiver”!この街であった様々な出来事を、貴方は思い出していたのね
暁晨:そうだよ。まさに(この街こそ)僕の"人生"そのものなんだ
ーーー

"より良い自分"に生まれ変わるために飛び込んで
それからの長い長い旅のーーー
素人アイドルから
強力実力派俳優と呼ばれるまでになった
私は彼に対して
どうか"自分を褒めてあげて"と思った
彼は誇っていいと思う

彼の座右の銘とともに
暫し酔おう
この夜の充足感と
幸福感にーーー

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