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『好男儿』その後〜それぞれの道"武漢五強"はそして伝説に

私の愛してやまないゆったりとした優雅な動き、美しい角度、美しい指さきのかたち。

『好男儿』の制服と幾つかの服、数枚のCD…それらをしまい、肩にかけているのは『好男儿』で支給されたバッグ。緑と青がある。
宿舎をあとにした兄、残された弟天宇ーーー
地区予選大会決勝で選曲した"Moon River"がこれほど効果的にメランコリックに使用されようとは。

第五戦の翌晩に上げられた写真

暁晨はすぐに北京に戻り、元のようにモデルの仕事などをした。
ファンに向けて書かれた文には、正直、ここで自分が淘汰されるとはちっとも思っていなかったし、何となく不満も残っている、とある。
いかに自信満々で臨んでいたかがわかる。
そばでぐらぐら悩んでベッドでごろごろ転がりながら毎晩愚痴を溢していた天宇に、仕方ないなあと呆れて面倒をみていた暁晨が目に浮かぶようだ。
もちろん天宇がまともなのであり、暁晨がとんでもない心臓の持ち主なのである。

私が大好きな、ほかの選手たちとは違う空気を醸す雛壇暁晨詰め

張暁晨の『好男儿』で燃焼したひと夏は終わりを告げた、かに思えた。

ところがである
『好男儿』で脱落した暁晨だったが、その試合中彼がブラウン管の中で映っている姿を真剣に見つめている人物がいらしたのだ
その人物とは、高亜麟監督。氏は焦っていらした。いつでも撮影できる状態で待っていたのに、脚本段階から目星をつけていた映画を林俊杰に降板され、途方に暮れていらしたのだった
そこへ、たまたまTVで見ていた『好男儿』の一選手ーーー勿論それは張暁晨ーーーを見た瞬間、ビビビと何かが監督の脳裏に閃いたのだった

高亜麟監督。ありがたかったのかそうでなかったのか…

"この子だ!!林俊杰にも負けない新時代のアイドルスターになるオーラを彼に見出した!"
と目がハートマークになられた監督は、それから数試合(と言っても暁晨が出ていたのは最初の1か月のみ)を見守り、暁晨のルックスと立ち居振る舞い、素の時の様子、真摯な練習態度や協調性などを見、退陣した後も衰えない暁晨に対する人気ぶりなども総合的に見てやはり彼しかいない、と決断して下さった。
というわけで暁晨は急遽北京でこの"夢のような"展開で進んだ映画の撮影参加の話に飛びつくこととなった。

高監督と暁晨
1カットに15回ものNGを出していたという暁晨
暁晨の肩書きは一応男2号(準主役)

そうこうしている間に『好男儿』では、暁晨が去ってすぐ後
「やはり敗者復活戦をして向鼎や暁晨を再び送り出して」
と、陳澤宇や郭帥のときのような敗者復活戦を望む声が上がった。しかし、
「いや、敗者復活戦はやりません。どころか、このまま1試合につき1人を淘汰していっても、あと6回やらなくちゃいけないし番組の尺も保たないんで次から1試合につき2人ずつにしまあす。その方が面白いと思うんだよね!」
「えええええ⁈そんなあ」
「あ、それから、8月22日にやるって言ってた人気選手らのお楽しみコンサート、やっぱ9月1日にします。9月ね、よろしく!」
などと大らかすぎるお偉いさんがたの決定で、人気選手が復活するどころか現選手が倍速で去ることに。

番組総括プロデューサーさま。
試合直前のイベントにて。現役兵士なのにここまで来た怡川もスゴいったらない。
同イベントで心ない観客から"お前は上海出身じゃない(迪文は広東出身)なのになぜ上海代表で出てんだ、そこから降りろ!"と言われ傷つき泣いてしまった巫迪文。私の王子様に何ということを。
別に上海出身者ぶろうとした訳ではないのに。なら北京に住んでる天宇と暁晨はどうなるんだ問題。

そして迎えた第六戦ーーー

暁晨のいない第六戦

第6戦前に撮られた馬天宇の胸元には、二重に『好男儿』バッジが留められている。向鼎と暁晨のものだ。
無敗神話を作り続けてきた武漢四人(この四人が潜り抜けてきた関門は何と10。魏斌などはPK対決などを含めると14回である)。暁晨が淘汰され三人、残るのは?
第一ラウンドで呉建飛と風雲対決台に登ったのは陳怡川。

第六戦のタイトルは"時空之旅"。SFの世界に飛ぶ。

時々忘れそうになるが、怡川は現役の軍人なのである。本物の戦闘機に乗り、空をマッハで飛んでいるのだ。

モノホンの空軍のジャケットを着て撮ってくれたもの

怡川の"怡"は愉しみの意。人生が愉しいものに彩られますように。"川"は祖国の山河のことーーー怡川の名は父親がつけた。

めちゃくちゃ可愛い件

怡川は母方の祖父が同じく人民解放軍の軍人で、勲章も貰っている。憧れのおじいちゃんが最近大病で倒れた時も、最愛のおばあちゃんが亡くなった時も家に戻り見舞うことは叶わなかった
"息子はお国のために任務に就いているんですもの"
怡川の母親は涙を拭っていた。

軍人のイメージを現代らしくカッコイイものに変えてみせる、そんな気概で臨んだイケメンオーディション、怡川の他にも軍人の出場者は複数いたが、決勝まで残ったのは怡川だけだ。
ここまで残ったのはすごい。

最後に宋暁波に教わった手話を使い、暁波にメッセージを。そしてそのあと行ったキメ・ポーズは鍾凱のものだ。
怡川は、試合中最も印象的だった出来事について尋ねられたとき、"鍾凱の離脱"と答えた。残された自分たちの打撃は計り知れないものだった、と。
試合で残る都度、怡川は決勝を共に戦えなかった鍾凱に代わり、自分が去るときはこうしようと決めていたに違いないと私は思った。
怡川が取るなら当然最敬礼だろう。このポーズにしたのは、きっと鍾凱の無念を、こうすることで晴らしてやりたかったのだと。

そしてーーー、もはやセオリーとなったことがわかる胸章を残す、ではなく託す場面。
向鼎がボードではなく、親友の健闘を祈って"贈りたい"と言ったときから、その感動的な行為は定着した。
『好男儿』はこうして、生き物のように臨機応変に変化してきた。それは、選手たちが各々の心に従って、それを貫いてきたからだ。
だから心を動かされる、素晴らしい番組になったのだと思う。
"バッジは馬天宇に。魏斌、嫉むなよ。俺とお前の仲だ、(俺の気持ちがどこにあるのかは)お前は承知してるはずだ"ーーーなんちゃって、これはこう言ってくれていたらいいなという私の願望だが、天宇は嬉しそうだ。
鍾凱も、暁晨も、怡川もーーー魏斌が可愛くないという訳ではなく、みな天宇が危なっかしくて心配で仕方ないという思いと、どうかもっと成長してくれという願いを、どうしても抱いてしまうのだろう。
それもまた天宇の持って生まれた魅力なのだと思う。

こうして、怡川は軍に戻っていった。芸能人への道は歩もうとはしなかった。あくまでも軍人として、彼は参加したのだからーーー

馬天宇、ついに離脱

この大会中、常に話題を振りまいたある意味"問題児"馬天宇。
華奢な体躯、可愛い、可愛いと審査員らに評された透き通った涼しげな貌、悪戯っ子のような幼さ、と思えば芯を感じさせるふとした時の真摯な表情ーーー
純粋に素人から選ばれ、武漢地区のチャンピオンになったまでは天宇の与り知らぬ運命だったのだが、

今はただ懐かしすぎる地区予選大会での天宇

全国決勝に残ったその姿を見たもとアルバイト先のスタジオの有名カメラマンが
"ぼくの元恋人だ!"とひっくり返るようなことをブログで言い、ひっくり返るような騒ぎになったかと思えば

『好男儿』応募以前の天宇

"ぼくはあの時の暁晨哥哥だよ!"
"暁晨哥哥、会いたかった…!けっこんしよう、永遠に一緒だって約束したよね?"
なんていうBL小説が始まってマスコミから選手らまで回し読みされるようなひっくり返る事態になったり

別に構わないよね? まあな
いやいや…

"ぼくはもうやめます。どうぞ魏斌に投票してください"
と生放送の試合中叫んだり
なら向鼎と代われ、ちょっと待った、じゃあ鍾凱は?などと誹謗されたり

次々起こる(起こす)事件、騒動の常に渦中にいた天宇。それもこれもものすごい力技で司会進行するベテラン曹氏のテクあっての本番だった
そしてあの『譲票門事件』とまた同じシチュエーションに。

全ての兄らが去り自分だけが残るのなんて耐えられない。
そんな気持ちから、当初自分がリードしていた時は険しい表情で首を振っていた天宇。
"今度こそ何もするなよ!"
と冗談混じりに魏斌が釘を刺し、笑う天宇。
しかし後半魏斌が一気に追い抜くや、嬉しそうにその胸を叩いた。

8月末に行われるコンサートの練習のため15強の兄弟たちがどっと応援に駆けつけたこの試合。
一週間ぶりに会う暁晨、そして鍾凱のエールに明るく答える。

馬天宇の故郷と家族の映像。これは第四試合、向鼎との対決時のもの。
馬天宇は回族で、山東省出身だ。
この番組のこの映像などによって、彼が非常に辛い半生を送ってきたことが全国に知られるようになった。
"4歳で母と死別"し、父親は借金苦で蒸発。二人の姉と父方の実家へ身を寄せるものの、其方も極貧の生活で、日用品にも事欠く状態。
教科書は近所の卒業生のものを借り、靴は祖父のお下がりといった具合で、彼は潔癖症だがそんなことを言っている状況になかった。
母親のいない天宇が泣く度に、彼が、自分たち家族が憐れで惨めで皆が涙を拭う。そんな日々だった。
最近天宇が二年後に引退を考えている、とバラエティ番組内でこぼし、ニュースになった。
『好男儿』のときは母の死因は明かされてはいなかった。病死、と書かれているものもある。
しかしこの番組内で天宇の口から語られた母親の死の真相ーーー
彼の母親は、まだ4歳だった彼に薬を買ってきてほしいと頼んだ。
"余ったお金でチョコレートを買っていいわ"
その言葉に惹かれ、彼はおつかいを請け負った。
果たして、その薬で母親は自殺したのだ。
天宇は言う。
その薬でママが死ぬとは
二度と眠りから覚めないとは思わなかった
ママはぼくの買ってきた薬で死んだ
あのとき、薬を買って渡さなければ…
あのとき、チョコレートを食べてみたいと思わなければ…

計り知れない悲しみを背負い、彼は芸能界で父親の借金を払い家族を助けるために15年耐えてきた。
もう疲れてしまった。
芸能界から離れ、のんびりと静かに暮らしたいーーー
その言葉は『好男儿』の時からしばしば溢していたものと同じ
誰が天宇を止められるだろうかーーー

馬天宇の去るとき

お馴染みの曹氏の声でカウントダウンがなされ
降りてゆく天宇の迫
印象的なのは、心底ホッとした風の天宇の笑顔だ。

このときはまだ彼は、『好男儿』という番組が終われば、また北京へ戻って日常に戻り、当初思っていたように一から演技を学ぶ学校へ行く、そこから始めると決めていただろう。
しかし『好男儿』でこれだけ有名になった彼とその美貌とその才能が、彼を静かな日常へ戻すことはもう不可能だったのだ。

自身が既に去った兄たちから託された『好男儿』の胸章を
ちょうど四人残った兄たちにそれぞれ贈る
蒲巴甲には同じ重慶地区の向鼎のものを
巫迪文には怡川のものを
建飛には親しかった暁晨のものを
そして自分のものは
大好きな魏斌にーーー
いつもの如くに飄々と胸にそれをつけている天宇を
いつもの如く魏斌は髪をくしゃくしゃに撫でる
その額をつけて別れを惜しむ
"全くお前ってやつは何でそうなんだ"
いつもの如くそう言いながらーーー

泣かないで、優しい暁波ーーー
笑ってそのほおの涙を拭ってやり
嬉しそうに跳ねながら
飛びながらファンの合間に消えてゆく
エントリーNo.8 馬天宇
最終成績は全国6位ーーー

その後の『好男儿』

全国10位の陳澤宇は"最具親和力賞"を獲得。
皆がほっとできる澤宇の人間性
暁晨は感銘を受けていた。
退陣のさい見せた澤宇の淡々とした態度と終始貫いた笑顔は、その後退陣する選手らにも強烈な印象を残し、皆が澤宇に倣おうと思ったかのように、勇気づけた。澤宇のおかげで退陣のときの悲壮感、虚無感が消え去り、満足感、達成感へと変わったのだ。

全国9位の向鼎は"最具潜力賞"を獲得。
記事中には書かなかったが、向鼎は"自分だってレッキとした男だ"と証明したくて応募したのに、その容貌が全国に晒されるや、やはりというか前以上に"女の子のようだ"から"ゲイでは?"などとまで書かれるようになり、毅然と向鼎はその雑誌と記者に訴えを起こした。
そんなさ中の試合だったのだ。
芯の強さは、真の男に相応しい。

全国8位の張暁晨は"最佳紳士風度賞"を獲得。
最佳紳士風度賞とは即ち
最高にエレガントなジェントルマンで賞
という賞だ
文句あったら橙汁が黙ってないワヨ!
って怖い
もちろん文句などあるはずもない

全国7位の陳怡川は"最佳才智賞"を獲得
軍人なのにワルツからタンゴからこなしてみせた。

全国第6位馬天宇は"最佳網絡人気賞"を獲得
彼のブログは実に570万以上のアクセス数だとか…すごすぎ。

全国第5位が魏斌だ。
残念ながら、魏斌が去る動画を見つけられずにいる。地区予選から実に多くの土壇場を経て、武漢いちの成績を納めた。
彼は"最佳才芸賞"を獲得。

殿軍(第4位)は巫迪文
地味に最後まで頑張って残ったといえる
"最佳体魄賞"を獲得。

季軍(第3位)は呉建飛。
後半明らかにされた、馬天宇に勝るとも劣らぬ貧困に苦しんだ半生が共感を更に喚んだ。
"最佳上鏡賞"を獲得。

亜軍(準優勝)は宋暁波。
第四戦あたりから誰も太刀打ちできぬほどの票数を集めていた。
彼の影響で手話を習う人が激増したらしい。

そして冠軍(チャンピオン)に輝いたのは蒲巴甲だった。当日は郷里から両親が観覧に来ていた。
夢のような出来事だったろう。

2006年第一届三甲

その後の15年

15強が集まり、『好男儿』のCD発売記念発布会に。馬天宇も入っているこちらの写真は『好男儿』と言えばこの写真と言ってもいいほど使われまくるというのに、8位入賞者にも関わらず暁晨がいない。
この8月最後の週は例の映画を撮影するため、北京を離れられなかったためだ。
9月1日のコンサートも、参加はしたもののほとんど練習に加われなかったために、ソロで歌った"你的眼神"だけとなった。つくづく悔やまれる。

その後の『好男儿』たち

マレーシアのコンサートにて

暁晨をはじめとした12人の選手ーーー呉建飛、蒲巴甲、陳澤宇、向鼎、鍾凱、毛方圓、沈人杰、宋暁波、巫迪文、魏斌、郭帥ーーーは、9月のうちに東方之星(SMG傘下)と契約を交わした。
そのうち、鍾凱、毛方圓、巫迪文、陳澤宇の四人は《兄弟联》を結成。その後、それぞれ俳優として芸能界に残る。

向鼎、郭帥、程顕軍、魏斌の四人は《Hero組合》として。

暁晨は北京を引き払い、上海のSMGの宿舎に。暁晨と建飛はユニットには入らずにソロの歌手として、たくさんのステージに立ち、ミュージカルなどにも挑戦し、やがては俳優業に集中するように。

引っ越しの日。陳澤宇に手伝ってもらう。
歌番組より
イベントにて
歌番組より
春節の歌番組より(野外ステージ)
ミュージカル『赤と黒』怡川が観劇に来てくれた。
ミュージカル『再見、我的愛人』。3本出たミュージカルは全て主役。
イベントにて


また、『好男儿』の2007年度生らと共に、『青蛙王子』『テニスの王子様』などのドラマに、レギュラーとして出た。

『青蛙王子』。暁晨の出た初めての本格的なドラマ。
共演は鍾凱、巫迪文、宋暁波、呉建飛
『テニスの王子様』。出演は第一回と第二回の『好男儿』主要選手ら。暁晨はルドルフ学園(中国版では大学設定)の観月を演じた。

こうして、しばらく暁晨は上海を拠点に、『好男儿』ファミリーたちと賑やかにアイドル歌手、タレント生活を送った。

今では考えられない状況
アイドルなのでバラエティにも出る
今では滅多と機会がなくなったボードniサインも
これが、先ず撮られたあのときの映画。2007年3月に公開された。
初めてにして唯一のシングル。

そして、2009年に初めての古装劇(時代劇をこう呼ぶ)出た『美人心計』によって、本格的に役者を志すようになってゆく。

劉武

呉建飛は暁晨と同じくソロ歌手としてデビューし、たちまち"ポスト金城武"と異名をとり大変な人気に。ドラマや歌番組に引っ張りだこに。

郭帥は『Hero組合』以外にもドラマなどに出ていたが、やり手の事業家の妻を得て幸せな家庭を築いている。

巫迪文は『兄弟联』の後俳優となり様々なドラマに出ている。
『三国志趙雲伝』では暁晨と共演した(絡みはない)。

巫迪文は李儒役

わりと早く彼は女優の殷宝莹と結婚し可愛い女の子に恵まれた。
明るいキャラクターは変わっていない。すてきなパパに違いない。

宋暁波は暁晨らのドラマなどに出ながら、東方衛視専属の手話を担当している。
彼の結婚も早かった。奥様は暁波と同じく乳児期の大病により耳が不自由になった方。モデルをしてみえた。二人の間に生まれた女の子は健常だった。
頻繁に娘さんとのTiktokをアップしてくれる。

天使のようなお嬢さん

蒲巴甲は『好男儿』後上海戯劇学院に入り、精力的に俳優として活躍している。
『隋唐英雄』では暁晨とも共演した。

素敵すぎるチベットの民族衣装
秦琼を演じた。宇文成都と絡んだかは未確認

鍾凱は10強には入れなかったものの、すぐに陳澤宇、毛方圓、巫迪文と『兄弟联』として活動し、暁晨たちとドラマに出て、現在も俳優として芸能界にいる。
『好男儿』の最年長でもある彼は、弟弟らから変わらぬ尊敬を受けながら、集まる機会があれば必ず顔を出してくれる。

兄弟联
私が1番お気に入りの海報
暁晨宅にて飼い犬鳴人と。鍾凱は犬をこよなく愛する。
とりわけ怡川とよく会っている
武漢の兄たちといる時の暁晨は、本当に嬉しそうだ


魏斌は『好男儿』の後、向鼎、郭帥、程顕軍と"Hero組合"として活動し、暁晨や建飛と映画やドラマに出るなどしていたが、人気が下火になると家族で起業し、イベントなどを企画、開催する仕事を始めた。結婚し、一児がいる。

Hero組合
建飛、暁晨と一緒に出演した映画『婚礼2008』の発布会にて
魏斌と奥様
魏斌はクリスチャンだ。結婚式も教会で行った

陳怡川は空軍で2019年まで戦闘機に乗ったのち除隊。なんと、それから三年かけてスゴいえすえふ小説を書き上げ、小説家に転身したのだ。
驚いたのなんの。すごいよ怡川!

怡川も結婚し所帯を持ち、女の子の父となった。
除隊して養っていけるのか心配している。余計なお世話だが。しかしこのきな臭い時期に怡川が軍を辞めたと知りほっとした。

みんなパパになってゆく

馬天宇は説明する必要もないほどだとは思うが
宣言通り北京電影学院にゆき
僅か半年でCD『宇光十色』で国内最多セールスを記録し一躍国民的スターになる。

国民的大ヒットドラマに少しだけ出演したのちは
『怪俠一枝梅』『古剣奇譚』など、人気の古装劇で順調にスター街道を走った。
『好男儿』の選手たちは折々でそれぞれ集まったりしていたが、天宇だけはなかなか参加できなかった。『好男儿』が終わってから8年目、古巣の東方衛視の番組で、天宇へのサプライズで旧東方之星傘下の五人が駆けつけた。

武漢で二人だけ残った、第6戦の幕間で。
かつてのままに接する魏斌。弟は大スターになってしまった

兄たちを見た瞬間に、天宇の瞳に涙が溢れ、忘れかけていた兄弟たちの温もりを思い出す。
一人一人と抱き合いながら、無鉄砲で無邪気だった自分から、長い月日を隔てていたことに号泣する。
とりわけ魏斌と抱き合うときは、その肩に頬を乗せ、安心しきることのできる幸せに笑顔になる。
"こんにちは、8号馬天宇です"
当時まだ無名だった頃のように口に乗せて、照れ笑いする。
そして更にその二年後、天宇の誘いで暁晨は天宇が主役のドラマで共演することになった。

"いつか共演しよう"その約束が果たされた。
暁晨は天宇の異母兄役だ。
"10年前君はぼくの兄だったけど、10年後もまた兄さんだなんてずるいや!"と
この異母兄はありとあらゆる手で異母弟の幸せをぶち壊そうと姑息な手で陥れまくるのだが
天宇がスター街道を爆進している間に
あの優雅で優しかった兄は裏街道を爆進していた。おかげですっかり悪役が板についた演技派になってしまっていた
次の動画はこの作品の内容です
自己責任でご覧ください

こんなどシリアスなやり合いのなか
メイキングを見るとこのように破茶滅茶に楽しそう
とにかく天宇がはしゃぎまくり
当時のままに晨哥を容赦なく叩きまくり蹴りまくる

"初年度なんだ。ぼくが8位"
"ぼくは6位"
"ぼくたちは寝食を共にしていたんだよ"ーーー

そして更にそれから二年
天宇は暁晨の結婚式の伴郎を務めてくれた
この結婚式では
馬天宇の出席により実に13年ぶりに武漢の5人が結集し
また他にもメイクアップ担当だった史建、宋暁波、呉建飛も駆けつけ、もう一人の07年『好男儿』の選手である伴郎の王伝君を含め、『好男儿』の同窓会のような様相となった。

天宇のタキシードはこの日のための特注
武漢五強
花婿、暁晨
乾杯、乾杯!この日の招待客はじつに220人。みな暁晨の人生に関わりを持つ大切な人々だ
鍾凱と魏斌。鍾凱はまだ独身だ
鍾凱、馬天宇、詩婭さん、暁晨、呉建飛、宋暁波、陳怡川、魏斌
暁波と
魏斌、怡川、天宇
怡川と天宇
貴重なスリーショット

暁晨の結婚式の模様は昨年Twitterでまとめてお送りしたものがあります。
大変素晴らしい華燭の典をぜひご覧になってください。
私の愛する張暁晨という人間がどんなか
よく分かっていただける最高の題材だと思っています。

伝説となった武漢五強がなぜ伝説になったのかーー『好男儿』を今回具に研究して
なぜ暁晨があれほどまでに自分の可能性を信じ
周りの人間に慕われ愛され
また暁晨自身も多くの友を愛して
前向きに夢に向かって精一杯努力できるのかが分かった

"『好男儿』はぼくの芸能に関して唯一学ぶことができた学校でした。
そこには全てがありました。
あの夏の日々を忘れることなどありませんしできません。
兄弟たちがそれぞれの場所で活躍することを心より願っています"ーーー

『好男儿』の舞台に上がれば誰でも『好男儿』になれる
夢を決して諦めない
そのためなら何だってするーーー

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