ここにきて自分迷子

 秋も深まり重ね着に心が躍る時節となってきた今日この頃ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。よく秋は行楽シーズンと言われますが、汗もさほどかかず肩が重くなるような厚着もせず荷物が抑えられるからではないかと昨今出張三昧(当社比)の私は推測しています。9月から毎月2回程度のペースで出張をしていますが、まさか行楽シーズンを狙って計画されているのでしょうか。福利厚生が充実していますねうちの職場(思想の自由)。旅行好きなことも相まって、旅行用に持ち物を棲み分け荷物を少なくしQOL向上を達成できているのが最近の楽しいこだわりです。万年肩に重めの凝りを住まわせているため、一日ふらりと出かけた肩掛けバッグでも肩がSOSを発します。新しいバッグを探す筆頭基準が肩掛けの紐が幅広であることになり始めています。お目当てを見つけ出すのもなかなか至難の業。耳より情報がありましたらこちらまで(下を指差す絵文字)。

 私は旅行へ行くこと、出かけることが好きです。出かけるというのは、家の外に出れば目的は達成されるため、家の周りを散歩したり、スーパーやコンビニに買い物にいったりすることもその一つです。なんなら窓を開けるくらいで満足する日もあります。なぜ好きかというと、自分の中にある「世界の解像度を上げたい」という欲求が満たされるからです。ここについては後述します。たとえ見飽きた家の周りだとしても、近所のスーパーだとしても、一日として同一の景色はないと私は考えます。何度も歩いた道かもしれないけれど、昨日と今日とは踏みしめた場所も自分の足も感情もどこかしら変わっていると思います。この通勤電車は同じ時刻で同じ車両の同じ席だけど、なぜか毎日同じことの繰り返しだと思うこともそれを憂いたこともありません。同じ動作、生活を繰り返すことで身体が記憶し慣れを習得することは人間にとって重要な機能の一つだと言われます。もちろん理解はしていますし、言われたくないアドバイスNo.1「慣れたらできるよ」はなんだかんだ一理あってしまうなあと実感はしていますが、私は慣れの功より拙、慣れてからの恐怖感が常に付き纏います。これまでの人生経験において慣れによる慢心が原因の失敗があまりに記憶に強いからです。口癖は「調子に乗るな」です。ここまで後ろ向きな理由だけではなく、いつも新鮮な気持ちでいた方が世界を楽しく見ることができるんじゃないかなーという子供心な理由ももちろんあります。ただ前者の理由が意識の底にこびりついているのだろうとは薄々勘付いています。なんて生きづらい思考。これぞ人間の醍醐味ですね。「慣れ」に対する懐疑心が拭えないまま、周囲のペースに追い付くため社会人っぽい慣れた物言いをしている自分を脳内で笑い、いつかの「あの日」の自分の視点を失わないように生きていきたいと思うもののゆっくり確実に変化していく自分と人間関係に心をめちゃくちゃにされつつ、どうにかこうにか人間をやっています。いつかこんなに悩んでいた自分を笑って話せる日が来るし、いくつになってもきっとずっと悩んでるし、生きている限りどんな些細なことでも悩む権利があるのだから悩みきってやる所存です。言論の自由。
 先述の「世界の解像度を上げたい」は、道徳の授業で習った「相手の視点に立って考えましょう」を実践するための足掛かり的思考です。まだ心のノートってあるんですかね。観光地でも景勝地でも無人駅でもその駅の住宅街でもどこでも良くて、世界には未だ知らない風景があって、絶対にそこには生活を営んでいる人がいて、土地土地に特徴も課題もあってそれに適応しながら生きている人がいると思うと、スケールの大きさにしんどくなりますが背筋伸びる気がするし自分だけじゃないかもとも思えます。自分が行動しさえすればどこへでも行ける、そう思える環境にいられるのであればその権利をフル活用してやろうではないかという心意気で、世界の解像度を上げるべくこれからも津々浦々馳せそんじていきたいです。良いこと言った!(自社製造自己都合ガヤ)実際問題仕事はあるしお金は潤沢にはないし、時に全てのやる気が削がれもするしやるせなさで途方に暮れもしますよね。目下、無駄遣いを減らそうを目標に帰り道の誘惑と闘っていきます。ポイ活もしようね。

 刻一刻と自分に注ぐ愛情の量を乱高下させつつ、晴天も雨天も愛していきましょうかね。23歳って厄介だな全くもう!

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