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See you, again.

 3月25日、最後の一週間が始まった。この日は朝からそわそわしていた。現在うっかり職場恋愛に手を出してしまっているのだが、先週相手から課内の飲み会で職場の一部にばれたとの報告を受けたばかりだったのである。私自身は同期にしか伝えておらず周囲に話をする機会もないため、職場で言うかどうかは相手がやりづらくない程度に、と任せていたのだが思っていたより早くさくっとばれていた。そりゃ飲み会で彼女が出来ましたなんて話を自分からすれば全部吐くまで離さないに決まっている。こいつ彼女出来て浮かれてんな、と呆れつつ自分もまあ満更ではないのが現金な所だ。職場では普段通りにすました顔でいることもできるけれど、すれ違いざまに「この人私が恋人なこと知ってるんだ…」と思い出してしまうと非常に気まずくなる。一人相撲もいいところ。一点ややこしいのが、相手と私は部は同じだが課が違うため仕事の関わりはほぼないものの、相手の課の非常勤職員さんと私が仲良しでよく話しかけに行くのである。非常勤さんは相手と課内でもちろん関わるのでぽつぽつ噂は知っている状態。これは私から非常勤さんに直接報告すべきだ、むしろそうでないと私の心の安寧が保たれない、とはいえ早めに言わないとタイミングを逃すなかなかに切迫した状況で月曜日を迎えていた。そしてそのタイミングは早々に巡ってきた。月曜の朝、定時前でフロアに人は少なく、たまたま課には非常勤さん一人だった。普段は相手含め向こうの課は出勤時間が異様に早く、定時30分前でほぼ全員出勤しているような早起き集団なのだが、その日は既に別の部屋で打ち合わせを始めており席を空けていたのだ。朝一はまだ心の準備が整っておらず焦ったが今を逃す手はないと直感が働き、ええいままよと課に乗り込んだ。いつものように挨拶したものの若干声が震える。いつものようにほんわかと挨拶を返してくれる非常勤さん。癒される。「実は報告がありまして…」と自分からハードルを上げる出だしをかましてしまい、「何⁉」と非常勤さんを身構えさせてしまった、すみません。「この間彼女出来たって言ってたらしいじゃないですか」と前置きし、一拍置いて「実は」と言う前に、「○○さん(私)でしょ?」とまさかのさくっと先行ネタバレ。一番恥ずかしいタイプの返しだった。勘付かれていたことも自分のごにょごにょした前置きも「なの?」じゃなく「でしょ?」なことも総合して穴があったら入りたい衝動を抑えられなかった。報告できた安堵感はあるし喜んでもらえた嬉しさはあるものの人生でここまでオープンにした経験がなく、久しぶりに恥ずかしさにまみれた。相手の良い所プレゼンタイムが挟まったの面白かったな。仕事中の様子をLINEで送ってもらう約束を取り付けホットラインを確保したのでとりあえず満足。すぐ別れないように善処しなきゃなとしみじみ思った。

 3月26日、残り4日。数字にすると短いが、仕事が片付いていないせいか全く実感が湧かなかった。異動の発表があってから、引っ越しの準備はしているもののいまいちピンと来ていないし、引継ぎの整理は毎日何かしらしているが見えている景色は変わらないため気を抜くと終わりを忘れる。とはいえ3月に入ってからずっとお別れを考えていたし、寂しさを抱えながら過ごしていていよいよ終わりが見えてきたのである。今の職場で今のメンバーで仕事したり時たま談笑したり飲み会したりすることがもうないのかと気づくと、受け止められずなんで、と疑問符だらけになる。今生の別れではないし、一年限りのメンバー構成であることは分かりきっていたことなのに、さよならの言葉が詰まる程度には情が移りすぎていた。ついでにうっかり職場恋愛してしまっているものだから、職場で盗み見ることも帰りにご飯に行くこともないと思うとじくじくした。おかげでしこたま紙で指を切っている。世の中の異動族はどうやってこの寂しさを乗り切っているのか甚だ疑問である。指に支障をきたすので今度教えてほしい。

 3月27日、昨日はうじうじしていたら大事な1日が終わってしまった。さほど忙しくなかったせいで止めどなく思考していたせいだ。今日は課内で模様替えを行った。午後始業のチャイムが鳴ってすぐ、お湯で溶かすタイプのミルクティーを作るためポットのお湯を注ぎ、今から飲むためのミルクティー片手に「今日模様替えでしたよね、いつ頃から始めるんですか?」と先輩に聞いたら、「そうだねえ…」と徐に立ち上がり、流れで机の大移動が始まってしまった。ミルクティーは端っこに避難させるしかない。熱々で飲みたかった私のささやかな願いなど模様替えの前では無力なので後ろ髪を引かれながら手伝いと掃除に精を出し、無事1円玉を発掘した。オフィスあるある、床に落ちているものは9割方クリップとホッチキスの芯。模様替えが完了し、程よい疲労感と充足感と喉の渇きを覚えた頃にはミルクティーはぬるくなっていた。がんばったので良しとしよう。この日は夜に課内送別会もあった。異動者の挨拶があることは分かっていたのでカンペを作っていったら私しかカンペを作っている人がいなかった。堅実キャラになった。最近になってやっと上司のおふざけに突っ込めるようになってきたが大方笑ってやり過ごしアドリブにはとことん弱い人見知りなだけであるが、ひと盛り上がり取れたので結果オーライだ。あとみんな酔っぱらってるからどうでも良くなっているはず。考えすぎた結果正直にぶっちゃけてしまいワードチョイスをよくミスっている後輩の横で申し訳程度のフォローを挟んだり、テンションが上がっているのか前横から一斉に話しかけてくる幹部ともどもに聖徳太子の気持ちで相槌を打ったりしひたすら楽しい時間だった。一人センチメンタルジャーニーから帰ってこれて良かった。

 3月28日、年度末は何かと忙しいとはいえ、ここまで末になるともう終わりムードに突入し穏やかになる、なんて勝手な想像は打ち砕かれなぜか異様に忙しかった。軽快に頭がフル回転してきぱき作業を進めることができ、最後に己のポテンシャルが謎の成長を見せた。ブラインドタッチも様になってきた気がする。定時後に同期が遊びに来てくれてプレゼントをくれた。先週同期会をした際に渡したプレゼントのお返しで、みんなでハンカチを送り合った。大事に使おう。ついでに見たいとせがまれていた恋人もお披露目した。といいつつ仕事中の後ろ姿だけだが。自分がこういう可愛いことをする立場の人間になっていることにびっくりする。自分の感覚が追い付いていない部分があるせいか。そして今日の夜は部内送別会だった。飲み会二日連続をここにきて初めて経験した。ちなみに感想としては、一日目ではなく二日終えた後に疲労感がくる。部は50人越えの大所帯で、この日の参加者も45人と坂並みだった。若手の私たちは部屋の最下手に固まっていたのだが、かすかな予想が当たり12人掛けのテーブルの斜め向かいに恋人が座っていた。しかもその隣に事情を知っている向こうの課のメンバーもいて舌を嚙みちぎりそうになった。可能性として大いにあり得ることではあったし期待しないでもなかったが現実がそこにあると話が変わってくる。会の中盤、席替えが横行し私の周りに人がいなくなったため相手もいる近くのグループにお邪魔したら、話を回していた上司が立ち去りほぼ関係者(恋人、知ってる①、知ってる②、知らない後輩、私)だけになったときには気まずさこの上なかった。輪に入ったのは自分なので自業自得だが目線のやり場が全く分からず、遠くにいってしまった上司をきょろきょろ探してみたり一緒の輪にいた後輩にひたすら話しかけたりしていた。ごめん後輩。ありがとう後輩。余談ですが、なんだかんだ色んな人と話せたし楽しかったな~とほくほくした気持ちで送別会は解散し駅に向かう途中、流れで一緒に歩いていたまた別の課の人に「遠距離だね、頑張って」と前触れなく応援されたのが本日のハイライト。課内以外でもばれてるが⁉⁉「遠距離」の意味深さに処理が落ち着かず「エッハイ、ヱ…?」とバグった返事しかできなかった。慌てて聞いたら付き合う前の初期段階から事情を知っているとかでさらにバグ。今度詳しい事情聴取をしなきゃと思っている。あと出て行く側で本当に良かった。(小田和正)

 3月29日、最後の日。この一週間があっという間で最後と言われると不思議だった。ぽかぽかとよく晴れていて、昼間は汗ばむくらい暖かくて、ちゃんと春になっていた。朝バタバタする前に、と仲良しの非常勤さんにプレゼントを渡そうとしたら向こうも用意してくれていて、交換会になった。スタバチケット付きのお手紙をくれた。これは家に帰って大事に読んだ。仕事は今までバタバタしていて出来ていなかった書類の整理をしたり、模様替え第二弾の手伝いをしたりした。備品の位置を把握して言われたらすぐ取りに走れるようになっている自分に、この職場で過ごしてきた時間の積み重ねを感じて嬉しくなった。今日で退職になる方と写真撮影をするから、と言われればカメラマンを名乗り出ている自分も好きだった。最初は元写真部(中学3年間だけ)というだけで写真撮影となると考える手間が省けるのか呼ばれていて、使い方のよく分かっていない備品の一眼レフを触っていた。今も一眼レフの使い方はよく分かっていないが、写真に定評を得られたことはなんだか一つ居場所を貰えて嬉しかった。そうやって別の場所に首を突っ込んでばかりいたので定時になっても全然片付けが終わっていなかった。なんなら上司も仕事が片付いておらず、最後のお願いを3回くらい貰って書類の整理をした。4月から私の席に座る人に後腐れないように資料は整理したつもりだけど、忘れ物があったらそれはごめん。(反省の色が薄い)仕事のお供として活躍してくれたチンアナゴのキーホルダーとウーパールーパーの吸盤のうち、ウーパールーパーは置き土産とさせてもらった。チンアナゴは上司に片割れを授けた。ファミリーパックのお菓子に留まらずロクシタンまで貰ってしまったせめてものお返しである。今度お土産買ってくる。四人前くらい渡さないと割に合いそうにない。貰い物というと他の人からも餞別でクッキーを貰ったし、有名な和菓子屋さんのいちご大福とどら焼きも貰った。いちご大福はお腹がすきすぎていたのでその場で頂いた。自由すぎ。最後に定時後も残っていた課のメンバーで記念撮影をして、たくさんお礼を言って、職場を出た。持って帰る荷物のなかに貰い物のお菓子が次々増えていて、帰りのエレベーターで大荷物の自分を見たら幸せを持ちすぎていてつい笑ってしまった。外に出るととっぷり日は暮れていて、昼間の熱を含んだ涼しい風が吹いていた。今日一日わちゃわちゃしていて、どたばたと片付けて、お礼とお辞儀をして、新採から二年間過ごした職場を笑顔で後にしていた。幸せで心がしゅわしゅわと泡立っていて、こんなに幸せな気持ちで最後の日が迎えられたことがどうしようもなく嬉しかった。3月になるとお別れが迫って来て、いつまでも慣れない寂しさでぐしゃぐしゃになってばかりいたけれど、時間を噛みしめてすごして、言いたかったお礼を言えて、未来の約束ができて、仕事も片付いて、最終日にやっと後悔も未練もなくなったのだと思う。あっという間だったけど、本当に楽しかった二年間だった。こんな風に思わせてくれた日々を、出会った人々をいつまでも愛していたい。

 4月になったら引っ越しもあるし新しい仕事が始まるし、そこは今の時期とんでもなく忙しいって聞くし、おかげで感傷に浸ってぐじぐじしている暇はなさそうだ。生きて(活きて)会えるようにお仕事に励みます。それでは、かしこ。

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