精神病を患ってわかったこと
日常的に精神病に患っているひととの関わりが多くある。その時に、なんでこうなってしまうのか?何でこれができないのか?と疑問に思うことがあった。それは馬鹿にしているわけではなく、単純に疑問だった。今回精神病に患って体感して分かったことが複数ある。
まず家事。
精神病に患っているひとは部屋が荒れていることが多い。そのイメージは誰しもなんとなくついていると思う。
実際家事をすることの負担は限りなく大きい。なぜかというと、そもそも体が重く動くことが難しいからだ。精神病ではないときも、「はあなんか今日疲れたしめんどくさいな。明日やろ」ということはよくあったが、それとはまた違う。やりたくても動けない。四肢に錘が付いていて、内臓の中にも錘があるんじゃないかというくらい体を動かすのに大きな労力を使う。洗濯するにも食器を洗うにも錘と行動しなきゃいけないので非常に疲れてしまう。だから部屋の掃除なんてできるわけもなく、ただ座れる場所・寝転べる場所にいるしかない。やらなきゃ、やらなきゃと思う心と裏腹に動けない体とのギャップにさらにしんどくなるというループが完成。誰か家事してくれ。
しかし、ゲームはできる。
精神病ではなかった時、それが不思議だった。身の回りのことはできないのに好きなことはできるのか、と。
患ってみてわかったのだけれど、ゲームの種類にもよるが、大抵はその場から動かず動いても指先だけなのでゲームはできる。もちろん調子が悪い時はゲームをする場所(リビングとか)に行くのもしんどかったりゲームによる画面や音の刺激に耐えられない場合もある。ただ、家事のように全身を動かすわけではないので、調子がかなり悪い時以外はできてしまう。それに、ゲームしている間はその世界に入り込んでいるので嫌なことを考えなくて済む。だからゲームの世界にのめり込む人が多いのだと思う。でもそれではいけないことも分かってる。分かってるから、好きなことばかりしやがってと言われるとめちゃくちゃ落ち込む。そうなんだよ、それって甘えなんだよね…でもできないんだよ…という負のループに入る。実際は甘えじゃなくできることをやっているだけ、と思いたいけど。
あと、思考能力の低下。
こんだけ文章打っといて何言ってんだと思われそうだけど、思考能力が低下して考えたいことが考えられなくなる。いま分かることを話したり書いたりすることはできるけど、「今後どうしたい?」とか聞かれても先のことを考えて文章を組み立てることができない。ちなみに今も何書くか考えられなくなってきている。完全な思考停止。今の現状については話せるけどじゃあ解決するためにどうする?と言われるとうーん、と悩んでしまう人たちの気持ちがよく分かる。だって分からないし考えられないんだもん。なので、そういった人に対しては選択肢を与えてほしい。Aにする?それともBにする?と明確に教えてもらえればその二つだけ考えればいいので決めやすい。漠然としたことを考えるのがすごく難しいんです。で、考えようとすればするほど頭が痛くなってくる。不思議だね。今も頭が痛い。
ちなみに、頑張れという言葉。
よく精神病のひとに「がんばれ」って言っちゃいけないと聞くと思う。それは割と人によりそう。少なくともわたしは頑張れって言われて辛くはならない。じゃあ嬉しいかというとそうでもない。なんかどっちでもいい。あ、でも頑張れの種類によるかもしれない。例えば、動きたいのに動けないことに対して「頑張れ」と言われたら頑張れねえよ、と嫌な気持ちになるけど、休職したいことを上司に伝えるとか心療内科に行くとか後押しがあると動けそうなことに対して「頑張れ」と言われたら少し力が湧くかな。でもそれって精神病の人に対してだけじゃないような気がする。誰でもそうじゃないかな?だから、あんまり気にしなくていいと思う。言われて嬉しくないことはそんなにないので、病気を完全否定すること以外は何言ってもいいんじゃないかな。あんまり気にしないで普段通り話せることが一番良いかな。心配されすぎて一緒になってずーん、とされたら申し訳なさでずーんとするし。だから、病気だから気にかけなきゃとか発言気をつけなきゃとか気を使う必要はないと思う。変わらずいてくれるのが一番安心するよね。
何が言いたいんだっけ?分かんなくなっちゃった。終わり。