それぞれの主婦

 主婦向けの読み物なので興味のない方はスルーして下さい。

 

     ー幸せの糧ー

 友人と食事した時の事だ。
 近場のファミレスで期間限定メニューのハンバーグセットを注文。
 美味しく頂いた後は食後のコーヒーを飲み、二人でたわい無い会話をしていた。
 私と友人は40歳の平凡な主婦。消費税が8%になっても夫の給料は上がらず、お金は出て行くばかりで人生の先行きが不安だ。「家計を助けるために働きたいが良い職はないかしら」と普段から頻繁に連絡を取り合っていた。お互いに就活はしているが、面接結果は不採用ばかりだ。
「40歳過ぎると良い仕事ないよね」 
「ないない、ほとんど短時間のパートだよ」  
「面接に行ってもさ、経験ないとダメとか年齢的に難しいとかばかり。主婦は急に休むから困るっと言ってなぜか説教するしさ。無理でしょ?すぐ休むでしょ?て決めつけてるみたい」  
「この間、面接で旦那の給料とか根掘り葉掘り聞かれたけど、そんな事聞いてどうするんだろ?」  
「きっと他人の給料が気になるんだよ」  
 このご時世、よく耳にする会話だ。
 何か甘いもの食べたいよねとケーキを追加注文すると私達は更に会話を続けた。昼下がりのファミレスで女同士で駄弁る姿をよく見かけるが、まさにそのまんまの様子だったと思う。

 
 会話は弾んでアベノミクスはどうだ、西ノ島はどこまで大きくなる、真央ちゃん可愛いよねと話が進んで、光熱費まで増税はひどいという会話で、友人が 、
「あーあ、節約も限界だよ。先月から義母が同居してるから食費が嵩んで困るよ。あなたは楽ね。子供いないからお金好き放題使えて」
とため息をついて言った。
 ここまではたわい無い会話だ。
 私はサラリと流すように言葉を返した。
「まぁ、そうだけどさ、でも旦那の両親と私の両親もいずれ面倒見るから贅沢できないよ。それに自分の老後は一人ぼっちだから不安になるよ」
「子供はつくらないの?」  
「授かれば産むけど、こればっかりは神様にお願いするしかないね」
「不妊治療はしたの?一度病院行ってきなよ」
「やめとく、今はそれなりに幸せだし」
「あなた、何のんきなこと言ってるの。後で絶対後悔するよ。年齢的にもラストチャンスと思って病院いきなさいよ。子供は宝なんだから!」  
 友人は段々と説教をするような口ぶりになっていた。
 私に子供はいないが、その事情を友人は知らない。私に原因があると思っているのだろうか。
 「陣痛は辛いけれど我が子の顔を見た瞬間忘れちゃうわ。あなたには分からないでしょ?」
 うんぬんかんぬん。友人は自分の出産の経験談、子育とは何ぞや、子供がいるから頑張れる、子供のいない人生は考えられないと喋り続けた。
  こんな会話の内容は慣れている私だが、友人が刺々しく「子供がいない人は自由でいいわよねー、気楽でさ!」と言ったときに苛立ちが湧いてきて、ふと昔の自分を思い出した。

 
 十年前のことだ。結婚して三年が経ち、私は30歳だった。
 当時、私は夫と一緒に家庭を築き、優しいお母さんになりたいと願っていたが、ある事情からそれが叶わないと知って情緒不安定に陥った。  
 両親が「子供はまだ?」と何度も聞いてくる度「ほっといて」とつっけんどんに言い返し、親戚の「最近の若者は自分が苦労したくないから子供をつくらない」 という説教を黙って聞いていた。
 同僚達は「子供がいるだけで幸せなのよ」「子供欲しくないの?」「男変えたら?」と簡単に言った。
  何度も「子供は?」と質問された私は全てが嫌になって、会社を辞めて家に引き込もった。自分の人生に幸せは無い、生きる理由が分からない、楽になりたいと思いつめ、自殺の方法や失踪計画ばかり考える日々が何年も続いた。

 
 私は仕事で忙しい夫に気づかれないように、一人布団の中で泣く事を繰り返していたが、ある日(このままではダメだ、夫婦二人だけでもいいじゃないか)と自分に言い聞かせて、以前から興味があったデッサン教室に参加を申し込んだ。外に出れば少しは気分が紛れると思ったのだ。

 
 
 教室初日は久々に心浮き立って足も軽やかに家を出たのだが、「今日からよろしくお願いしまーす」と明るく教室に入った瞬間に体が固まった。
 数名の生徒の中にお腹の大きな妊婦さんがいたのだ。何週目かは分からないが、立ってるのも辛そうな大きさだ。皮肉にも私の席は妊婦さんの隣だった。
  席を替えてくれと言いうこともできず、無言で座った私の頭の中は真っ白になっていた。バナナだかリンゴだかモチーフすら分からない状態だ。
(隣は気にするな、描くことに集中だ!)
と心の中で何度も唱えてバッグからスケッチブックを取り出そうとした。が、その手は無意識に隣の席に伸びて妊婦さんのお腹を撫でていた。本当に無意識だった。あわてて「ごめなさい」と誤ると妊婦さんは「今、動いたの分かった?」とにっこり笑った。その時の私の感情は全く覚えていない。頭の中が真っ白どころかスケルトンだったのだろう。結局、妊婦さんと接する事が辛くなってデッサン教室は二回行っただけで辞めた。
 
 
 その後情緒不安定な状態は続いたが、悩んみ苦しむ間にも細やかではあるが嬉しい事や楽しい事が訪れて、年を重ねるごとに幸せの価値観は変わっていった。私は何時の間にか前向きな思考になった。妊婦さんに遭遇しても動揺しないし、再びデッサン教室にも通った。
 

 時の流れは偉大だ。
 十年後の今も生きることが苦しかった日々は心の片隅にあるが、私はかなり強靭な心の持ち主になったと思う。世間に揉まれ、たくさんの人々に接して鍛えられ、支えられたのかもしれない。今では立派な図太いおばちゃんになった。
 
「何で子供つくらないの?」
「できないもんはしょーがないでしょ」 

「将来一人になったら寂しくない?」 
「一人の方が気楽だよ」 

「今からでも遅くないよ、頑張ってみれば?」
「旦那のチ○コに言ってよ」
 何年経っても同じ質問、似た質問をされるが、今ではどんな会話をしても何の苦もなく返すことができる。

 
 優しいお母さんになる願いは叶わないが、それだけが幸せではない。 ちょっと目をそらして、何気ない事に目を向けると他の幸せを見つけることができる。私はそれに気づくことができた。夫は元気で仕事に励み、私は手を抜きつつ家事をこなしながら二匹の猫に一匹の犬の世話をして大好きなチョコを食する。それらだけで私の生きる糧になり、十分幸福だ。
 強靭な心の持ち主になった私は、会話の中で刺のある言葉を聞いても気にしない事と決めている。会話の相手は我が身の事で精一杯で、目の前の相手を気遣う余裕がないかもしれないからだ。
 今、目の前に座っている私の友人もその一人だ。

 

 友人は「あなたは自由でいいわよね」と何度か繰り返すと、突然ポロポロと涙をこぼした。
「あいつが帰ってこないの」
「えっ、あいつって、ご主人?」
 この展開は予想してなかったので私は少し驚いた。
「仕事が忙しいから会社に泊まるって言ったけど、一ヶ月も帰ってこない…」 
「携帯に電話した?」
「留守電になる」
「…会社に電話してみては?」 
「怖くてできない。・・・昨日、娘がコンビニでパパを目撃したって言うの・・・女の人と手をつないでたって」

 娘さんは「パパ!」と叫んだが、無視してその女性と車で去っていったという。
 数分前まで私に説教するかのように口を動かしていたのに、今は肩を落とし、うつむき加減に泣いている。  友人の辛い日々はこれから始まるかもしれないと私は思った。

                              完

                                                                                 

           それぞれの主婦
            ー生きる糧ー                                     zunzun

 


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