名付け親に、果たして責任はあるのだろうか。


日記の題名のような、標語のようなものが、ふとプカプカ頭の中に浮かんで来るとこがあります。

でもだからといって、中身が伴うとも限らない。
いざ題名を書いて、本文を書き進めようとすると、イマイチ筆が進まない。
そんなことが昔からよくあります。

題名というのは、中身の名前であるわけだから、名前だけある架空の人物のようなものでは行き場がありません。

かと言って、Twitterに標語だけ載せても「どうしたの?」と心配されるだけだと分かっているので載せません。
いっそ、標語botみたいなアカウントでも開設するか。

題名が書いてあって、
面白そうだと思ってページを開いたら
文章がなかった。

とかだったら、皆さんはどんな気持ちになるんでしょうか?

…それはそれで、面白いのかもしれない。


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