ずんだをf(x)=yという関数だと考えたとき、そこに含まれるであろう変数aを考えて、その計算結果を毎日評価され続ける。

脳みそに新しいものを入れるためには今あるものを出すことが大事と聞きますから、頭の中にあるものをとにかく出して行きたいと思います。

僕はずんだのことを関数のように考えています。ずんだをf(x)=yという関数だと考えて日々収集する多くの情報をxに代入して答えを導き出す。より多くの人に伝わりやすいyを導くためには、どのような関数にするのが良いのだろうかと考える。

その関数がどういう形なのか自分でもちゃんと把握できている訳じゃないけれど、多分自分の性格とか向き不向きは定数で、ずんだとしての方針は変数な気がする。もちろん具体的なテクニックとしての多くの変数が含まれている。

方針を変数aと考えたとき、色んなxに対応できるaにしたいし、数年後のxにも対応できるようにしたい。

あれこれと考えて、このaというのは「仙台市民が仙台について考える時間を奪い返す」というのが良いのではないだろうかと考えました(ちなみにそう考えることでXのフォロワーが増えるとかいいね数が増えるとか、そういうことではないです)。

ネット社会の今の世の中で、忙しい現代人が持っている僅かな時間をYouTubeやNetflixやSNSやソシャゲに奪われていくなか、その時間の隙間で仙台市民が仙台について考える時間をほんの少しでも奪い返す。

そういう変数aを関数に置けば、この関数は長い期間使い続けられるのではないだろうか。

ということを、僕は数学の証明問題を解いているような気持ちで考えています。2x=y、x=2のときにy=4という答えを導くことを「私はy=4だという信念があります」とか「私はy=4であるべきだと考えます」みたいに言わないのと同じように、「ずんだは仙台市民が仙台について考える時間を奪い返すことを方針にしています」ということには特に何の感情もありません。

これは数学の証明問題を解いている途中に立てた仮定みたいなものなので、正しいかどうかは分からないし、その正しさを僕の主観で決められる訳ではありません。

でもごくまれにインタビューされるような時は仕方なくそう答えます。すると、まるで立派なことを考えているかのような反応をされて困ってしまいます。

僕は毎日とにかくたくさんの情報を集めて、それをxに代入してyを求め続けます。まるで数学のドリルでたくさんの問題を解き続けているみたいな気持ちで毎日を過ごしています。

その計算結果が正しいかどうかは、記事がどれだけ見られたかや、ツイートにどれだけ反応があったかで判断します。僕は毎日たくさんの計算結果を、たくさんの人に評価され続けています。

僕みたいな仕事をしている人は、まるで自分が世の中を評価する側の人間になったかのような気持ちになりやすいです。自分が評価する側の人間だと勘違いしてしまったライターの発言が炎上しているのを定期的に見ます。

例えばグルメを紹介するのであれば、ライターがその美味しさをどのように評価するのかを、その評価を読んだ読者が評価するのであって、僕らの側に評価する権限はありません。

そうやって意識してもなお、自分は評価する側の人間なんだという傲慢さが、無意識のうちに自分の中でどんどん育っているのを感じます。SNSというのは怖いものです。

とにかく、常に自分が評価に晒されていることを意識することが、先に書いたf(x)=yという自分の関数をより良いものにしていくのだろうなと思っています。

そんな風に考えてたくさんの計算問題を解き続けていると、いつもとは違うxを関数に代入してみたくなります。

「仙台わいわいライブ」というお笑いライブに通うようになって1年が経つのですが、その魅力をxとして関数に代入したらどういう結果が出るだろうかと考えてみました。

1年かけてあれこれ考えてみた結果、これは「解なし」なのだと思いました。

多くの仙台市民が仙台について考えるときに、そこに「お笑いライブ」は存在しません。「仙台市民が仙台について考える時間を奪い返す」という変数aが含まれる関数f(x)に、「お笑いライブ」というxを代入しようとすると、計算が成り立たなくなるのだと思いました。

つまり僕が持っている関数が成り立つxの範囲内に、「仙台わいわいライブ」は入っていないのだと思いました。この計算が成り立つようにするためには、そもそも関数の形を変えるか、わいわいライブを「お笑いライブ」ではない他の違った形に変換して関数に代入しないといけないのだと思います。そう思ってYouTubeを頑張ってみるものの、今のところうまく行きません。評価を受けることが大事だと思っているのですが、そもそも評価を受ける土俵にも立てていない気がして、ちょっと辛いものがあります。

そしてこうやってnoteを書くこともまた、僕の関数を今までとは違う形にしています。

わいわいライブは、順位が付かないライブです。ネタによってグループ分けが行われる訳でもありません。自分がやりたいネタを披露して、もちろんそこにはウケる・すべるがあるけれど、自分のネタの良し悪しはあくまで自分が決めます。誰かに出ることを強制される訳でもないし、自分の意志で自由に出ないことを決めることができます。

それぞれの演者には何となくのイメージがあるけれど、そのイメージを覆すネタが良しとされている雰囲気もあります。だから、それぞれに定まった評価がある訳でもありません。それに、自分以外の演者の良し悪しを評価しない自由もあります。

そういう建前があったところで、実際は怖い先輩があれこれ言ったりしそうなもんだけど、他の人のネタを茶化すような人もいません。

僕は毎日人から評価を受け続けているけれど、ここは評価を受けずにいられる場所なんだ。この自由な雰囲気は、評価を受けずにいられるからこそ生まれるんだと思いました。だからこんな風にどんどん出演者が増えるし、こんなにみんなが楽しそうでいられる。そしてだからこそ、評価を受けることを前提とした僕の関数には当てはまらないんだと思うようになりました。

毎月ライブに通い、舞台の上で自分のやりたいネタを披露して楽しそうにしている人たちを見て、この人たちには自分が評価されずにいられる場所があるんだなあと思うと、僕は羨ましくて仕方ない気持ちになります。

6月はやることがたくさんあってそれを何とか乗り越えられたけど、7月はその反動でやろうと思っていたことがあまりできませんでした(もちろん自分が悪い)。8月はちゃんと評価を受ける土俵に立てるように、動画の編集を頑張りたいと思います。


仙台の情報発信サイト「仙台つーしん」のライターずんだです。