ハリーポッターの考察余地〜「この身はただ一人の穢れた血の為に」を読みながら、例のあの人の正義について〜

こんにちは、社会人大学人見知り学部 ハリー・ポッター深読みゼミのづかづかです。
この度は、「ハリー・ポッター」の深読みに非常に資する二次創作作品を見つけたので、ご報告します。

突然ですが、「 ハリー・ポッター」を逆読み、つまり、死の秘宝、半純血のプリンス、、、と発行順から遡り、結果を読んでから原因を探すという読み方をしたことはあるでしょうか?
こうして逆行して読むと、順行で読むのと随分物語の様相が変わってきます。
つまり、ハリーがヴォルデモート卿を打倒する物語というより、ダンブルドアとトム・リドルが戦争し、ハリーがそのための武器として育成されていく物語という方が相応しいということがだんだん見えてくるのです。

作品紹介と特異な主張

さて、表題にて紹介した「この身はただ一人の穢れた血の為に」(https://syosetu.org/novel/212517/)は、オリジナル主人公(以下、オリ主)が大活躍するいわゆる一般的な「二次創作」ではなく、オリ主が色んなことに首を突っ込みながらも、2人の傑出した魔術師の思惑通りに(つまり、原作と同じように)物語は進んでいく、そしてその制約の中で、オリ主の目線で魔法界Wizarding Worldを深掘りしていくという、少し変わった・挑戦的な作品となっています。

そして、このオリ主、スティーブン・レッドフィールドには、読者をかなり困惑させる特徴があります。
それはヴォルデモート卿の独裁政権樹立を支持するという姿勢です。
このnoteは、その支持理由を紹介して、魔法界をもう一度考えてみてほしい、そして出来るならこの素晴らしい二次創作を読んで味わう同好の士を得たい、という気持ちで書いています。(最近の更新でついに明言されたので、ぜひ辿り着いて、本文で楽しんで欲しい次第です。)

本題に戻ります。
主人公がヴォルデモート卿を支持理由をものすごく簡単に言えば、魔法族の未来のために、新たに1人の「王」による中央集権的な政府を作ることが必要だから、です。

主張を整理すると以下のようになります。
・魔法界は、スタンドアローンな村的共同体の集合体として存在しており、政治体制はいかにも中世的である。
・この100年間で、マグルの方が生活水準・医療水準を向上させ、中央集権的で・洗練された政治体制を持つに至っている。
・一方、イギリス魔法界において、魔法使いは自助をもって生活しており、魔法省は政府の体を成していない(元々、魔法族をマグルから隠すための「国際機密保持法」の執行機関にすぎない)
・上記の現状を打破する改革をなせる資格がある人物の内、ダンブルドアはやる気がなく、消去法的にヴォルデモート卿に賭ける。

解説(以降、自分の解釈を含みます)

物語の概観についての復習

まず、「ハリー・ポッター」世界の特徴について、整理したいと思います。この物語は剣と魔法の世界観×学園モノという王道っぽい要素が強いですが、中でも①4寮への組分け、②魔法界とマグル界の断絶、という2つの大きな特徴があります。

物語をメタ的に見ると、低学年の時には①の寮点等を争点にグリフィンドールとスリザリンで争い、学生生活を謳歌し、ヴォルデモート卿が復活すると②を巡る戦争に本格的に向かうことになります。

その一方で、ヴォルデモート卿は自らの権威復活・汚名返上のためにハリーを倒さなければならないので、主人公目線で物語を見る我々読者にとって、ヴォルデモート卿の襲撃は所与のもので、何のために戦っているのかを考えにくい構造にあります。

ヴォルデモート卿についての復習

ヴォルデモート卿は、純血貴族、狼男、ディメンター等の闇の生物を部下としました。これらの部下の属性には一貫性がなく、共通の理念があったとは言えなさそうです。また、死喰い人の序列について当人たちの合意は無視され、ヴォルデモート卿の意思が尊重されるものでした。
ダンブルドアの「騎士団」と違い、ヴォルデモート卿とその仲間、という感じで、日本で例えるなら平家討伐に向かう源頼朝と一所懸命に土地利権を獲得したい坂東武者のように、お互いに別々の方向性を向きながら現体制の打倒に向かったという動き方と思われます。
例えば、純血貴族の「純血主義」とは、貴族同士で交流を交わし政治等に影響を与えていくことと捉えるのが妥当でしょう。(純血とはいえ、そういう影響力を失ったロングボトム家・ウィーズリー家が軽蔑されている、ゴーント家にも誰も手を差し伸べなかったことが、その証左と考えられます。)
ヴォルデモート卿は血、血族であることに重きを置きますが、生まれもゴーント家の女系で、育ちは孤児院なので、こうした貴族的な考え方には距離感を感じます。

ヴォルデモート卿が戦う理由

さて、トム・マーヴォロ・リドルが戦う理由は、彼の肥大化した自己愛・承認欲求と捉えるのがダンブルドア的解釈です。
一方で、その大義名分=彼の掲げる「マグルの生まれの者は排除し、半分以上魔法使いの血を引く者のみ受け入れる」という主義の実現については、純血主義のスリザリンらしい、マグル生まれを排除するための理屈として評価されています。
しかし、作中で触れられていないものの、ホグワーツにマグル生まれの魔法族が入学することには2つの観点で危険があるはずです。
①国際機密保持法の趣旨(魔法族がマグルに隠れて住み安全を確保すること)に鑑みると、ハーマイオニーの親のような例外が生まれ、機密保持上のリスクとなること。
②前述のとおり社会保障の考えがなく、マグル出身者は未成年の間マグルの生活に戻らなければならず、機密保持上のリスク・本人へのいじめ等暴力を被るリスクがあること。
この内、特に②が重要でしょう。
トム・リドルは母親の死後、魔法界からの保護を受けることはできず、マグルの孤児院に入れられ、ホグワーツ入学後も孤児院へと戻らなければなりませんでした。「秘密の部屋」ではトムがホグワーツ閉校に衝撃を受けていた様子が描写されています。また、トムは問題なかったものの、アリアナ・ダンブルドアのようにマグルに破壊されるリスクは、マグル社会では格段に高くなります。機密保持のために魔法の行使をしてはならないという義務のみ生まれ、マグル社会で悪目立ちしても自助にお任せ、というのは、中々に理不尽なルールに思われます。

この中で、魔法族の血を引く者は魔法界で保護し、それ以外は無視する、というヴォルデモート卿の考え方は一定限理解できるものです。ダンブルドアたちの持つ「魔法を使える者が魔法使い」という考え方と比べて、ある種優しいとさえ言えます。
ダンブルドアの考え方を、もし日本社会で例えるなら、日本語が話せるやつが日本人、という理屈になるでしょう。国民というものの考え方は歴史の色々な背景から単純には行きませんが、現行我々の社会では、ヴォルデモート的な考え方で運用されています。「ハリー・ポッター」のなかで、マグルは1980年代を生き、魔法族は中世を生きている様子が描かれますが、中世のままの社会の形を維持しようとするダンブルドアと、マグルの社会の形に合わせようとするヴォルデモート卿という見方もできそうです。

こう考えると、マダム・カルキンの店でのドラコ・マルフォイの発言にも深みも感じられないでしょうか。(良い意味でも、悪い意味でも)

他の連中は入学させるべきじゃないと思うよ。そう思わないか?連中は僕らと同じじゃないんだ。僕らのやり方がわかるような育ち方をしてないんだ。手紙をもらうまではホグワーツのことだって聞いたこともなかった、なんてやつもいるんだ。考えられないようなことだよ。入学は昔からの魔法使い名門家族に限るべきだと思うよ。
ハリー・ポッターと賢者の石  ドラコ・マルフォイ

最後に

社会の爪弾き者を味方にしたヴォルデモート卿に対し、普通に読んでいるとただ邪悪な存在と捉えてしまいそうになりますが、一方でより「大きな政府」を思考する進歩的な人間とも捉えることができそうです。
ともあれ、邪悪な人間なのは間違いないので、考察を重ねて楽しむ余地がある、というものです。

本noteで紹介した「この身はただ一人の穢れた血のために」で、主人公は独立政権を打ち立てる人間として、ヴォルデモート卿を評価し、その勝利に賭けています。これが「呪いの子」のような分岐ルートを生むかどうか、今後楽しんでいきたいものです。

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