僕の好きな言葉と嫌いな言葉

こんにちは。みなさんゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。
僕は、岡山の新居に引っ越しをして自炊の壁と戦っています。

始めはキャリデザで企画にしようと思ってましたがnoteの方が言いたいことを話せると思ったので投稿します。
僕の気持ちを詰め込むので時間のある人は最後まで読んでくれたら嬉しいな~って思いながら書きました。

早速、タイトルにもしている、僕の一番好きな言葉と一番嫌いな言葉を発表します。

【好きな言葉】
ありがとう

【嫌いな言葉】
あたりまえ

僕は小さい時から変わってない事が2つありますが、これはその内の1つです。もう1つは、好きな食べ物が蕎麦ってことです。

好きな言葉がありがとうだよって人は周りにも沢山居るので、なんで「あたりまえ」が嫌いなのかってところを話します。

文脈も無いですが「ありがとう」の対義語って何だと思いますか?

僕は、ちょっと前まで「ごめんなさい」だと思っていました。
たぶん、「ごめんなさい」でも間違いじゃないと思うんですけど、調べてみると「あたりまえ」みたいです。

これを知った時に、ビックリしたのとなんか嬉しくなりました。好きな言葉と嫌いな言葉が対義語って、なんか運命的なものを感じますね。

「ありがとう」の語源は、仏教の【盲亀浮木/もうきふぼく】というたとえ話です。
『この亀が、海に浮かんでいる穴が空いている木の板に頭を出すことができると思うか?僕たちが人間としてこの世に生を宿すことは、それ以上に難しいんだ。だから人間として生きている今に感謝しなさい』
この話に出てくる亀は目がほとんど見えないらしいです。そんな中で地球のどこにあるか分からない木に頭を出すのはほぼ不可能ですね。

それの対義語のあたりまえは、その亀が木の板に頭を出した時にそれに対して、「いや、それ普通にできるじゃん」って言う事だと僕は思っています。
そんなこと言われたら、亀は大号泣でしょうね。

ここからは、僕が「あたりまえ」をなぜ嫌いになったのかを、僕のエピソードを交えながら話していきます。

僕が「あたりまえ」を具体的に表現するなら、さっきの亀の話とも重なりますが、その人のバックグラウンドも努力も積み重ねも、その人の全てを否定する言葉だと思っています。

僕は、小さい時それなりに勉強をする男の子でした。僕が覚えている一番昔の記憶は”公文に行くのが嫌で泣いた”ってくらい勉強させられてました。
なので、小学校で習うような九九や筆算がクラスの中だと早く解けました。
でもこれは、地頭がよかった訳でもなんでもなくて、みんなが放課後遊んでいる時間に泣きながら勉強したからだと思っています。
なので「だいすけくんは出来てあたりまえだよ」って言われるのが凄く嫌でした。こっちは勉強してんだよって心の中で反論してました。

これは僕が周りから言われたことですが、誰にでも当てはまる事です。
”スポーツができる人は自主練”を”勉強ができる人は自習”を”仕事ができる人は経験”を全員想像できない程していると思います。その人に対して「君は出来てあたりまえだよね」なんて言うのは本当に失礼だなって感じます。

同じ人間がいないように、地球上の人間の数だけ人生の物語があります。それは簡単に理解できるものじゃないです。それを「あたりまえ」の一言で片付けるのはあまりにも軽率ですね。

これが僕が「あたりまえ」が嫌いな理由です。

なので僕は、コンビニの店員さんにも、話しかけてくれたおじいちゃんにも、何かしてくれた人には「ありがとう」を言うようにしています。言われて嫌な気持ちになる人はいないと思うのでみんなもやってみてください。

最後に、僕の気持ちを書いたこのnoteが誰かに届いたら嬉しいですね。
このnoteを読んでくれたあなたとの出会いは「あたりまえ」なんかじゃなくて、「有り難う」だと思っています。
僕と関わってくれる人全員に「ありがとう」って、このnoteを借りて言わせてください。これからもよろしくおねがいします。

僕の気持ちを書いたnoteになりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

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