刺される前に考えよう

デビルバイオリニストゲームバッキバキ事件を眺めていて思ったんですけど、ものすごく極端な話をしますね。

ものすごく例えばの話ですけどゲームをバッキバキに壊された子供が母親を刺しちゃった事件が起きるとするじゃないですか。

そういう時、みんなどう思いますか。

「そんなことで刺すなんてどうかしてる。最近の子供は怖い」とだけ言ってりゃいい気分にはあんまりならないと思うんですよね。

刺すしかなくなるくらい色々あったんだなって想像することはできると思うんですね。

その想像は誰かが刺されてからじゃないとできない想像なんでしょうか。

これは全然ゲームバッキバキ事件の話じゃないんですけど。

順番として、我々は誰かが刺されちゃった後で初めて「そうか辛かったんだね」と思うより仕方ないんでしょうか。

刺すことでしか「辛かった」ということがわかってもらえないとしたらそれはとてもしんどい世界ではないでしょうか。

そして何より刺すのはとても悪いことなので刺した後で「そうか辛かったんだね」とわかってもらえたところでなんだっけ、ちょっと出てこないけど、アレじゃないですか。

なんとか祭りじゃないですか。

そうすると誰も幸せになりませんよね。

そうなる前に想像することってそんなに難しいんでしょうか。

「これくらいのことどうってことないだろ」って思えちゃうことでも、もしこれが刃傷沙汰になったらって考えればもう少しうまいやり方があるんじゃないかと思えないもんでしょうか。

「刺してこないってことは向こうも納得してるってことだ」

「理由はどうあれ刺したやつが悪い」

世の中にはこの二つを併用して「刺す以外のことは何やったって刺されたって俺は絶対悪くない」と考える人もいます。

あなたは自分がそういう人間として生きることを自覚的に選択しますかという話でもあります。

もうひとつ言えば「いつか刺されるぞ」っていう常套句の話ではなくて、「誰も刺さないし刺されない世界を目指しませんか?」という話であります。


あ、思い出したわ、後の祭りでありますわ。

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