『漂流ネットカフェ』読んだ

ヤバかった。『悪の華』はアニメ見てたけどね、単行本は途中まで読んでたのかな3巻くらいまで。終わり方が劇的に糞だったことはさておいて、まぁ結構楽しんで観てて「あーこいつヤバいなー」とか思いながら観てた。はてなのブログでなんか感想みたいなやつ書いてた気はする。で、『漂流ネットカフェ』は一応連載当時から存在だけ知ってて、当時は作者の押見さんがヤバいやつだってのも知らなかったから二巻とかで普通に切ってたんだよね、あーこれは普通の、極限状態だと人間の本性が出る系の普通のやつだなと思ってもういいやつって読むのやめてたんだけど、たまたまちょうどいい機会だったので押見さんなんかヤバいやつらしいっていう前提込み込みでまた一巻から読み始めてさっき読み終わったんだけどまぁまぁヤバかった。読後感としては「とんでもないもんに付き合わされたな」ってのが第一印象で。まぁひどい。こんなオナニーみたいなもんよく描き始めたな。そして描き切ったな。ようせんわ。ひどい。ひどいけど最高。人は20歳のそこそこ自分の頭でモノを考える糞ガキになるためにはお母さんのへその緒をぶっちぎってから20年ほど生きなくてはなりません。20歳になるまでの20年間は太陽が世界がまぶしすぎてほとんど目も開いておらず、ほとんど何も見えちゃあございません。ただ優しい声がする方に、眠るに適した温度がある方に、勘で勘で突き進むばかりです。便宜上流れ上20年と言いましたが、20年で終わるとも限らず僕は今だって変わらずずっと、同じように目をしばたきながらアンヨが上手をしているだけなのかもしれません。しかしそれではナメられるので、どうも手探りに歩いていると交通事故みたいにトラックみたいな顔をした大人や子供や同級生に、男に、女に、同性に、異性に、ぶん殴られることが多々多々ありますので、ナメられないそのためだけに見えているようなフリをして歩いているだけなのかもしれません。それ自体は別に悪いこっちゃないんだけれども、そんなどや顔で人とうまくやる自分を自分そのものだなんて思っちゃいけないのでございます。おっカさんからもらった栄養をこぼすまいこぼすまいと、ダラダラと何かを垂れ流すへその穴を押さえながら恐る恐る子宮から遠ざかる僕だけが僕なのです。何か別の、温かくて優しい子宮的な何かに近づこうとアンヨが上手と邁進する僕だけが僕であり、その僕の出発点はヘソの先を辿るまでもなく、ああ何も知らず何もかもを知らず、ただ自分の目の前に現れたものから順に信じていく僕だったのだ。なんだかそんなことを考えながら大変面白く読みました。めちゃくそ面白かったですけど、面白かったのは僕のヘソのただれあってこそのものなので、特にオススメはしませんが、機会があれば是非とも全7巻ぶっ通しでお楽しみ頂きました暁には、いつか酒でも飲み交わしながらヘソの緒を結び合いたいものですね。以上、『漂流ネットカフェ』の感想でした。

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