二文字色々。「手間」編

僕はとにかくめんどくさいことが大嫌いです。シャワーを浴びると身体を拭かなくてはならないのがめんどくさいので本当はあんま風呂とか全然入りたくないくらいめんどくさがりです。それでもシャワーを浴びて風呂に入るのはシャワーを浴びないままで社会生活を恙無く送るコストの方がよっぽどめんどくさいからです。僕の行動原理は「めんどくさいことは嫌だ」がほとんどすべてです。
これだけ言うと「なんて怠惰なやつなんだ、そんなことで世の中やっていけると思うなよ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、俺から言わせるとお前ら全員目の前の直近の事象に馬鹿真面目に手間暇かけることで何か満足感を得て何か許されてる気になってんじゃねえぞ。知らねえわそんなもん。お前がトータルでどれだけ面倒を回避してどれだけ発展性のあることをやったかそれだけだわ。どうしてもやらなくてはならない事象は世の中色々あるし、それをやる人は偉いし立派だけど、そういうカテゴライズに入る事象をむやみやたらに強引に増やして自分でそれをこなして、それで自分を偉くて立派だと思ってる奴、お前ら全員俺の敵だからな覚悟しろ。
めんどくさいことやりたくないよ〜、全然やりたくないんだよ〜。
例えばほんの一手間で料理がこんなに美味しくなりますみたいな、そういうのは全然いいんだよ。手間をかけてクオリティを上げることで、人の胃袋を掴む。素晴らしい。それはまあいいんだよ、それは結局何に価値があるかというと「手間」をかけた結果発生した「クオリティ」に価値があるからさ。
そうじゃなくて、手間をかけたことそれ自体の価値を認めてくれみたいな勢力あるだろ、まじ無理。むしろ失点だろ。いくら手間暇かけてもクオリティが向上しない中で捧げた時間を「価値あるものとして認めてくれ」って言われてもむしろマイナスだろう。お前は時間を無駄にした。お前は時間を無駄にした。
難しいのは、有価値であるということと、有意義であるということは全くの別であるということだよね、無駄な手間をかけることはたびたび有意義な経験ではあるけど、それは有価値とは別の概念だ。そこさえ履き違えてなけりゃある程度容認もできるんだけどけ、ここを履き違えられるとちょっと待てやとなるのである。無価値でも有意義な経験だってみんなできるだけ経験できた方がいいんだろうなーと思うけど、それを有価値な経験と認識されては鼻持ちならないな。
あとそうね、「手間だな」と思うことを手間だなと思いつつ人に言われたのでやった時にありがちなのが相手はやらせるだけだから「手間だとも思ってない」ってパターンがあるよね。俺あれすげえ嫌いだから。絶対許さねえ。「手間なだけで意味ねえじゃん」ってことをふわっと依頼して来る人間ってのがいますわな、あいつらは馬鹿です。「沸騰してないの?でも一応試しに一回、カップヌードルに注いで3分待ってみて?3分でダメなら、1時間でも1日でも待ってみて」みたいなことを言うやつがそこらじゅうにゴロゴロいます。死ね!全員死ね!!
テキトーに切り上げますが、僕は「手間」というものが死ぬほど嫌いですし後々の「手間」がめちゃめちゃ消滅する一手間をいつだって追い求めていますし、「手間」だと思ってもその一「手間」が大事なんだよみたいな考え方が大嫌いだし、なんで俺がそこまで「手間」を嫌うかというとこういう俺が思ったままに思ったことを書く文章を手間暇かけて作る時間を捻出するためだよ!!全員死ね!!以上!!

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