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それいけコロンブス
この旅が始まって既に二週間あまりが経とうとしている。船員達のフラストレーションはピークに達しつつあった。無理もない。そもそも向こう岸があるのか自体がわからない。新大陸なんてありませんでしたとなれば、この航海はただの身投げに等しい。晴れることのない不安と不満を抱えたまま船はただ海を西へ進む。
日が落ちた。船員達は夕食を終えるといつものように会議室に召集される。今日の会議室は机が全て部屋の隅に寄せられ椅子が円形に並べられていた。船員達は仲の良いもの同士固まって好きなところに着席していく。全員が揃ったところで円の中心にいる船長がみなにリラックスを促そうと腕を大きく拡げながら叫んだ。
「はい、じゃあ、みんな集まったようなので、はい! 今日は! フルーツバスケットをやりたいと思いまーす!」
コロンブスの笑顔は目が笑っていなかった。
「はい、じゃあ! はい! このゲーム知ってる人?」
コロンブスは挙手を求めるジェスチャーでぐるりと船員達を見回したがみな一様にコロンブスを睨みつけるばかりだ。コロンブスは三六〇度から満遍なく突き刺さる冷たい視線に晒されたままルール説明を始めた。
船員達のストレスを少しでも発散させようと考案された夕食後のレクリエーション作戦は完全に失敗だった。そのことはコロンブスも理解している。しかしこの作戦にはもう一つの狙いがある。コロンブスは船長であって航海士ではない。つまり帆船の運転を実際に取り仕切るのはコロンブスではない。そうなると「西へ真っ直ぐ」くらいしか指示することのないこの航海、どうにかして船長の威厳を保たなくてはいつか反乱が起こるのは必然だ。そこでコロンブスが仕切りの手腕を見せつけようと企てたのが、このレクリエーションというわけだ。つまりこの作戦は二重に失敗していた。
船員達の無言のプレッシャーに晒されながらコロンブスはルール説明を続けた。コロンブスの喉は緊張で渇ききっている。時たま声が掠れる。咳ばらいをする度に背後から舌打ちが聞こえる。口で説明するより実際に遊んでみた方が早いフルーツバスケットのルールを口下手のコロンブスが説明するその時間は永遠にも感じられた。何よりみんな、ルールくらい知っていた。
「はい、それじゃあ実際に始めますが、はい! 実は、今日は負けた人には、罰ゲームを用意しました」
一体何をもって負けなのか、コロンブスの口からの説明はなかったが船員達は俯いたままだった。
「はい、えー、負けた人には明日、この場で手品をしてもらいます。だから、一夜漬けで練習しなくてはならなくなります! ……でも難しくないから安心して下さい。ちゃんと練習すれば誰でもできます。証拠としてまず僕が御手本を見せたいと思います!」
コロンブスはトランプを取り出した。
「はい! では、はい! じゃあ、まず、あなた! まず、この中から好きなカードを一枚選んで下さい」
コロンブスに指名されたその船員は、好きなカードを一枚選ばなかった。とどのつまりシカトした。コロンブスは下唇を噛んだ。今度はその隣に座っていた甲板長に無言でカードを突き付ける。甲板長は目を合わせようとしないコロンブスの顔をじっと見つめ、やがて溜め息まじりに呟いた。
「船長、もうやめましょう」
「……何がさ」
仕切り口調をやめたコロンブスは既に涙目だ。甲板長はあくまで穏やかな調子で言う。
「船長が、俺達のことを思って企画してくれてるのはわかります。でもはっきり言って逆効果なんです。ただでさえ日々の航海で心身共に疲れきってるっていうのにそのうえこんな茶番にまで付き合わされて。もし、こんな航海の最中じゃなかったら俺達だって少しは楽しめるかもしれない。けど」
そこでコロンブスが口を挟んだ。
「いや、でもこんな時だからこそさ」
コロンブスが言い終わるのも待たず、甲板長は今度は怒鳴り声でまくし立てた。
「だから、それもわかりますよ! わかりますけど、みんなそんな気分じゃないんですよ! こんなことして楽しめる気分じゃないんですよ! 悪循環になってるのがわからないんですか!」
後には重い沈黙だけが残った。誰ひとり口を開く者はいない。眉間に皺を寄せ瞼を固く閉ざしていたコロンブスは、やがてぽつりとこう言った。
「航海でイライラするからレクリエーションが楽しめないのか、レクリエーションが楽しめないからイライラするのか。卵が先か、鶏が先か。まるでコロンブスの卵だな」
みんながそれはお前の卵じゃねーよと思った次の瞬間、コロンブスの背中にトマトがぶつけられた。どうせ誰も犯人とは名乗り出ないトマトが飛んできた方向に振り返りながら、コロンブスは早く新大陸に着いてくれないかなと思った。
辛い航海だがコロンブスは決してくじけることはない。何故ならコロンブスは新大陸は必ず存在すると信じているのだから。
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