俺が今作ってるのは豆腐なのか大豆なのか問題

ある人と、「頑張って書いた文章をダメだと言われまして。ダメじゃない文章を仕上げるにはどうしたらいいんですかね」というような話をしていて、それを聞いたコンマ一秒で「それはきっと豆腐じゃなくて大豆だったんですね」と思ったんだけど、たぶんいきなりそれを言うと俺が日本語のできないヤバイ奴になるので、じゃあどう言おうかと日本語に困った。ので、noteで言うんですね。

それでその場で僕が実際にはどういう日本語を言ったかは割愛しますけれども、豆腐という食べ物があるんですね。あれはとても美味しい。あと、やわらかい。そのうえに白い。しかし驚くなかれ、あのやわらかくて白い豆腐は、なんと、あっ、なんと! あの固い大豆からできているそうですね。びっくりぽんや!

たとえばここでは仮に「文章」の話をします。「文章」の話をしますが、これは何にしてもそういう話になってくると僕は思うんだけれど。

「文章を書いたんですが、ダメでした。どうすればいいのでしょう」という問いは、「豆腐を作ってみたんですが、ダメでした。どうすればいいのでしょう」という問いに似て聴こえました。それに僕は「それは豆腐ではなく大豆です」と答えます。

現実的に考えて、豆腐を作るつもりが実は大豆を作ってしまっていたということはまずこれはありえません。しかし、比喩の話で言えばそれは全然ありえることなのです。

豆腐を作るのは大変です。素人目には、あの牛乳パックで葉書を作るのと大体同じようなことをしてるように見えるので簡単そうに見えますが一緒にしないでください。豆腐を作るのは大変なんです。きっと何度も失敗するでしょう。何度も何度も失敗するでしょう。

その過程で、失敗作の、とても自分では納得できないないし人を納得させられない豆腐の出来損ないが生まれることでしょう。しかしそれは、豆腐にするための作業工程が終わった瞬間から、貴方にとっては豆腐ではなく大豆になるのです。

大豆がなくては豆腐を作ることはできません。あるいは貴方が豆腐を上手に作れない原因はそもそも十分な量の良質な大豆もなしに豆腐を作ろうとしていることにあるのかもしれません。

もしもこれが実際の豆腐作りの話であれば、貴方のするべきことはひとつ。大豆を探しに行くことです。それ以外に解決策はありません。

しかし、幸いなことにこれは喩え話。今している話に限ればすべての豆腐は、その出来不出来を問わず完成した瞬間に大豆になります。そこに残るのはとても食べられたものではない使いみちのない生ゴミなんかではなく、次の豆腐を作る材料になる大豆なのです。

これは自分が今作っているのは豆腐なのか大豆なのかよくよく意識しろという話ではありません。気の持ちようとしてはいつだって豆腐を作るつもりでいていいんです。しかしそれがうまくいかなかった時、残飯だと決め込んで捨ててしまってはいけません。それは紛れもなく貴方が自分の手で育てた大豆です。貴方はきっとその大豆を次の豆腐を作る時に活かさなくてはなりません。そういうふうにして、いつか満足のいく豆腐が作れるようになるのです。

難しいのは、あくまでそれは大豆だと割りきらなくてはならないということです。間違ってもそこまで悪くない豆腐だと勘違いしてはいけません。もう一手間加えればおいしくなる豆腐なんじゃないかと思ってはいけません。豆腐はそんなことできません。豆腐はいつだって、新鮮な水と大豆から一発勝負で作るより仕方ないのですから。

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