ストーリーとフリートのUIデザイン、ちょっと対戦機能っぽくない?

ちょっとこれさ、この、アイコンが上にずらっと並んでて横にスライドしたらどんどん出てくるやつさ、今ログイン中だから対戦できますよっぽくない?って思ったらなんかみんなと対戦したくなってきたよね。みんなとテトリスとかぷよぷよとかスーファミのマリオカートとかくにおくんの勝ち抜き格闘とかしたい。
まあ実際、Instagramで想定される対戦も、Twitterで想定される対戦もまあまあ地獄みあるけど。でもSNSに対戦機能があった方がいいか、ない方がいいかで言うと、言われてみればあった方がいいよね。誰にも言われてないけど。俺が言い出しただけだけど。
なんかこう、SNSって人と向き合うUIじゃなくてもっと広い何かと向き合うみたいなそういう設計になってるよね。もっと広い何かってなんだろう?ソーシャル?あ、SNSの中にそのまま入ってたわ。そうそう、ソーシャルネットワーキングサービスね、ソーシャルネットワーキングサービスをみんな使ってるんだけどさ、ソーシャルって受験の単語本を引けば社会なんだろうけどそれは明治か大正から昭和の誰かがなんかこのかっこいいソーシャルって外来語をうまいこと日本語に落とし込めねえかなと考えた末に当てた言葉が社会なだけでさ、本来のソーシャルってたぶんもっとラフな、人付き合いとその延長上としてあるこの世界全体、くらいの意味なんだろうなと思うし、じゃあSNSで人付き合いしてるかお前?って問われるとまーあんましてないよねーみたいなことは思う。SNSの隆盛によってソーシャルって言葉そのものが再定義されているというか、さっき言ったところでの人付き合いの部分がスポイルされているというか、そういうところは感じる。俺自身「あいつ最近元気かな?」みたいなSNSの使い方ってほとんどしてないし、たまにそうやってあいつのことを見に行っても、だいたい広報活動に忙しそうなだけで最近のあいつの本当のことなんかわかりゃしないし。
みたいなことを考えるとそれを補完する意味で、対戦相手としてのあいつが上の方にダダっと並ぶこのUIは悪くないのかもしれないなとも思う。いや、むしろ実は最近会えないあいつのためにSNS使ってる人が世の中の大部分で俺みたいな感覚のやつがむしろ少数派なので単に待望のサービスなのかもしれない。
この前タイムラインで、誰だかがつぶやいていたことで、知り合いに引用リツイートじゃなくてふつうのリツイートをされた後にで「この人最近ツイートが荒れ気味だけど大丈夫かな?」みたいなことを言われたらしくてそのことについて「お前電話番号知ってるじゃん、本当にそう思うなら連絡寄越せや」みたいなことを言っていて、うん、SNSってそういうところがあるよね、と思った。
なのでストーリーとかフリートみたいなものっていうのは、疲れてる時に声をかけてあげたいはずの誰かが、タイムラインを構成する誰か、ではなくてあいつだったことを思い出すキッカケみたいな機能なのかなと思えばまあ悪くない気がする。スマホにはcall機能があることを思い出すための機能、くらいの。
そういうわけで僕は風来のシレンで死んだ時に救助要請するのにフリート機能を使おうと思いました。
以上です。

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