「いま、ここ、に”一緒にいる”」を読んで


これは本当にそう思う。ただいる。この重要性。
よく思うこと。それは、子どもが楽しそうにしているからそちらの方がいいと思い込んでしまうこと。
その側面もあるが、表面的とも言える。

一緒にいても楽しそうにリアクションしなくても、ただただ親御さんと一緒にいる、同空間にいる、同じ時間を過ごしているというのは、表面的な「たのしさ」には変えられないと思う。

常に一緒にいるとしんどくなってしまうこともあるが、時として、ここは向き合いどころという時ってある。

意外と見落としがちだが、大切なことでは?と思うときがある。

自分にもいうが、なかなか「待つ」ことが困難になっていると思う。

急ぐこと、忙しいことを善としすぎず、余白のある中での偶発性も楽しみたいものである。


おもしろいことに、ゆったりした時間の中で、子どもが膝の上でごろんと甘えてきたりすることがある。猫や犬でいう、お腹を見せる行為といえよう。

こういう仕草を、親でない私にした際、ああ、安心しているんだなと思う自分もいる。そして、ここに「わたしもありがとう」と言いたくなる。

いま、ここ、に一緒にいてみましょう〜〜


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