1880年頃イザベル・バードの「朝鮮紀行」に見るリアルな朝鮮


日清戦争直後、李朝末期 日本統治前の朝鮮
イザベラバード女史は、朝鮮を訪れ、政府高官や王妃と話したり、
滞在した内容を詳細に書いた「朝鮮紀行」

イザベル・バード著

朝鮮の社会と民族性について


・朝鮮人は「盗む人」「盗まれる人」の2つしかない。
・「搾取する人」は役人 「搾取される人」はそれ以外の国民である。
・一生懸命努力してほんのわずかな金でも蓄財したことが知られれば、役人が全てを搾取していく。
・ゆえ、ぎりぎりに暮らしていけるだけの収入を得ればよいので、それ以上働こうとしない。
・ゆえ、生活の向上がみられず、みんな貧しいままである。
・朝鮮人が本来がなまけ者であるのではなく、政治腐敗に問題がある。
・朝鮮は自国による改革はもはや不可能であり、他国による改革し方法はない。

日清戦争後、李朝末期の日本のかかわり


・過去から朝鮮人はとことん日本人が嫌いであった。
・当時、日本は朝鮮を植民地化して統治しようとは考えていない。
・あまりの政治腐敗ぶりに、日本の政策を浸透させるのには困難を極めた。
・ゆえ、微に入り、細に入り指示することになり、一層反感をかったが、日本のやり方は悪くはなかった。

生活の状況について


・1894年当時ソウルは世界一汚い都市である。
両班と言われる貴族階級は、役人か教師しか職業がなく、ふらふら町ですごす人々が多かった。
・女性は最下層の人が外で働くことがあっても、ほとんどの夫人は家の奥に蟄居させられていて、女性自身はそうされることは大事にされていると感じていた。
・女性は外の世界、ソウルの街さえも見たことがない人が多い。
・男尊女卑である。結婚は親が決めた人とし、息子の嫁の手助けを得るまでは朝から夜遅くまで働き、身なりに気をまわすことなどできなかった。

・女性で教育を受けることが出来るのはキーセンのみであった。
大事な賓客をもてなすキーセンは、客と同じレベルの話題についていけるように、国の運営する養成学校で歌舞などとあわせて教育を受けた。

・国王の権限は厳粛かつ恒常的に憲法上の抑制をうけなければならない。
(重要)

・李王朝は宗主国の明・清の政治、文化の影響を500年にわたって支配された

・1895年になり日清戦争の終結とともに、清国からの独立が出来た。
しかし、国を発展する方向へ舵を取れなかった。

・旧態依然の国王・官僚・両班による庶民、農民への搾取が激しく、
ガチガチの身分社会、収奪社会であった。

・「古きを重んじ、新しきを拒絶する朱子学」による弊害。


・イザベルは、
「李朝最後の王に対して個人的には親愛の情を持ちながら、改革の妨げ、国民の幸せを目指すことができなかった愚かな王である」
と述べている。

「今後、朝鮮が、ロシアか日本のどちらかの保護国になるか?」に興味をもちつつ、1897年にイザベルは朝鮮を出国する。

日韓併合は庶民の解放であり、
このことが貴族階級の怒りとなり、現在の反日に繋がった。


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