ウクライナ地方はユダヤとロシアとウクライナ人のケンカ場所

ウクライナ地域は、ハザール王国があった、
現在の世界金融支配層である、ハザールユダヤ人の本拠地だった地域でした。
(と白人系の偽ユダヤ人のハザールユダヤ人が主張してる。実際はユダヤ人は白人ではない。ロシアのステップあたりを放牧してたのがハザールユダヤの起源だそうです。詳細URL)

ウクライナ地域歴史

BC6・・・「ギリシアの植民地」
6C・・・「ハザール王国」が建国。改宗ユダヤ教国家。
9C・・・「キエフ大公国」が建国。ロシア人の国成立

6C・・「ハザール王国」の住民はトルコ系白人。宗教を持たなかった。
東ローマ帝国(キリスト教)とイスラム帝国(イスラム教)に挟まれていた。ハザール王国は、両国から「改宗」を迫られた。
そこれ、ハザール王は国民全員をユダヤ教に改宗した。
唐突に、自分たちは「血統的にもアブラハムの子孫」であると
「にわかユダヤ人になった」
その時期は両国の干渉をこれで封じたが、結局国は弱体化し滅亡した。

ハザール王国のユダヤ人が、
侵略者の、キエフ王・ウラジーミル大公にユダヤ教改宗を進言したが、
ウラジーミル大公はキリスト教を取り入れこの地にキリスト教文化を広めた。ハザール・ユダヤ人は以後、キリスト教会側からロシア人に改宗を挑んだ。

11C・・・ハザール王国はキエフ大公国&ビザンチン帝国連合軍に
     攻撃され、衰弱化滅びる

12~13C・・・「キプチャク汗国」建国。モンゴル人による統治
       キエフ大公国は滅ぼされる

16C・・・ポーランドの植民地になる
    「ウクライナ・コサック自治国」が建国。
     ウクライナ農民による建国(ウクライナ人が自治したのは初)

17C・・・ポーランドとロシア帝国により領土を半分に分割され、
     ウクライナ人による自治は終わる

18C・・・ガリシア地方はハプスブルク支配下になる。
     その他の地域はロシア帝国の領土になる

※ロシア帝国下では「ウクライナ民族主義」は徹底的に弾圧され、ロシア化再教育を施された。

ウクライナ人への弾圧は、かえってウクライナ人としての民族意識を根強い。
一方で、ウクライナ人は、
ハザール王国時代以来の同居人であるユダヤ人を迫害することによって、
自らをウクライナ人としてのアイデンティティを確立した。

ロシア国内で相次いで実施された反ユダヤ政策
ロシア・イワン雷帝もまたユダヤ人に対する敵意を示している。
彼はユダヤ人を“毒薬商人”とみなし、1545年にはモスクワにおいてユダヤ人の商品を焼き、彼らのモスクワでの商業活動を禁じた。

ロシア帝国は当時、世界で一番ユダヤ人の多い国となった
エカチェリーナ2世は反ユダヤ政策を改めた。他の民族と同権を与えたので、ロシア帝国にユダヤ人が爆発的に増加し続けた。
困ったエカチェリーナ2世は、
ロシア帝国の支配下に入った地域のユダヤ人全員の移住を禁じ、ゲットー一部の地域だけに居住を許可。

ウクライナに住んでいたユダヤ人は商人活動を展開。
居酒屋の80%近くはユダヤ人が経営していた。
工場の30%はユダヤ人が所有していた。
ユダヤ人たちは借地小作雇主としても活動

ユダヤ人たちに対し、ウクライナの農民とコサックたちは、
「搾取者」とみなして敵意を募らせた。


ウクライナ・コサックによるユダヤ人虐殺事件が発生した。


ウクライナ人の、ニコライ・ゴーゴリの名作『タラス・ブーリバ』には、
当時ウクライナの主人公だったコサックたちが、
ユダヤ人を虐殺する姿を楽し気にかいている。

コサックの会話の中に搾取者としてのユダヤ人への敵意が表現されている。「ユダヤ人に借金を返さんことには、礼拝式のミサも行うことができない」


1881・・・反ユダヤ政策の「5月法」成立

ロシアやウクライナから脱出するユダヤ人は加速し、
その移民先はアメリカとなった。


ロシアに残ったユダヤ人は、共産主義を作るために革命を起こすことにした。
共産党員の民族別構成比でユダヤ人が多い。

レーニン
トロツキー、
ジノビエフ、
カーメネフ、
ラデック、
メンシェヴィキのマルトフなど、革命指導者のほとんどは、ユダヤ人


ユダヤ人とウクライナ人とロシア人のケンカの歴史
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb200.html




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