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便利な街は生きやすいのか

沖縄県、西表島。
イリオモテヤマネコにより、
名前だけ有名なこの島の実態はあまり知られていない。

90%が手付かずの自然で覆われており、原生林の残るこの島は高校、コンビニもなく、小さなスーパーと診療所があるのみ。
生活用品を買うために島の人たちは石垣島まで船で買い物に出かける。
ネットショッピングを使っても商品が届くのが10日程度見積もる。

コロナがこの島にやってきた経緯を全島民が知っている。
石垣島のどの人が島に来てBBQをした際に持ち込んだ、
そのまま、誰が感染していつまで隔離されて、いつ回復したのか、あらゆる情報が筒抜けなのが、この島の良さであり、不便さだろう。

整備されている道は島の半周分しかなく、もう半周するためには海を行く必要がある。
人口2500人程のこの島で暮らす事は不便なのだろうか。
生きやすいのだろうか。



東京は便利な場所だ。
24時間営業の店舗で生活必需品もそろう。
ネットショッピングで翌日には消費が届く。

そんな東京という街に閉塞感を感じるようになったのはいつからだろう。
朝、小さなスマートフォンの中の世界に没頭しながら満員電車に揺られる。
速足で会社までの道を急ぐ大勢の一人になり、効率よく業務をこなし、金曜の夜にはたった2日間の解放感を味わってお酒に飲まれる。
価格と見合っているのか判断が難しい、アルコール料金を払い、二日酔いで迎える土曜日。
1日後にはもう始まることを意識しながら過ごす休日。始まる月曜日。

息つく余裕もなく、すぎゆく慌ただしい毎日の中、
必要なものは手を伸ばせばすぐ揃えることが容易な暮らしの中で何かを足りないと思うことがある。
満ち足りているように定義される生活で、
でも、確実に何かが足りないと感じることがそこにはあった。


社会は問題を解決するために”便利”に発達してきた。
電車があるから、遠くから通うことができる。
スマートフォンで人との連絡を容易にとることができる。
夜まで働いていても、24時間営業の店舗で生活必需品をそろえることができる。
料理する時間がなければ、お惣菜で空腹を満たすことができる。

社会生活の整備の過程で利便性は、
日常を”生きやすく”するために発達したはずなのに
それは、本当に人を”生きやすく”しているのだろうか。
“生きやすさ”を見失うことも多い日常の中で
本当の“生きやすさ”について思いを馳せる。

もし、本当の”生きやすさ”を知りたいのなら
自分が日々の生活の中で感じる足りないものの正体を突き詰める必要があるのだろう。
世話しなくすぎ行く毎日の中で足りないものが何なのか、探すことは容易ではない。
ただ、うすうす気づいていることがある。
足りないものを埋めることは利便性にではできないのかもしれない。



西表島大自然を半日トレッキングした後、へとへとの身体で沈む夕日をみながら、彼女は言った。

とても生きやすいよ。

東京から移住して8年になる彼女の言葉の背景は想像するにとどまるが、
西表島にある不便さは、彼女に生きやすさを提供したのだと思う。

一瞬で噂話が広まる街、生活必需品を買うために船に乗って往復する生活が彼女には合っていた。
東京での生活は彼女にとって”生きにく”かったのだろう。

利便性を高め、”無駄”を省いた暮らしを極めた東京。
暮らすための”無駄”の多く残る西表島。
“無駄”は本当に”無駄”なのだろうか。

生活とは、生きやすさとは
”無駄”の中に潜んでいるのかもしれない。

東京は簡単に人を孤独にする街だ。
この島は人を孤独にさせることはないだろう。

綺麗な夕日を見ながら
インスタントのカフェオレと食べなれたちんすこうの美味しさに感動しながらそんなことを思った。


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