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今さら小林賢太郎さんの舞台『うるう』を考察

※【閲覧注意】存分にネタバレを含みます。
気づいたことをバラバラと、書き綴っておきます。考えすぎ上等。

なぜ フクロウが「うるう」と鳴くか

「ホーホー」じゃなくて「うるう」と鳴くのは、擬音が独特な宮沢賢治の影響か。宮沢賢治作『どんぐりと山猫』に
「おもてにでてみると、
まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのやうに
うるうるもりあがって、
まっ青なそらのしたにならんでゐました。」
という一節がある。
この“うるうる”とは“潤う”を源としたオノマトペであり、“潤う”は“うるう”と略されているのではないかと考えられる。
(参考:栗原敦監修・杉田淳子編『宮沢賢治のオノマトペ集』)

なぜフクロウがモチーフか

博識・長寿の象徴であり、異界とのコミュニケーションをとる鳥と言われているフクロウ。余一の部屋に大量の本があることからも博識であることが読み解ける。

なぜ森に住むのか

本編に「国勢調査が及ばない森に逃げてきた」という表現があるが、そのほかの意味を考えてみた。森は民俗学的に人でないもの=“人外”の象徴。人の手が及ばないこの世のものじゃない空間と言える。まるでトトロのように、植物がにょきにょき育つのも人じゃない証拠。そもそも4歳づつしか年をとらないのも決定的に人じゃないのだが。

森の木が倒れるのはなぜか

森の木が倒れて人間界と異界が浸食されていく象徴。多数のカレンダーが張り巡らされた大木グランダールボはそれだけ樹齢が古かったといえる。本当はマジルともっと交流したかった余一だが(ちなみに異世界と人間界を混ぜるからマジルという命名でもあると思う)異世界をマジルだけでなく他の子供たちに見つかってしまったため、人間の手の及ばない森の奥の世界へ行かなくてはならなかった。

オリンピックを聞きたがるのはなぜか

昔から妖怪やお化けなどの人外は、盆踊りのようにお祭りが大好き。オリンピックは国民の行事であり、お祭り騒ぎ。4年に一度開催されることもあいまってそう演出したのではないだろうか。

少年らと仲良くなるべきではない理由

「4年にひとつしか年をとれない」から、マジルらと一緒には居られないというシーン、30人が押し掛けてきたときにフクロウの姿に変身して追い返す描写がある。自分の住む異世界へもうこれ以上入り込まないように制止したかったのではないか。

呉村先生の名前の由来“クレソン”について

クレソンの花言葉は『順調、安定』。寿命をまっとうした呉村先生の象徴。

グランダールボ、アルブースト名前の由来について

人口言語であるエスペラント語。
グランダールボは『大きな樹』
アルブーストは『成長途中の樹』の意味。

度々登場するドクダミについて

花言葉は【白い追憶】。白い=若い花の色。まだ人間界に混ざろうとしていた小さい頃を思う余一の心情を表現しているのではないか。

未来

余一がもっと歳をとったら、人間の世界に戻れるんじゃないか、と思うのが唯一の希望。50歳だろうと60歳だろうとあんまり見た目は変わらないんじゃないか?だとすれば、しばらくの間はマジルと友達でいられる=理解者が再び現れたとなって幸せな結末になるのか、と思ったけれどやっぱり最後はマジルに先立たれるので深い悲しみが襲ってくる。自分を認めてくれた人とずっといたいけど、いられない悲しみ。なんと辛いことか。

サポート…?こんな世知辛い世に私をサポートする人なんていな…いた!ここにいた!あなたに幸あれ!!