アダルトビデオに出るとはということか、あるいは、ある女の子の話

アダルトビデオに出るとは、どういうことだろうか。
それは悪いことだと言われている。
僕も、そう思う。
アダルトビデオに出ることは、悪いことだ。
しかし、僕は、自分の勤めている会社にアダルトビデオに出たいという女の子が来たら、十分にリスクを説明した上で、喜ぶだろう。
なぜなら、僕は、悪い人間だからだ。

もう一度、言おう。
アダルトビデオに出るとは、どういうことだろうか。
それは、悪いことだ。
しかし、すべての行為は悪いことだ。
あらゆる行為は、何かを犠牲にする。

別に、アダルトビデオに出ることを正当化したいわけじゃない。
いや、僕の場合、アダルトビデオに出ることを勧めることを、正当化したいわけじゃない。

数年ぶりに会った彼女は、もう、抱けなくなっていた。
そして、僕が会っていないあいだに、何度も自殺を試みていた。
彼女は言った。
「私は、子供を作れない。」

久しぶりに彼女と再会したのは、ある共通の知り合いのインフルエンサーのバーでだった。
彼女は見違えるほど綺麗になっていた。
いや、もともと綺麗だった。
僕は彼女を綺麗だと思っていた。
しかし、さらに綺麗になっていた。

彼女と会った日、僕は彼女と同じベッドに入った。
顔と顔を近づけて、見つめ合った。
でも、僕は、なんとなく、彼女を抱かなかった。
いや、抱こうとしても抱けなかったかもしれない。
僕の経験則上、そのような流れで、そのようにホテルに入り、そのようにベッドに入れば、性交に至ってあろう状況であったが、僕は彼女の体に手を回さなかった。

何度も家に誘っては、性交を狙うようになった数年後から振り返ると、どうしてあの時、抱こうとしなかったのか、僕には不思議だ。
しかし、僕はたまにそういう不思議なことをする。
あるいは、そういうものを求めているのかもしれない。

久しぶりに出会った彼女は、ほくろを取って綺麗になっていた。
いわゆる単体女優という、アダルトビデオに出る女の子の中でも、よくわからない格付けのようなものがあり、その中でも最上位に位置する女性だった。

この、単体や企画、何とかランキングといったアダルトビデオ業界における謎のヒエラルキーというか、序列意識というか、承認欲求を刺激するような、妙な構造が、僕にはアホらしくて仕方ない。アダルトビデオを製作する僕が言ってはいけない言葉ではあるが、女の子をモチベートする、くだらない装置だ
しかし、このくだらない装置を生きがいに生きていう子もいるのだ。
いや、このような装置をくだらないと言える僕は、果たして、彼女たちを見下ろせるような高尚な場所にいるのだろうか。

僕はそう考えた時、何も言えなくなった。
僕はそもそも、目指すものがなかった。
外側で、走りもせず、走っている人間たちを笑っている、一番劣悪な人間だった。

彼女は自殺しようとした試みを軽々と話す。
首を吊ろうとしたこと、煙草を一気に飲んだこと。
僕はそれをそのまま受け止める。
「止めなよ」
この言葉は、とても大きな川の流れに一人で立ち向かうのと同じことだと思うからだ。
そしてまた、その大きな川の流れは、止めるべきか僕にはわからないからだ。

ただ、彼女とセックスはしたかった。
だから朝まで理由をつけてネットフリックスを見たのだ。
気持ち悪く、さりげなく肩に手を回すことまではできたのだ。

気持ち悪い僕は、彼女に聞いた。

「将来、どうするの?」
「結婚、するつもりとか、あるの?」

彼女は答えた。

「子供は産まない。いじめられると思うから。」

彼女は、とても優しい子だ。
気持ち悪い僕の気持ち悪い手の回しも振り払わない。
(しかしそこから先は許さない。)

「そのうち、死のうと思います。」

そう言った彼女とセックスをしたいと、そればかり考えていた僕は、その言葉を受け止めるのが、だいぶ遅れてしまった。
あまりに遅れたから、「最近、元気?」と彼女に送ったLINEには、もう既読がつかない。

たぶん、僕が気持ち悪かったからだ。
ブロックされているのかどうか、確かめる作業をする勇気は、僕にはなかった。気持ち悪い僕を気持ち悪がって、僕のLINEをブロックした彼女は、今どこで何をしているだろうか。

このアカウントは、彼女からもらった。
生きていたら、連絡をくれないか?
僕はまだ、気持ち悪いけどさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?